2‐2‐1 街道第三都市ラースリー

 迷宮都市グログロアは山々に囲まれた都市だが、その東だけは切り開かれて平坦な道となっている。

 その道を二日ほど進むと、南北に伸びた巨大な舗装道路に差し当たる。


 姫巫女一行はその前に立ち尽くしていた。


「はぇぇ」


 閉人は目の前に広がる光景に絶句していた。

 東に向けて田園地帯が見渡す限りに広がっており、左右に分かれた道は遥か彼方まで続いている。

 まるで世界に引かれた境界線に立っているような、そんな不思議な気分に閉人は浸っている。


「この国の交通を支える『街道』だ。ここから北西にずっと行くとエルフの地『大森林ジュサプブロス』に辿りつく」

「へぇ……それにしても広いなぁ」

「ですねえ」


 解説にふんふんと頷きつつ、閉人とエリリアはだだっ広い平野を見渡した。

 グログロアから目と鼻の先の場所とは思えない穏やかな光景に、閉人は思わず欠伸が出そうになる。

 遠くでは、農家らしき人が牛を使って野を耕している。


「いい天気ですねー姫さん」

「ぽかぽかですね」


 二人は気が抜けたように田園を眺めていた。

 ジークマリアは一つ咳ばらいをした。


「のほほんとしている暇はありませんよ、姫様。陽が落ちるまでに宿場町ラースリーにつかなければ門に入り損ねてしまいます」


 閉人は意外そうに首を傾げた。


「夜は街に入れないってのか?」

「そうだ。門の前で逃げ場も無く『七つの殺し方』に襲われるかもしれない」

「そんなしょうもないタイミングで襲ってくるかぁ?」

「断言はできん。だが思い出せ、今まで戦った奴らは必ず不意打ちで先手を取ってくる。狙い目になるような隙は作れない」

「確かに、そう言われればそうか」


 閉人は思い出す。

 フィロ=スパーダの時はグログロアの街中で突如攫われ、アイリーン=ベルカの時は上空から銃で部屋ごと蜂の巣だった。

 今度はどんな手を使われるかなど、想像もつかない。


「油断は禁物なのだ。閉人、貴様も常々気をつけて……」


 ジークマリアは閉人への小言で会話を打ち切ろうとした。

 しかし、その言葉を最後まで紡がれなかった。


「喝ッ!」


 突如ジークマリアは魔槍アンブラルで背後の空間を一閃した。

 空気の裂ける音がヒュッと囁いたが、それは文字通り『空を切っていた』。


「む、違った……か?」


 手応えの無さに納得がいかない様子でジークマリアは周囲を見回す。

 しかし、異変が起きている様子は無い。


「マリィ、何か感じたの?」

「いえ……勘違い、だったようです」


 ジークマリアは諦めた様子で首を横に振るのであった。



 †×†×†×†×†×†×†



「おやおや、あれに気付くとは中々の感性ですね」


 姫巫女一行の遥か後方をゆっくりと進む駅馬車の客室にて、殺し屋ゼペット=マペットはジークマリアを称賛するべく手を打った。

 その左手には、蜘蛛の紋章が刻まれた魔導書が開かれている。


「失敗か?」

「いえ、成功ですよ」


 ゼペットが指で空気を引っ掻くと、テディ=ドドンゴの眼前に一匹の小蜘蛛が天井から降りてきた。

 ゼペットの指の動きに合わせて小蜘蛛は足をわさわさと動かす。

 まるで、その尻から伸びる糸を通じて操られているかのように。


「気配は囮です。標的が気を取られている間に目印を付けました」

「そうか。ではラースリーで仕掛けるか」

「そうしましょう。今回はどれだけ巻き添えが出てもクライアントがもみ消してくださるそうですし」

「それはいい」


 彼らの物騒な会話は、駅馬車で乗り合っている同乗者たちに丸聞こえだった。

 しかし、乗客たちに殺し屋たちの会話を聞いて驚くような素振りはない。

 それどころか、目をとろんとさせて虚空を見つめている。


 客席からは見えないが、馬の手綱を操る御者もまた朦朧とした様子で空を見上げている。

 しかし、時折思い出したように身体だけが馬車の運転をしっかり続けている。


 彼らの首筋には目に見えない程の細い糸が突き刺さっていた。

 その糸を通じて送られている信号が彼らの全てを支配しているのだ。


「ランク八、傀儡魔術『斑糸蜘蛛謀殺人形アラゴグフォビア』。対象の神経に介入し、意のままに操れる人形の魔術」


 ゼペットの右手にはエーテルを帯びた粘糸が無数に絡み付いている。

 それらが蜘蛛の巣のような神経情報網を形成し、ゼペットの意思を仲介している。

 これに繋がれた人形たちは彼の一存で容易く自らの命を絶つし、また見境なく他人も殺してしまうだろう。


 ゼペットの手並みを目の当たりにしたテディ=ドドンゴは、岩のように節くれ立ったヒビだらけの両手を一度握りしめ、そして開いた。


「ランク三、魔術『爆殺弾ハンディース・カウントアップ』」


 その手は真っ赤に熱せられて湯気を吐きだした。

 ゴツゴツとした掌には時計の文字盤の如き紋様が浮かび上がる。


「それが例の?」

「ああ。人を『哲学』に変える、我が魔術よ」


 テディ=ドドンゴはその焼きゴテの如き両手を乗客たちの額に押し当てた。

 ジウッ、と肉の焦げる嫌なにおいが駅馬車に充満した。


 しかし、誰も悲鳴を上げはせず、発せられる悪臭を厭う様子も無い。

 正気を保っているゼペット=マペットだけが、胸を押さえていた。


「おえぇ、しかし、こりゃ酷い匂いですね……」


 ゼペット=マペットは毒づきながら客車に設置された窓に手をかけた。

 窓の金具を外し、硝子戸を押し開ける。


「ふぅ……」


 安堵したのも束の間、


「……え?」


 ゼペットは目を丸くして青空を見上げた。


「何だ……あれ……?」

「どうした?」


 テディ=ドドンゴが手を止めて同じ窓枠に手をかける。

 窓枠が熱せられてまた嫌な匂いがし始めたが、それに構わず殺し屋二人は空を見上げた。


「何もないじゃないか」


 言われて、ゼペットは空を探す。

 彼が見た『何か』はもう影も形も無く消失してしまっていたのだ。


「すみません……見間違えでした」


 ゼペットは咳を一つすると、誤魔化しつつ元の座席に戻った。

 その額には、一滴の汗が浮かんでいる。


(そうとも、見間違えに決まっています。全裸のエルフが宙に浮かんでいたなんて……)


 ゼペットはこの馬鹿げた出来事をテディには伝えなかった。

 言っても信じなかったろう。


 その事による一瞬の判断の差が、この殺し屋二人の運命を分けることになる。

 だが、彼はそんな運命に気付く感性など、ハナから持ち合わせていないのであった。



 †×†×†×†×†×†×†



 街道第三都市ラースリー。

 『第三』とは、王都ハルヴァラから数えて街道沿い三つ目の都市であることを意味する。

 細かい宿場町を加えると第三どころかもっと沢山の街があるのだが、都市としての諸権利を国から承認されている中では『三つ目』なのであった。


「どうにか宿が取れました、姫様」


 暮れかけの夕日に赤く照らされる中、ジークマリアが宿屋から出てきて親指を立てた。

 いくつもの宿を巡って、ようやくであった。


 閉人とエリリアは同時にほっと胸を撫で下ろした。


「やっと休めるのかぁ」

「疲れた~」


 二人は無邪気に宿屋に入っていく中、ジークマリアだけが周囲を見回していた。


「……?」


 誰かに見られているような薄気味の悪い気配がしている。

 しかし、ジークマリアの優れた感覚を以てしても、その出所が分からなかった。


 その場合、考え得る可能性は二つある。


 一つは、勘違いであるということ。

 ジークマリアとて人間であり、ミスをすることは大いにあり得る。

 時には、気にしたところでまるで意味がないような事柄も存在する。


 もう一つは、彼女の感知できる範囲を超えた領域で既に攻撃が開始しているということ。

 魔術という攻撃方法がこの世にある以上、その可能性を捨てきることはできない。


(来る。そう考えるに越したことはないな)


 ジークマリアは最悪を想定することにした。

 フェザーンの時のように、エリリアが攫われるようなことはあってはならないのである。



 後で聞いてみれば、そこはラースリーでは一番高い宿だったらしい。

 有力者や貴族が泊まるような高級宿。

 一晩で普通の商人や旅人ではとても手が出ない値が持っていかれるという。


「おい、こんな高い所で大丈夫かよ」

「問題ない。今回はギナイツ家にツケておく」

「ツケ? そんなの通じるのかよ」

「余計なお世話だ、早く来い閉人」

「行きますよー、閉人さん」

「へーい」


 宿の豪勢な飾りつけに見惚れていた閉人は、慌てて二人についていく。


「ようこそ、お迎えできて光栄でございます。エンシェンハイム様、ギナイツ様」


 宿の支配人らしき男が深々と頭を下げた。

 言葉通り、エリリアとジークマリアに対して深々と。


「宿代はギナイツ家にツケておいてくれ」

「かしこまりました」


 息をするように話がまとまっていくのを目の当たりにし、閉人は絶句した。


(そうか……二人共、ガチ貴族なんだもんな)


 エリリアはグリモア議会の姫巫女様だし、ジークマリアは騎士の家系だ。

 それはやはり、この世の中では凄い事なのだ。


「ではこちらへ。お部屋へご案内しましょう」


 閉人のことを半ば無視しつつ、支配人は一行を部屋へと導く。

 閉人はちょっといじけつつもその後に続くのであった。



 で。



「さ、寂しい……」


 閉人は一人別室で溜め息を吐いた。

 そこは閉人用にあてがわれた部屋で、エリリア・ジークマリア組が泊まる部屋の真下に位置している。


 男女別室。

 当たり前と言えば当たり前だが……


「畜生、予想外に寂しい……ッ! ジークマリアの奴め、普通、階まで別にするか?」


 閉人は膝を抱えて涙目になるのだった。


「ううぅ、姫さんとお話ししたい。遊びに行ったら怒られるかな……」


 閉人はヤキモキとしながら毛布を被った。



 †×†×†×†×†×†×†



 そんな中、事態は確実に進行していた。


「良い宿に泊まってますねぇ。最上階、最高級スィート。さすがは議会の最高戦力」


 ラースリーの片隅、しがない民家の一つでゼペット=マペットはくつろいでいた。

 家に住んでいた住人達は既にゼペットの魔術の餌食となっている。

 今は家の外、とある場所を目指して歩き出していた。


 彼と魔術の糸でつながった、小さな『目印』の位置へと。


「目がどんどん増えていく。昆虫の複眼のように」


 用心深い彼は直接標的を視認することは無い。

 無数の人形を介して、間接的に、立体的に、複合的に、彼は獲物を追い詰めていく。


 空から街を見る視点を持てば、その異変に気が付く事ができたかもしれない。

 エリリア一行の泊まる高級宿の周りに人影が少しずつ増していく。

 夜の賑わいに染みこませるように、徐々に、徐々に。


「ゼペット、こちらの仕込みはすんだ」


 外から戻ったテディ=ドドンゴが赤熱した両手を示す。


「こちらもです。派手に、面白く始めましょう」

「ああ。安全に確実に、な」


 殺し屋たちの二重奏の第一音が鳴る。

 宿の扉を蹴破り、虚ろな目の人々が……



『断章のグリモア』

 その40:ツケについて


 閉人たちは今回ジークマリアの『ツケ』によって宿を取った訳だが、その影にはマギアス魔法王国で発展しつつある為替事業がある。

 じつの所ジークマリアはチェックイン時に小切手にサインをし、ギナイツ家に対する宿代分の債権を発行している。宿はこの小切手を然るべきところで換金し、その債権を手にして者がギナイツ家に対して代金を請求することもあれば、その権利を他者に売りつけることも出来る。

 現在こういった為替事業の中心に国は介入していない。

 バランサーバニア商会連合と呼ばれる商人ギルドの複合体が実験的に事業展開し、その価値を担保しているのだ。

 いつかその中枢と閉人たちが出会う事もあるだろう。

 その端緒を、既に閉人たちは手に入れているのであった。

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