第7話

 「男の子の部屋って初めて入った」


 彼女はそう言うと、僕のベッドに腰かけた。


 そしてそれっきり口を閉ざした。


 彼女のその言葉にどこか興奮している自分がいるものの、明らかにいつもと違う彼女を気遣い、僕の軽口は鳴りを潜めた。


 そもそも僕の言葉に従ってそのままついて来る彼女はあきらかにおかしい。


 いつも気だるげに屋上の貯水タンクに寝そべり、僕が来れば「にーちゃん。タバコくれよ」とアホなことを抜かす藤原だが、今日は会った時から魂が抜けたような状態であった。

彼女に何かあったことは間違いない。

しかし、それを安易に尋ねても彼女は答えてはくれないだろう。


 僕は「水でも飲むか?」と問う。


 彼女は一瞬、部屋を見回して、「いい。いらない」と断る。ああ。確かにこんな酒とタバコの匂いの強い部屋の中で水など飲みたくないか。


 僕は換気のため窓を開けると、雨はもう止んでおり、遠くに虹も見えて、一人盛り上がっていたが、藤原はどこか遠くをみるような目で一瞥くれて、床に視線を戻した。


 彼女がそんな様子であると、こちらまで気落ちしてしまう。


 何か話題でもないかと頭を働かせるが、何故、同級生の、いわば他人のために僕が悩む必要があるのかと疑問に思う。


 そもそも彼女が悩んで、雨降る夕刻の町を歩いていようと僕に関係はない。僕は何故に彼女に親身になっているのだろう?はて何故だろうなぁと考えていると、僕は無意識にタバコに火を付けていた。


 「家でも吸うんだ」


 彼女はようやく口を開いた。


 「やめようか?」


 「ううん。須川の家だし」


 僕は「そう」と相槌を打つと、いつものように酒に手を伸ばそうと思ったが、この場で酔って、よしんば彼女に酒でも飲ませてしまったら駄目だとその手は宙で止まったままになった。


 「というか須川。一人暮らしだったんだね」


 「まぁな。仮住まいだがな………愛人の家だ」


 「ほ?」


 彼女は今までの無表情がウソのように鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見せた。


 「ほ?ってなんだ?冗談だよ」


 僕はそれが面白くなり少し笑うと彼女もつられて笑った。そして一言「センスない」と宣った。

彼女は少しは落ち着きを取り戻したのかため息をつき、一呼吸置いて僕に尋ねる。


「ねぇ。なんで一人暮らししているか聞いてもいい?」


「ああ。大したことじゃない。ただ学校が家から遠かっただけだ」


僕は嘘をついた。僕の過去を今、精神的に沈んでいる彼女に話すのは得策ではない。

全くもって楽しいとは言えない僕の過去話を彼女にする意味はない。

しかし、心の何処かで聞いて欲しい自分もいて、やはり死期の近い人間は身勝手になるものかと一人納得した。


 外はもう虹が消えて、日も落ち、夜の帳が開いていた。








 僕が三本目のタバコに火を付けて、小説を読んでいると、急にくぅぅっと蛙の鳴き声が聞こえた。


 僕は部屋に蛙がいるのかと音の方に顔を向けると、藤原が顔から火が出るほど真っ赤にしていた。

そして猫の様な俊敏さで立ち上がると、身を翻し玄関に向かった。


 「ん?藤原?」


 「か…………帰る!!」


 急に叫びだして、ベッドから立ち上がり部屋から出ようとしたので、僕は思わず彼女の手を掴む。


 「きゃっ」と短い悲鳴を上げて、彼女は態勢を崩してこちらに倒れこんできた。不意に僕が掴んだことで、足が絡まったのかもしれない。


 そうして、咄嗟のことに目をつむってしまった僕は、何か違和感を覚え、目を開けると、目の前に藤原がいた。


 ちょうど僕に抱きつくように藤原は僕の胸に飛び込んできたのだ。


他人から見ればお互いの息がかかるほどの距離で抱き合っている淫らな男女に見えるだろう。


 ラブコメ漫画が脳裏をよぎったが、それにしても何ともタイミングが悪い。もし普通に家に招いていたらこのままいくとこまで行くのも男のロマンだろうが。


 藤原も状況に気が付いたのか一瞬、狼狽したように目の焦点が合っていなかった。僕は早くどこうと思い手を床について、そのまま横にスライドする。


 しかし、それは藤原により遮られた。


 僕は驚いて藤原の顔を見る。藤原は先ほどのように真っ赤な顔だが、しかしながら無表情であった。彼女の真意が読めない。

僕は眉を顰めて、彼女の動向を伺う。


 「悪かった………すぐ退くから訴えるなよ?」


 僕は軽口をたたいて、また退こうとするも、彼女は僕の手を握りしめた。そして、そっと耳元に唇を近づけると、その小さな口を開いた。

微かに耳にかかる彼女の吐息に身震いし、目も耳も鼻も全ての神経が彼女に研ぎ澄まされた。


 「このまま、ヤってみる?」


 それは青天の霹靂。藪から棒。窓から差し込む月光が彼女の艶かしい瞳と唇を照らしていた。


 





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