第10話 誰もいない席。

「ごめんね、いつも遅くなって……」


 恋人が申し訳なさそうに言うのに、「気にしないで」と返す。いつも通り訪れたB組の恋人の席。いつもは彼女が去った後に訪れるのだけれど、今日は偶然早く来てしまった。

 「昼寝するのに丁度良いし」と言えば、恋人はくすりと笑って信じていないようだった。


「それじゃあ、行ってくるね」


 そう言って去って行く恋人にひらりと手を振って見せて。柚木は早速いつも通り、彼女の席に着いた。くわりとあくびをして、軽く伸びをして。

 あれ、と思った。


 彼女がいない。


 まだ生徒たちが騒がしい教室内。いつもそこにいたはずのあったはずの人影がそこになくて、少しだけ違和感があった。


 机の中にも、荷物がないみたいだし。


 休みなのだろうか。


「ねえ、ちょっと良い?」


 柚木は恋人の隣の席の男子にそう声をかけた。男子は不思議そうな顔で、「何?」と応えて。

 ふと、考える。

 何を聞こうとしたのだろうか、と。

 彼女が休みだということだろうか。彼女とは誰だろうか。そもそも自分は、彼女の名前さえも知らないのだ。


「……えっと、あの席の子なんだけど」


 言って指を差せば、男子は「ああ」と呟いた。「春川さんね」と。


 春川って言うんだ。あの子。


 そう心の中で呟きながら、柚木は「そう」と頷いて見せた。


「春川さん、今日休み? どうかしたの?」


 素直にそう訊ねてみる。特に意味はないけれど、気になったものだから。

 男子は不思議がることもなく、「早退。風邪みたいだった」と答えた。


「朝から調子悪そうだったって他の女子たちも話してたし。二限くらいで帰ったぞ」


「……ふーん」


 風邪、か。


 それを知った所で、どうというわけでもないのだけれど。

 「じゃ、部活あるから」と言って去って行く男子に「ありがと」とだけ言って。何となく淋しい心地になりながら、柚木は今日も机に突っ伏した。

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