2‐1‐4 第二の旅立ち
閉人はグログロアの下層に佇むこじんまりとした扉を叩いた。
「どうぞ。そろそろ来る頃だと思っていたよ」
「どうもです、ベルモォトさん」
そこは冒険者パーティ『曇天の狩猟団』の事務所。
奥の執務机で何やら書き物をしたためている男が眼鏡を外した。
団長、ベルモォト=フラウ。
グログロアのギルドにも発言を持つ実力者だ。
かつて閉人はグログロア近辺の山中で『曇天の狩猟団』と出会い、なんやかんやの末にベルモォトから不死者の武器、『魔銃カンダタ』を譲り受けたのだった。
閉人にとって、エリリアやジークマリアとの関係を抜きにした、今のところ唯一の知り合いでもある。
「これ、お土産です」
閉人はそう言って酒瓶を取り出した。
これはボリ=ウム秘蔵のものではなく、閉人がフェザーンを離れる間際に買ったものだ。
家族に買うお土産を買い忘れていた修学旅行生の如く酒屋に飛び込み、里の為に戦った英雄価格で地酒を買う事が出来た。
「フェザーンの『空酒』か。中々希少な品と聞くが、貰ってしまってよいのかね」
「もちろんですよ。俺たちは……向こうでたくさん呑ませてもらいましたし」
身も蓋もない閉人の返答に、ベルモォトはクスリと笑んだ。
「では、いただいておこう」
ベルモォトは瓶をそっと棚にしまい込むと、思い出したように訊ねる。
「そう言えば、
「ッ!」
閉人が目を丸くすると、ベルモォトは苦笑した。
彼からしてみれば、『知らぬは本人ばかりなり』なのである。
「業界では結構有名になっているよ。『魔笛の空賊団』の討伐は本来三大権力の一つ『杖の騎士団』の仕事だったのだが、何らかの『圧力』によって動きが鈍っていたようでね。冒険者たちに討伐クエストが回ってくるのも時間の問題だと噂されていたのだが、君たちが討伐してしまったのでその心配も無くなったという訳だ」
自分たちがしたことが知られている。
閉人にとって意外な事であったが、それよりも気になるのは、
「『圧力』……ですか」
あの一件に裏があるのだとすれば、聞き過ごせない。
確かに、もしもフェザーンが陥落していたら王国にとっては大ごとだっただろう。
リリーバラのような事が各地で起こっていたならば、未然に空賊団たちを殲滅する動きがあってもよかったはずだ。
誰かがそれを鈍らせたとすれば、それはフェザーンへの攻撃でもあるし、間接的な姫巫女一行への妨害でもある。
「私にも詳しいことは分からないが、三大権力規模で不穏な動きが起こっているのは間違いない。恐らくは、君の主にとっても無関係ではあるまいよ」
「……」
閉人は拳を握りしめた。
しかし、握り拳をいくら作っても戦いにはクソの役にも立たないことは、まだまだ短い冒険の中で学び取っていた。
「ベルモォトさん……俺、強くなりたいです。何があっても仲間を守れるように」
ベルモォトは短く息を吐くと、執務椅子の背もたれに深く身体を預けた。
「中々の難問だな。『不死者』にとって実戦に勝る糧は無いだろうとは思うが、あくまで護衛の身である君にとって、戦闘こそ極力避けるべきもの……」
ベルモォトは顎に手を当てた。
「もし君が冒険者だったなら、いくらでもシゴキようがあるのだがね。深層に連れて行って生存訓練を行うだけでも見違えるとは思うが、片道何週間もかけている時間的余裕も無い……」
言いながら、ベルモォトは小さく手を打った。
「そうだ、君には強い仲間がいるじゃないか。ジークマリア=ギナイツ、彼女に鍛えてもらえばいい」
「え、えぇ……そりゃ、アイツに習うのが一番早いんですが……」
閉人はついこの前ジークマリアに顔面をぐしゃぐしゃにされたことを思いだして眉をしかめた。
それを見て、ベルモォトはニコリと微笑んだ。
「では、宿題としよう。次の旅の間にジークマリア=ギナイツから一本取ってきたまえ」
「む、無理です。あいつ、強すぎますもん……」
閉人は露骨に嫌そうな顔をしたが、ベルモォトは構わず続ける。
「無理? それは大変よいことだ。『強くなりたい』という事は、そういう『無理』な相手にも勝てるようになりたいという事。違うかね?」
「っ!」
閉人は図星を突かれて息をのんだ。
「君の願いを受け止めてくれる『勝てない相手』は私か彼女ぐらいなものだろう。しかし、君と私とでは都合が合わない。君は旅人で、私は冒険者だからな。だとすれば、一つだ」
「……」
閉人は喉の奥がひりつくのを感じた。
まるで勝てる気がしない。
百回やったら百回バラバラにされるに決まっている。
その絶望感は、閉人がこれまでに何度も感じていたそれに似ている。
殺し屋フィロ=スパーダに囚われて手を切断された時。
リリーバラでイルーダンの放つ矢に全身串刺しにされた時。
フェザーンの寺院で空賊団の銃撃にあった時。
悪夢に閉ざされて自分を見失った時。
イヴィルカインの大魔術の前に絶体絶命の危機に陥った時。
イルーダンを討ち取った直後、力尽きてアラザールの背から振り落とされた時。
無理だ!
と、閉人は叫びたくなったが、『だからこそ』なのだ。
(ベルモォトさんの言う通りだ。そもそもジークマリアにばっか苦労させてられるか。アイツに勝てるぐらいになんなきゃ……意味がねぇ!)
「気持ちは決まったと見える」
「はい、やってみます!」
「よろしい」
ベルモォトは一本の指を立てた。
「では順番が前後するようだが、かつて私の仲間だった『不死者』、あの男が用いていた『不死者』の闘法を一つ、君に伝えておこう。今の君なら、使いこなせるだろう」
「はい、お願いします」
閉人は勢いよく返事し、ベルモォトの語る内容に聞き入るのであった。
†×†×†×†×†×†×†
閉人が去った後しばらくして、『曇天の狩猟団』の扉を誰かが叩いた。
「おっと、もうそんな時間だったか」
冒険支度をしたベルモォトが扉を開くと、そこには二人の男が立っていた。
一人は筋骨隆々としたドラゴニュートの男で、もう一人は背の低いヴァンパイヤの男。
ゴロツキ冒険者、ペイズリーとカラクサであった。
「ベルモォトさん、そろそろ隊が出ますぜ」
「深層を目指すってのに、アンタがいなきゃ始まらん」
「ああ、今行こう。そろそろ彼を見つけない事には、『大魔法陣』に間に合わないからな」
「?」
ベルモォトと並んで歩き出したカラクサとペイズリーは訝しんだ。
彼の言う『大魔法陣』とこれからの冒険が、まるで結びつくとは思われなかったためである。
ベルモォトには、彼なりの何かが見えているらしい。
「『強者』への挑戦もいいが、あるいはそれよりも重要なことがある。それはずばり、『好敵手』なのだよ、閉人君」
ベルモォトは呟くと、次の瞬間にはこれからの冒険の事を考え始めていた。
グログロアの地下に広がる迷宮は、別のことを考えながら歩けるほど生ぬるくは無いのである。
†×†×†×†×†×†×†
「しっかし、エルフの森かぁ……」
閉人のエルフに対するイメージは、今のところほぼイルーダン=アレクセイエフの強烈な印象で黒く塗りつぶされている。
「あのヤローを輩出したってのは、相当だよなぁ」
「流石に奴と同じに考えるのは間違ってるぞ、閉人」
『旅立ち荘』で荷造りをしつつ、ジークマリアが釘を刺した。
「エルフは秩序と平和を好む。遥かな長命を持つために、むしろ保守的な意見を持つことが多い」
「ふーん、そこは定番通りか」
「何の話だ?」
「べつにぃ」
閉人は愛銃カンダタを磨きながら一人ごちた。
その頭の中では、今話しているジークマリアをどうやって倒すかを考えている。
「ってことは、目指す森とやらも平和なんだろ。盗賊とかもいないんじゃねぇの」
「恐らくはな。情報屋に当たったが、『魔笛の空賊団』のような目に見える脅威は見当たらないな」
「そりゃあいい」
「まったくだ」
しかし二人共、安心はできないという顔だった。
二人共、そんな情報が当てにならないような相手を知っている。
「むろん、『七つの殺し
「だよなぁ」
そんなことを作業の片手間に話していると、エリリアが台所から顔を出した。
「二人共、お茶にしましょう」
「あ、どうも」
「ありがとうございます、姫様」
三人はちゃぶ台のような小テーブルを中心に車座になって座った。
「そう言えば姫さん。今回の夢では何か変わった事ありました?」
「うーん、そうですねぇ」
前回の『夢見の儀』では、エリリアは邪竜アラザールとの戦いとその決着を見事に言い当てていた。
今回も何かあるに違いない。
エリリアはティーカップの縁を指でなぞると、何かを思い出した両手を広げた。
「そう言えば、閉人さんが凄いことになっていました」
「ま、またですか?」
「はい! 今度は『びよぉーん、がりっ!』という感じでした」
「え?」
「『びよぉーん、がりっ!』です。マリィといつもの組手をしているようにも見えましたけど……何だか楽しそうでした」
エリリアは自分でも首をかしげつつ、ニコリと笑うのだった。
三人は、また少しおしゃべりをしてから旅の準備を再開し、ジュゲムが起き出してくる頃にはすっかり旅支度を整えていた。
明日から第二の旅である。
「おやすみなさい。マリィ、閉人さん」
「おやすみなさい姫様」
「おやすみなさーい」
三人は新たな旅に備えて眠りにつくのであった。
それぞれの心にはどこか、予感があった。
今回の旅はきっと大丈夫。上手くやれるだろう。という良い予感であった。
だがしかし、姫巫女一行の旅がそう上手く運ぶはずもない。
『彼ら』がいる限りは……
†×†×†×†×†×†×†
「この街で仕掛けても良かったんじゃないか?」
ドワーフの男が何かを煙たがるように、カウンター席の隣に座る青年に問うた。
そこはグログロアの酒場であり、夜更けには仕事明けの冒険者たちでごった返している。
荒っぽい雰囲気の中、ドワーフの男はさらに輪をかけた荒事の匂いを漂わせている。
目つきは鋭く、赤っぽい肌には亀裂のように深い傷が無数に刻まれていた。
「ははは、流石にこの街では無理でしょう。ここグログロアにはベルモォト=フラウや例の『剣豪』がいる。思わぬ邪魔が入るかもしれませんよ」
答えたのは、隣のドワーフとは不釣り合いな優男。
淡い金髪に細工師のような装束。
荒事の世界では生き残れないような柔い物腰だが、その瞳だけは暗く静かで、重い。
青年の答えに、ドワーフの男は低く笑いつつ、杯を乾かす。
「それぐらいの方が混沌として面白い。むしろ、フィロが歪むきっかけになったという『剣豪』の具合も見てみたいものだ」
「僕はそんなの御免ですよ。仕事は安全かつ確実にこなすのが一番です」
「つまらん思想だな、ゼペットよ」
「いやいや、そもそも『殺し』が面白いものだと考えるのなんて、我々の中でもあなたかフィロ=スパーダぐらいなものですよ、テディ=ドドンゴ……」
ゼペット青年が言いかけた、その時であった。
一人の冒険者が二人の背後を通り過ぎようとして、
「!?」
ずっこけた。
それは酔いによる単純な足のもつれであるかのように見え、辺りからは失笑が起きた。
だが、転んだ冒険者はそう考えなかった。
「テメェ、足ぃ引っ掛けやがったな!」
冒険者は立ち上がると、青年ゼペットの襟首を掴んでがなり立てた。
「えぇ、僕ですか?」
ゼペットは心底困った様子で首を横に振るが、冒険者にはそれがからかっている様にしか見えないらしい。
「馬鹿にしてんのかテメェ! 表に出やろ!」
「ひぇ~ッ!」
ゼペットが冒険者に引き摺られて店の裏手へと連れ去られてしまうのを、ドワーフ『テディ=ドドンゴ』は変わらぬ暗い目で眺めていた。
他の冒険者たちはそれを笑って眺めている。
転ぶのが不運ならば、その腹いせにからまれるのも彼らにとっては同じ不運なのだ。
だが、テディ=ドドンゴだけは理解している。
冒険者が転んだのは酔いのせいでもゼペットが足を引っかけたせいでもない。
あの瞬間だけ足元にひも状の何かが張り巡らされ、冒険者の足に絡みついたのだ。
「……なるほど、実験というわけか」
テディ=ドドンゴは、質実剛健で知られるドワーフのそれとは思えぬ邪悪な笑みを浮かべて立ち上がり、ゼペットが連れ去られた店の裏手へと消えていく。
不運なその冒険者はその翌週、左手首だけが白骨化しかけた状態で見つかることとなる。
明くる日、姫巫女一行が旅立ったのを確認し、ゆるりと昼過ぎにグログロアを発つ二つの影は不敵に笑みを浮かべていた。
「儂と貴様の魔術を併せてあんな事が出来るとは。中々に面白いな」
「でしょう? これなら安全で確実、かつ面白い仕事が出来るはずです」
「よかろう、貴様の策に乗ってやる」
「どうも」
追っ手の名はテディ=ドドンゴとゼペット=マペット。
それぞれ、その二つ名を『爆殺』と『謀殺』といった。
『断章のグリモア』
その39:剣術について
殺し屋たちが話していたように、グログロアには『剣豪』がいる。
それはもちろんかの世界に剣術が存在し一定の評価を得ているからであるが、あちらの剣術はこちらのそれとは少し異なっている。
マギアス魔法王国において、剣術とは魔剣の術である。
即ち、魔術を書き込んだ魔道具としての魔剣を操って戦う術なのである。
今までに登場した中で言えば、ベルモォト=フラウが魔物グレイトタスクの首を刎ねた時に用いた『
あらゆる武器はその道を辿るのだが、魔術や他の武器との生存競争を繰り広げる中で最も原始的な武器である剣はその物理性を捨てた。
限りなく魔術に近づき磨き上げられた剣を初見で見切る事はほぼ不可能と言ってよい。
余談だが、かつてフィロ=スパーダは剣の道を志してグログロアで腕を磨いていたが、ある『剣豪』に敗れて歪み、殺しの道に走った。
その剣豪はグログロアに今も潜んでおり、閉人たちと紙一重を隔てた日常を暮らしている。
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