第19話

 



「~♪ ~♪」



 食事を終えた後、香花は更に機嫌を良くしていた。笑みは絶やさず、上機嫌でまた鼻歌を奏でている。



 そうした仕草を取りながら、俺の食べ終えた食器や調理に使った道具を洗っていくのだ。



 俺はそれを何もする事なく、後ろから眺めているだけである。



 何一つ手伝ってはいなかったので、せめて洗い物は手伝おうとも思ったが―――



「大丈夫だよ。量も無いし、私がやるから。まーくんは、座って待っててね」



 と、彼女に拒否されて手空きになってしまった。



(しかし、さっきのあれは……何だったのだろうか)



 思い出されるのは、先程の料理に入っていた軟骨だ。



 いや、彼女がそう言っているだけで、本当はそうでは無かったのかもしれない。



 俺はその調理過程を一切見ていなかったから、その正体が何だったのかは分かりようが無かった。



 確かに軟骨みたいな食感もありはしたが、一部にあの固い食感のものが含まれていた。



 けれども、思い返せば……食べた事の無い感じはしなかったのだ。前に一度、食べた事のある様な……そんな気がする。



(あれは……何だっただろうか……)



 多分、記憶としては随分と前のものだと思う。最近では無い事は確かだ。ここ最近でそんな食感には巡り合っていない。



 それが何かを思い出そうと、俺は記憶の引き出しを漁っていき―――



「まーくん、お待たせ」



 と、何とか思い出そうとしている俺に声が掛けられる。



 顔を上げれば香花の顔が直ぐ近くにあった。洗い物を終え、彼女の定位置にへと戻ってきた様だった。



「えへへ♪ 今日も、ありがとうね」



「ん? えっと、何が?」



「私の料理をね、いつも残さず食べてくれて、ありがとう」



「あ、あぁ、まぁ……香花の料理は、美味しいからな」



「そう言って貰えると、とっても嬉しいな♪ まーくんがいつもそう言ってくれるから、私も作り甲斐があるんだよ」



 そう言った後に「明日からはもっと頑張るから、期待しててね♪」と、香花は意気込んでいた。



 自分の腕前を認められた時、それをもっと伸ばそうと思う向上心は誰もが当たり前に備わっているものだと思う。



 だからこそ、彼女のその反応は正しいものだと思う。正常であると言っていい。



 しかし、伸ばそうと思う部分はどうか味のみに徹して欲しかった。いや、して欲しい。



 今日みたいに、何が入っているか分からない様な創意はいらないのだ。俺が求めるのは、ただ美味しい料理なのだから。



「あっ、えっと……」



 今のところ、彼女の料理の話で続いているので、先程の料理の中身について、彼女の口から聞き出せるかもしれない。



『美味しい肉だったけど、何の肉だったのか?』



 と、尋ねれば彼女は答えてくれるはずだ。しかし、それを聞き出すには勇気がいる。



 もしも変なものが混ざっていた場合、俺は最悪、口にしたものを全て吐き出さねばならない。彼女が見ていないところでだが……。



「……? どうしたの?」



 声を発したのにも係わらず、何も言ってこない俺を不思議に思い、香花はそう聞いてきた。



 このまま何も聞かなければ、彼女はもっと不審に思うだろう。何か俺が、隠し事をしているのではないかと。そんな風に疑ってくると思われる。



 聞くのは怖いが、俺の安全の為にもここで聞いておくべきだろう。俺は大丈夫だと自分を後押しし、奮起させる。



「あ、あのさ……さっきの料理の事だけど……」



 そして意を決して、俺は香花に向かってそう切り出した。



「あの、ハンバーグ……いつもよりも美味しかったよ」



「えへへ♪ 何ていっても、特別な材料を使ってるからね。美味しいのは、当然かな」



「その、特別って……どう、特別なんだ……?」



「えっ?」



 結局のところ、彼女はハンバーグについては軟骨の事にしか触れてない。それ以外の情報は出ていなかった。



 特別な料理というのなら、それだけの工夫で留まる訳が無い。もっと別の、また違う材料を使っている可能性もあるのだ。



「野暮かもしれないが……それを聞きたいんだけど、駄目かな?」



 香花の瞳を真っ直ぐ見つめながら、俺はそう聞いた。



「うん、別にいいよ。特別とは言っても、秘密にする程の事でも無いからね」



 そして彼女は何でもないかの様に、そう答えた。この反応を見る限り、案外と変なものを入れてたりはしていないのかもしれない。



 しかし、どうなのかというまだ判断は出来ない。彼女の基準は、俺の基準とは違う。まだ安心は出来なかった。



 不安な気持ちは募る一方だが、俺は彼女の言葉を待った。何を言われてもいい様に心構えだけはしっかりとし、備えておいた。



 そして……香花は笑みを浮かべながら、静かに、ゆっくりと口を開いた。



「近所のお肉屋さんで売ってた、良いお肉を使ってるんだよ」



 彼女の口から出てきたのは、そんな普通の、ありきたりな発言であった。



「お、お肉屋……? あの、川沿いの近くにあるお店の?」



「そうだよ。よく使わせて貰ってるんだ」



 そのお店なら、俺も知っている。この近隣では多分、一番良い肉を取り扱っているお店だ。



 評判は良く、その噂は割りと耳にしたりはする。家事には疎い俺でも知っている様な、そんな優良店であった。



「それでね。お店のおじさんに今日は特別な日だから……って、相談したの。そうしたら、オススメのお肉を売ってくれたんだよ。しかも、少しサービスして貰っちゃった♪」



「そ、そうだったのか……」



「後はね、軟骨を入れるといいかもしれないって、お店のおばさんが教えてくれたんだ。だから、今日のには入ってたんだよ」



 凄いでしょ、とまるで自慢するかの様に彼女はそう言ってきた。



 しかし、今の俺にとってはどうでもよかった。それよりも、安堵感の方が勝っている。



 変なものが入っていない事が分かり、ホッとした。これなら俺は、外に出て胃の中身を吐き出さずに済むだろう。



「なるほどな。だから、特別だったんだな」



「うん、そうなんだ。あっ、でも……まだまだそれだけじゃないよ」



「ん?」



「良いお肉も使ってはいるけど……美味しくなる為の隠し味を、あの料理には入れてるんだ」



「隠し味……?」



「それはね、私のまーくんを愛する気持ち……愛情、だよ」



 香花は頬を赤くし、照れながらそんな事を言ってきた。恥ずかしそうにし、照れ笑いも漏らしていた。



 やばい。この仕草はまずい。彼女の正体を分かっていても、これには俺もときめきを覚えてしまう。



 それに合わせて一度は言われてみたい言葉を言われれば、そう思ってしまうのも無理はなかった。



 さっきまで変なものでも入っていたのではないか、と疑っていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。



 そうだ。あれには変なものは入っていなかったんだ。あの料理には彼女の純粋な気持ちが籠められている。それで良かったのだ。



「あっ、そうだ。あとそれ以外にももう一つ、入っているんだよ」



 しかし、俺が一人で納得していると、彼女は唐突にそんな事を言ってきた。まだ何かあるというのだろうか。



「もう一つ……? それって―――」



 何が入っているのか。俺はそれを聞こうとしたのだが、言葉は最後まで形にはならなかった。



 どういう訳か、意識がはっきりとしなかった。視界は明滅し、見ている景色がぼやけ、揺らいで見えてしまう。



 だんだんと感覚が体から遠く離れていき、それを俺は、止める事は出来なかった。



 何というか、あれだ。これはあの、感覚に近かった。寝落ちする時の、そんな感覚に、近かった。



「……ふふっ♪」



 ぼやけた視界の中で、彼女が、香花が笑っている。何で笑っているのか、それを考える余力も、今の俺には残っていなかった。



 抗おうとも思っても、もう俺には、どうする事も出来ない。自然と体は前のめりに倒れ、机の上にへと突っ伏した。



「おやすみなさい……まーくん♪」



 そんな彼女の言葉を最後に、俺の意識は深く沈んでいった。一瞬にして、深い眠りにへと落ちたのであった。



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