第13話

 



「あなた達、何を朝から辛気臭い顔しているのよ」



 まるでお通夜みたいね、と言いたげな感じに、俺と神谷に向けて背後から声が掛けられる。



 その声は俺達にとって、聞き慣れたものであった。何なら3年間は聞いてきた声でもある。



 だからこそ、声を掛けたのは誰なのかとは、今更ながら思いはしない。



 それが誰かという確信を持った上で、俺は後ろを振り返る。



 神谷もワンテンポ遅れはしたものの、俺と同じく振り向いた。



「何があったのか知らないけど、止めて貰えないかしら?」



 振り向いた先に立っていたのは、ふんわりとしたショートボブの髪型をした女性。



 女性らしく必要最低限の化粧し、俺達を見る瞳はキリッと切れ長な目である。



 香花を表す印象を可愛いとするなら、彼女の印象は真面目といったところだろうか。



 実際のところ、彼女は自他認める程、真面目で勤勉な人物である。



 それを証明するかの如く、彼女の着るスーツはピシッと綺麗に整えられている。



「そんな顔をされてると、私や周りの幸せまで逃げていきそうよ」



 強い口調で、まるで迷惑そうに彼女はそう言ってきた。表情からして不機嫌そうなので、間違いないだろう。



「何だよ、津田。俺達を不幸の感染源みたいに言いやがって。こうなってる理由も知らないくせに、失礼だぞ」



「失礼も何も、事実でしょ。神谷にはどうやら、その自覚が足りてないようね」



 物怖じせずに、はっきりと彼女はそう言った後、いつも掛けている眼鏡を右の人差し指で掛け直した。



 彼女の名前は津田深雪つだ みゆき。俺や神谷と同じ年に入った同期入社組であり、年齢も俺達と変わらない。



 席も俺の隣(神谷が右隣であり、津田が左隣)である事から、この職場では、必然的に関わる事の多い相手である。



「どうせ神谷の事だから、また二日酔いでしょ」



「な、何で分かった……!?」



「顔を見れば分かるわ。その青い顔、もう見飽きてるから。いい加減、学習したらどうかしら」



 何度も同じ目にあっても懲りていない事に呆れながら、津田は神谷にそう言った。



 神谷は心底と悔しそうな顔をしているが、事実なので言い返せないのだろう。何も言わず、歯噛みをしているだけであった。



「まぁ、神谷の事はともかく。何で依田も同じ様な顔をしている訳なの?」



「それは、だな……」



「まさか、あなたも二日酔いとか?」



「いや、俺は別に違うけど……」



 煮え切らない態度で、俺は言葉を返していく。中々に言い辛い話題でもある為、それを言ってしまうのが憚られたからだ。



「ふーん……」



 しかし、そんな俺の態度を見ただけで、津田は何を悩んでいるのかを察してくれた様だった。



「彼女さんの事で、また何かあったの?」



 俺が言わずとも、津田の方からそう言ってきてくれたのだ。



「……はい」



 津田からの問い掛けに、俺はそう言って頷いた。ここは素直に認めてしまった方が、話の進みは早い。



 実を言うと、津田も俺の彼女―――香花の事を知っている(実際に会った事は無い)。数少ない俺の相談相手の一人なのだ。



 前に神谷に向けて香花の愚痴を零していた時、それを偶然にも津田に聞かれてしまったのが切っ掛けである。



 それ以降は女性目線からのアドバイスを貰ったり、どんな事をすれば香花が喜ぶかを尋ねたり、これまで随分と助けて貰っている。



 正直なところ、津田には頭が上がらない。隣に座る神谷とは大違いであった。



 ちなみに俺が神谷に求める役割としては、愚痴を聞いて貰うのがほとんどである。それ以外はあまり求めていない。



 他の事を相談したとしても、解決された例は片手で数えるぐらいしかない。なので、自然とそういった役割となったのだ。



「で、今度は何があったの?」



「昨日の夜に、神谷と上司の三人で飲みに行ったんだが……」



「それで、どうしたのよ」



「帰るなり香花に襲われて、拘束された上で浮気を疑われた」



「……」



 俺が昨日に起こった事を包み隠さず説明すると、津田はポカンと口を開けて絶句していた。



 あまりにも現実的ではない内容に呆れたのか、それとも何を言ったらいいか分からないといった感じだろうか。



 ひょっとすると、そのどちらともかもしれない。詰まるところはそんな反応であった。



「そ、その……本当に凄い行動力をしてるわね、彼女さん」



「その点に関しては、否定は出来ない……」



「……彼女さんは、何て言ってたのよ」



「そうだな……今朝も、寂しいって言われた」



「なら、そういう事なんじゃない?」



 そう言うと津田は軽くため息を吐き、少し移動して自分の椅子にへと腰掛けた。



「依田に構って欲しいんでしょ。そうしてあげればいいのよ」



「構うって言っても、なぁ……」



「別にそれくらいの要求なら普通の事よ」



「普通、か……?」



「一般的な彼氏彼女でも、そういう事はあるでしょ。変に考えずに、彼女さんの要求を満たしてあげれば解決するわよ」



 何でもないかの様に津田は俺にそう言ってくる。しかし、その何でもない事が香花を前にすると難題にへと発展するのだ。



 だからこそ、対応に悩んでいるというのもある。果たして、普通の括りに当てはめていいものかと。



「……あのさ。前から気になってたけど……」



「ん?」



「依田は彼女さんの事、好きなの?」



「……」



 彼女―――香花の事を好きなのか。その質問に対し、俺は直ぐに返事を返せなかった。



 その事に関して、俺はまだ明確な答えを持ち合わせてはいない。はっきりとはしていなかった。



 香花に脅され、渋々と付き合い始めた。その頃に抱いていた感情は『怖い』というものだった。



 普通と違う、普通とはかけ離れている彼女の感覚を、俺は怖いと思ったのだ。



 しかし、今はどうだろうか。昔と比べてその感情が薄れていないだろうか。



 少なくとも、大変だとは思ってはいても、明確に嫌いになる事は不思議となかった。



「……分からない」



 なので俺は考えた末に、そう返していた。結局のところ、俺が彼女に抱く想いは分からない、というのが現状なのである。



「……そう」



 納得いったのか、それともいっていないのか。そのどちらともいえない感じで津田はそう言った。



「まぁ、あなたがどう思っているのかはともかく、彼女さんを幸せに出来るのは依田しかいないんだから、しっかりしなさいよね」



「……善処します」



「ちなみにだけど、相手の機嫌を損ねた場合、何かしらのプレゼントを贈ると効果あるわよ」



「プレゼント……そう、なのか?」



「何もしないよりかはましね。私の事を考えてくれてるんだって、思ってくれるかもしれないから」



 物で釣る。言葉にすると汚い感じもするが、案外と悪くはない作戦である。



 早速、それを実行してみるとしよう。多少の出費は痛いものではあるが、彼女の機嫌を取れるというなら、安いものである。



「なぁ、津田。後でその……プレゼントについて相談を……」



「……はぁ。休憩時間の時にならいいわよ」



「ありがとうございます……」



 感謝の言葉を口にすると同時に、俺は津田に向けて深々と頭を下げた。本当に津田には、頭が上がらない。



「それとさ……もう一つだけ、聞いてもいいか?」



「何よ。まだ何かあるの?」



「香花がする様な事って、その……普通のカップルでも、してしまう事ってあったりするのか?」



 ただの興味本位でしかなかったが、俺がそれを津田に尋ねると、彼女はとても嫌そうな表情を途端にし出した。



「依田。その質問はデリカシーが無さ過ぎ。それって暗に、私もしているのかって聞いてるのと同じだから」



「……すみません」



「……少なくとも、私は違うわよ。そんな事を実行しようとも、考えもしないから」



 渋々ながら津田は俺の質問に答えてくれた。分かってはいたが、香花の行動はやはり普通からかなり逸脱してるのだろう。



「でも、それを言えるって事は……津田って、彼氏いるんだな」



 と、そこへ突拍子もなく神谷がそんな事を言い出したのだ。それはちょっと、俺の質問以上にデリカシーの無い内容だと思うのだが。



「なぁ、そこのところはどうなんだよ?」



「……神谷。あんたは黙ってなさい」



 お前には関係ないとばかりに、津田はそう言った。その言葉の端端には、強い怒りの感情が籠められている。



 それを神谷も感じ取ったのか、それ以上の事を追及する事は無かった。黙って目の前にある、見る必要性の無さそうな資料に目を通し始めた。



 俺の時もそうだったが、何でこの男はこうも、あちらこちらの地雷を踏んでしまうのだろうか。



 そしてそこで話は一区切りにし、俺達は仕事に取り掛かり始めた。



 愚痴を零し、相談も出来た事で多少は晴れやかな気持ちのまま、俺は目の前の業務に打ち込めた。



 こういった意味合いでは、本当に二人には助けられている。また今度、お礼として何か飯を奢るとしよう。



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