第11話
屋上の風は今日も心地良く、沈んだ気持ちを多少は和らげる。
頬を撫でる風にタバコの煙も持って行かれて、藤原にも等しく風は撫でつければ、彼女の黒く線の細い髪が舞う。
彼女は肩まで伸ばした髪がまた猫っぽさを演出している気がするが、どうだろう?との僕のアホな質問に神崎はさきほどから唸って考えていた。
彼は今日、会った時から何か言いたいことでもあるのか僕の顔色をずっと窺っている。そのために下らない質問をしてやったのに彼はその質問に縛られてしまった。
僕はそのどうでもいい質問をしながらタバコを吸い、先端から散った火花が指について痛みを感じた。
それが生きているということなのだと当たり前のことを自覚する。しかし、そんな生きて、タバコを吸って、指の痛みを得るのみの生ならば早く散ってしまっても良い気もする。
生の期限に気を揉んでみたり、呆気らかんとその事実を受け入れたり、僕の心は最近忙しい。
僕は契約とも取れる、寿命の取引を思い出したが、それならば僕を延命させた奴のメリットとはなんなのだろう?とこれまたどうでもいいことを考える。
あいつが何者かは分からないが雰囲気からして良い奴ではない気がする。天使か悪魔かと言えば後者だし、死神の類のような気もする。
オカルトは信じないのだがこうして摩訶不思議な事象に自分が見舞われると、そういった映画をもっと観ておけばよかったと後悔した。
まぁ観ても数分で飽きて、タバコを吸って、酒を飲むのだろうが。いや、酒の肴としてはいいかもしれない。
今日は近所のビデオレンタルショップにでも赴こう。
僕はそうして今日の予定を頭で組み立てながら、ふと藤原の方に目をやった。彼女は給水塔から町を眺めていた。
そして、僕が見ていることに気がつくと、一瞬、こちらに目をやって、何故かすぐに目を逸らした。
神崎はそれを不思議そうに眺めていた。
そして、僕の顔を見て、微笑んだ。
「今日の朝、藤原さんが教室に来たんだ。二限目の途中ですぐにいなくなっちゃったけど、でも来たんだよ。すごいことだよ」
彼はそれがまるで自分のことのように藤原が来たことを喜んでいた。そうしてまたまん丸の顔に二つのえくぼを作って微笑む。
こいつは聖人なのか?と思いながら、僕は無言でそのえくぼの一つを押してみた。彼は「え?何!?」と素っ頓狂な声を発して驚いたので、「すまん。押してみたくなった」と素直に言えば、何やら恥ずかしそうに身をもじもじとくねらせていた。
「別に、たまにはいいかなと思って、気分転換に行ってみただけ………それだけ」
藤原は僕たちの幼稚な遊びを上から見下しながら、軽い口調で言う。
嘘つけ。彼女のことである、本当は不安に押しつぶされそうになって涙目で教室に入ったに違いない。
しかし、そこに言及せずに彼女に軽く聞く。
「で。どうだった?」
「別に案外普通だった。いつも来ていない不登校児が顔を出したから驚いていた生徒もいたけど、特に話しかけてもこなかったから良かった。そういえば教師が一番、驚いていたわね」
そういうと彼女は乾いた笑い声をあげて、なにやら思い出したように給水塔から降りてくる。
「そう言えば、須川は覚えている?約束」
「約束?」
僕がとぼけると、彼女は猫目をぎらつかせて、こちらに睨みをきかせる。今にも噛みついてきそうな彼女を警戒して身をのけ反らせる。
しかし、一瞬、悲しそうに目を伏せたので、慌てて訂正する。
「ああ!覚えてる。覚えてる。あれだろ?なんか藤原の好きなところに連れていけってやつだ?」
「そう!なんだ覚えているじゃん」
彼女はふふんっと鼻を鳴らして、その場に座り込む。
神崎は「何?何?なんの話?」と興味津々にこちらに聞いているが、藤原が「あんたは知らなくてもいい話」と早々に話を切り上げたので、彼は悲しそうにこちらに視線を送ってくる。
「別に隠すことでもないが、彼女が教室に行けたら、僕が何かプレゼントするって話」
「そうなんだ!じゃあ、僕も何かした方がいい?」
神崎は目を爛々と輝かせて、そう藤原に聞いていたが、藤原はそれをすげなく断っていた。
神崎はこの輪の中に入りたかったのだろう切ない表情でいたので、今日は一緒に帰ろうと声をかけると嬉しそうに顔を綻ばせた。
藤原が猫なら、神崎は犬だな。彼の後ろに見えない尻尾が揺れているのが容易に想像できる。
「私はもうちょっとここにいる」
藤原は笑顔でそういった。僕はその彼女の顔を見て、何故か安心した。そこにはもう冷めた諦観のこもる瞳はなく、希望の光が見えた気がした。
彼女もこの屋上に来て、やっと景色を純粋に楽しむ精神を理解したのかもしれない。そうなれば君はもう屋上マスターだ。言うことはないと僕と神崎は屋上を後にした。
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