1‐3‐2 前夜祭

 第十話『前夜祭』



 閉人たちが逆襲の算段を進めている頃、『魔笛の空賊団』に攫われたエリリア=エンシェンハイムは一人、孤独な戦いに挑んでいた。



「私……こんなにはいただけません……」


 どこかの谷底にあるらしい、『魔笛の空賊団』のアジトでのこと。

 エリリアは、目の前に広げられた豪勢な食事に恐縮していた。

 長大な卓には嫌がらせに近い量の料理が並べられている。


「まるで、王宮の食事のよう……」


 エリリアは、姫巫女として高水準の教育を受けている。

 ここに展開されている食事にどれだけの手間と価値が込められているのかを理解できた。


 量はともかく、質がおかしい。


 

 各地の珍味が惜しげも無く取り揃えられている。

 察するに、リリーバラで行われようとしていたような掠奪が、各地で行われていたのだ。


「おや、お気に召しませんでしたか? 折角この私が丹精込めて作ったというのに」


 テーブルの対岸で『魔笛の空賊団』参謀、イヴィルカイン=フォーグラーが舌打ちした。

 折り目正しい作法で鶏肉のアップルソース掛けを音も無く切り分け、つまらなそうに頬張る。


「まったく、貴女の拒食ぶりにも腹が立ちますが、イルーダン殿の偏食ときたら。その日の気分で好き嫌いが全く違うというのだから、作る身にもなって欲しいものです」

「これを、あなたが?」

「そうです。まったく、残飯は下っ端どもに喰わせるとは言え、何と不経済な」


 ブツブツ呟きながらイヴィルカインは杯を取り、青く濁った奇酒をあおった。


「……」


 結局、エリリアは料理に口を付けることは無かった。


 深い谷底に設えられた空賊団の本拠地は日中でも薄暗く、地上よりも早く夜が来る。谷間から見上げる空は雲一つ無く、頭上では月が冷ややかに大地を照らしていた。

 この夜が明ければ、空賊たちは翼の里に最後の攻撃を仕掛けてしまうだろう。


 そんな中、魔石で灯すエーテルランプの青い灯りに照らされつつ、エリリアは与えられた居室で物思いに沈んだ。


「ふふふ、随分と大人しくて助かるわ」


 アイリーンが黒い羽毛を靡かせて、部屋の戸口に立っていた。

 その手には食事らしき盆を持っている。


「食欲、ありません」


 エリリアはフルフルと首を横に振ったが、


 ぐぅ。


 お腹は鳴ってしまう。


「ここに来てから何も食べていないんでしょう。食べなさい」

「……いりません」

「アタシがその辺で狩って来た物よ。掠奪品じゃないわ。それでも食べない理由ってある?」

「……」


 エリリアは、抵抗を感じつつも卓に置かれた盆に向き合った。


 皿の上には粗末なパンと、野鳥肉と香草の炒め物が乗っている。

 鳥の肉。古くは鳥の仲間だったとされるバードマンが、野鳥を狩って振舞うという事。

 それは、エリリアの道徳では有り得ないことだった。


 倫理。

 それが空賊たち、命のやり取りを生業とする者達の世界においていかに無価値であるかを、エリリアは知らない。

 その無知が、アイリーンには面白くもむず痒かった。


「バードマンが鳥を採るのはおかしいかしら? 古くは同族だから、採ったりするのは良くない?」


 試すような言葉に、エリリアは窮した。

 アイリーンはそれを見て、驚いたように呟いた。


「貴女、本当にお姫様なのね。本当に飢えた事のない人間の感性」

「あの、その、私……」


 いたたまれない様子のエリリアに、今度は悪意を込めてアイリーンは微笑んだ。


「それとも、あれかしら? グリモアの姫巫女サマは、結局のところアタシみたいな下賤な悪党が採ってきた物は食べたくないのかしら?」


「そ、それは違います!」

「だったら、食べなさい」

「……」


 エリリアは尚も逡巡したが、やがてナイフとフォークを手に取った。

 流石のエリリアと言えど、二日間飲まず食わずは耐え難い。


 ぐぎゅるるるる。


 もう一度、今度は大きくお腹が鳴った。

 自分はこんなにもお腹が空いていたのかと、エリリアは驚きと共に自覚した。

 すると、止まらなくなった。ナイフとフォークを走らせ、エリリアは自分でも可笑しくなるくらい必死に食事をした。


 アイリーンは満足げにそれを眺めていた。


「その、ご馳走様でした。ええと……」

「アイリーンよ。アイリーン=ベルカ」

「ご馳走様でした、アイリーン……さん」


 律儀にお礼を言うエリリアに、アイリーンは微笑みを返した。


「敵に礼を言うなんて変な子ね。そういうの、『ストックホルム症候群』って言うのよ」

「……?」

「遠い異世界で発見された病気。殺しの師匠が言っていたのよ。長い間敵の捕虜になっていると、一緒にいる敵に段々情が移っちまうんだってさ。そんな事ってあると思う?」

「……分かりません、そんな事」


 エリリアはふいと顔を背けた。


「あら、そう。じゃあ試してみようかしら」


 アイリーンはエリリアに与えられたベッドに腰掛けた。


「王都ハルヴァラで小さかった頃の貴女を見たことがあるわ」

「え?」

「もう十年前にもなるかしら。ほら、グリモア大聖堂の前に広場があったでしょう。貴女は聖堂の正面から、グリモア騎士団に囲まれて出てきた」


 アイリーンは遠くを見るような目で続ける。


「アタシはその時、弟の為に祈っていた。流行り病で亡くした弟が、空に還っても幸福であるように。たった一人の家族だった」


 憂いを帯びたアイリーンの声に、エリリアはハッとした。


「もしかして、貴女はあの時の……」

「あら、憶えているの?」


 アイリーンは意外そうに目を見開いたのであった。



 †×†×†×†×†×†×†



 それは確かに十年前。

 マグナ=グリモアの継承式典場となる聖地、『グリモア大聖堂』前、大広場にて。


「何奴だ貴様、怪しい奴め!」


 グリモア騎士によって、一人の女が詰問されていた。


 グリモア騎士とは議会が所有する騎士団であり、武力組織というよりは憲兵隊に近い。

 その仕事は議員や議会関係者の警護である。

 ここでは、エリリアの危険になり得る要素の排除である。


「ア、アタシはただ祈っているだけで……」


 女の言い分に対し、騎士は傲慢な態度を崩さずに続ける。


「ならば聖堂に入ればよかろうが。こそこそとしおって!」


 騎士は槍の柄で、目深にローブを纏った女を打ち払った。


「うぅっ!」


 胴に強か打撃を喰らった女は呻いて跪く。

 その拍子に、ローブが翻って露わになった。


 アイリーン=ベルカの黒羽に包まれたその顔が。


「『黒羽』……ッ!」


 騎士たちの眼差しが、『邪魔者』から『危険人物』を見るものへと変わる。

 だからこそ、女は聖堂には入らず、その前で祈っていたのだ。


「貴様、姫巫女様に呪詛を企てたな!」


 騎士は、それまでアイリーンに向けていた槍の柄を持ち直し、鋭い穂先を向ける。


「ち、違う! アタシはただ……ッ!」

「問答無用! 魔の暗黒面に染まった罪人め」


 騎士の槍がアイリーンを貫かんとした刹那、


「やめてください!」


 幼い声と共に、少女が騎士たちの前に割って入った。


「ひ、姫巫女様!?」


 少女は小さな両手を一杯に広げて、騎士達からアイリーンを庇う。

 七歳のエリリア=エンシェンハイムであった。


「姫巫女様、危険です。黒羽はバードマンの爪弾き者。何をしでかすか分かったものではありません!」


 騎士たちの言葉に、エリリアは首を横に振った。


「この方はただ、悲しんでいるだけです」


 エリリアはハンカチ片手に片膝を付き、アイリーンへと手を差し伸べた。


「ごめんなさい。私の騎士達がとんだ誤解を」


 アイリーンはエリリアの手を取らず、かといって払いのける事もしなかった。

 そのどちらをしても『姫巫女に敵意有り』と見なされ、騎士たちに処分されていただろう。

 身体的な接触は、魔法による呪詛のはびこる巷において致命的だ。


 そんな事は露も知らない様子のエリリアに、アイリーンは弟を思い出して微笑んだ。

 生きていれば、同じ歳の頃だろう。


「お嬢ちゃん、優しいのはいいけど気を付けなさい。悲しいから……そう、悲しいからこそ、馬鹿をやる奴だって世の中にはいるんだ」


 アイリーンは微かに暗い笑みを浮かべると、その意味を理解できないエリリアからそっと離れ、フードを被り直した。


「ありがとうね」


 次の瞬間、一陣の風が起こったかと思うと、アイリーンの姿は忽ち消え去っていた。



 †×†×†×†×†×†×†



「殺しの道に入ったのは、あれから少ししてから。悲しみが明けて、アタシにはもう生きる理由が無いと気が付いた時に、あっさりと。まあ、才能はあったみたいだわ」


 アイリーンは翼の右手を示した。

 手首に浮いた紫色の傷は、エリリアの呪いによるものであり、今では最高峰の殺し屋組織『|七つの殺し方《クレイジーセブン》』の証でもある。


「御気を付けなさい。貴女には能力も、才能も、生まれも、全てが揃っている。でも、それに振り回されてしまえばアタシのようになってしまうかも」


 アイリーンはクスクスと笑った。


「アイリーンさん……」


 エリリアにはアイリーンが何を言わんとしているかが分かるような気がした。

 そして、アイリーンからしてみれば悪党である自分の助言に聞き入るエリリアが面白くもあり、筋違いではあるものの、心配だった。


(ふふ、従者たちが蜂の巣になった後でもアタシに同情できるなら大したものだけどね)


 アイリーンが心の中で呟いた、その時だった。


「ッ……」


 エリリアの鼻とアイリーンの嘴が、ふと頭上を向いた。

 アイリーンは殺し屋として培った経験から、エリリアは勘で、その瞬間を悟った。


「来たわね」


 突如アイリーンの身体を風が取り巻いたかと思うと、その姿が掻き消える。


「へ?」


 エリリアの側頭部に後ろから衝撃が撃ち込まれる。

 素早く彼女の背後に回り込んだアイリーンが翼で打ったのである。


 気絶するエリリアを抱きかかえ、アイリーンは声を張り上げた。


「気ぃ張りな、野郎共! フェザーンの奴らが奇襲をかけて来たよォッ!」


 声が屋敷中を轟き、緊張が谷全体を覆う。



「居候のくせにお節介な雌鳥だ。とうに気付いてるに決まってるだろうが。ククク、クククククク……!」


 屋敷の屋上にて緑の魔眼がぎろりと光った。


「来ると思ってたぜ! お前らの動きなんざなぁ! 丸見えなんだよォ!」


 イルーダンの銃が火を噴く音と共に飛竜の金切声のような咆哮が轟き、開戦の瞬間を告げた。




『断章のグリモア』

 その23:同族喰らいについて


 七大種族によって構成される魔導書グリモア議会は、同族食を非道徳的として長きに渡り批判し、撲滅に努めている。議会に教育されたエリリアもまたこの道徳観念を持っていると見てよい。

 七大種族の中では平地人プレーンとエルフに支持者が多いこの考え方だが、これに対して批判の声を上げているのはマーメイド種族の学術機関『探究院』である。海に住まう彼らは農業という手法を持たず、同族とされる魚類を自然の摂理として食してきた。それを陸地に住む種族の一面的な道徳で禁止されてはたまらぬと、反抗する論文をいくつも世に出している。

 マギアス魔法王国の漁業を担うマーメイドたちの言葉はもっともとされたが、平地人やエルフたちの忌避感も拭う事はできず、この議論はそこから先には進んでいない。

 蓋し、道徳とは完全に否定も肯定もされることの無いナマモノであると言えよう。

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