1‐2‐4 圧倒的強者


 重力を無視するかのようにゆったりと、紳士服を纏った平地人が宙を舞い降りた。

 その手には、魔導書グリモアと杖が握られている。


「お初に。『魔笛の空賊団』の参謀にしてイルーダン殿の後見人、イヴィルカイン=フォーグラーと申します。姫巫女殿やボリ=ウム大僧正猊下におきましては、ご機嫌麗しゅう」


 一言で言い表すならば、『紳士』。

 盗賊の親分が金に任せて着飾った成金道楽の類ではない。

 相当な年月を社交に費やさなければ得られない『格』を、服の上から纏っているようだ。


 ボリ=ウムは、イヴィルカインを睨み付ける。


「アンタかい。竜を操って里を襲わせていたクソガキは」

「はっはっは、このイヴィルカイン=フォーグラーを子供扱いとは。私共の提案をご理解いただけないようで残念な限りです」

「ここはアタシらの土地だ。賊共にくれてやるはずは無かろう」

「重ね重ね、残念です。せめて命だけは助けて差し上げようと尽力しておりましたのに」


 小馬鹿にしたような言葉に、


「貴様ぁ!」


 クシテツが激怒した。

 無事な左の翼で床を叩くと、魔力で起こした風を纏った。

 自ら起こした風の中を滑るようにイヴィルカインに迫る。


(速いッ!)


 バードマンは空気の流れを操る。

 別名、ランク1魔術『ウィンド』。


 閉人が述べた胸筋1メートル説のような胸筋も無しにバードマンが飛べるのは、常に風の中に身を置いて凧のように風に乗り続けることができるためだった。


 だが、


「ランク7、魔術『天候王之気象鎚エレファント・ストンピィ』」


 イヴィルカインが杖を振った瞬間、クシテツの身体はひしゃげて地面に叩きつけられた。


「な、何を……ッ!」

「大気圧を操作したのですよ。大した魔術ではありませんが、自在に操れるはずの風に押し潰されるというのは、鳥風情に相応しい末路でしょう」


 クシテツは渾身の力で羽を振るって仕込んでいた刃を投げるが、イヴィルカインに届きすらせず、がっくりと頭を垂れた。


「バードマン種族の抗う御意志、実に結構。尊重いたしましょう」


 老紳士は低く笑い、懐から錆びた銀の笛を取り出した。


「我々が直接お邪魔したのは他でもない。この魔笛でアラザールを操って里を火の海にしようと思い、ご挨拶に参ったのです。私共としても苦肉の策ではありますが、誇り高き一族の最後を見取れるのならば、それも一興というものです」


 その場にいた誰もが息を呑んだ。

 この絶望的な状況をひっくり返さなければ、確実にフェザーンは亡ぶのだ。


(畜生、見下げたゲス爺め……)


 閉人は憤るが、状況は最悪だった。


 高ランクの魔術師イヴィルカイン。

 銃を使う『七つの殺し方』、アイリーン。

 そして、弓使いの武芸者にして『魔笛の空賊団』頭目、イルーダン。


 恐るべき悪意と力に満ちた相手に対して、傍目に見て勝ち目などない。


(くそ、諦めるな! 姫さんの為に頑張るって決めたばっかだろうが!)


 閉人の心を奮い立たせて立ち上がろうとした瞬間、


「見過ごせんな、悪党め」


 血塗れのジークマリアが、ゆらりと立ち上がった。

 鎧の節目節目から血が噴き出している。

 少なくとも五、六発は弾をもらっているかという、とんでもない血の量だ。

 側頭部にも銃弾を掠めたのか、美しい横顔が血に塗れていた。


「馬鹿野郎、その身体で動いたら……っ!」


 閉人が叫ぶが、


「閉人、貴様だって動いているだろうが。貴様に出来て、私に出来んことはない」


 ジークマリアは一笑し、背に負った魔槍アンブラルを引き抜いた。


「ほう……?」


 イヴィルカインが杖を振るうと、ジークマリアの周りの床板が軋み始める。

 大気圧の鎚が振り落されているらしい。


「効かん。その程度の重りでは学院の訓練にも及ばんぞ」


 全身から血を流しながら、ジークマリアはほくそ笑む。


「ほぉ、面白いじゃねぇか。お前があの世に一番乗りか?」


 イルーダンがエリリアの額に突きつけていた銃口をジークマリアに向ける。

 イルーダンとジークマリアの距離、およそ十メートル。


(駄目だ! あの距離じゃ銃には敵わない!)


 万事休す。

 閉人がそう思った刹那、ジークマリアは静かに呟いた。


解装パージ……っ!」


 詠唱と共に鎧が弾け、ジークマリアの姿が消えた。


「や、やめろジークマリア!」


 閉人は思わず叫んだが、心の中のどこかで思った。


(いや、行けるか……ッ!?)


 直前にクシテツの特攻を見ていたから分かった。

 やはり、鎧を外したジークマリアはダントツに速い。

 かつてフィロ=スパーダとの死闘を制した時よりも速いとさえ、思える。

 魔槍アンブラルは風を切り、音を越え、イルーダンの喉元へ……


 だが、イルーダンは笑みを浮かべたまま動かない。

 彼には見えていたのであった。


「『魔壁(バリアン)』」

 バチン!


 ジークマリアの渾身の一閃は、イルーダンの目の前に発生した『何か』に弾かれた。


「ッ!?」


 渾身の突撃を弾かれたジークマリアよろよろと佇み、尚も闘志を燃やして賊共を睨み続ける。


「ほう、速いですね。あともう少しでイルーダン殿に刃が届いていたかもしれません」


 イヴィルカインは杖を持った手で魔導書グリモアを持つ左手の甲を打ち、ジークマリアの手並みを称賛した。


「な、何だ、今の……」


 閉人の問に、イヴィルカインはほくそ笑む。


「ランク2、魔術『魔壁バリアン』。魔で壁を作る魔術。魔術師ならば誰にでもできる術ですが、極めればどんな鎧よりも頼れる防御になるのですよ」


 イヴィルカインは朗らかに微笑んだ。


「女騎士のお嬢さん、あなたは見どころがありますね。あと数回地獄を見れば、ひとかどの戦士に成長するかもしれません」


 イヴィルカインの余裕ぶった言葉に、ジークマリアは皮肉を返す。


「地獄だと? だったら、先に逝って下見でもして来たらどうだ?」


 イヴィルカインは嬉しそうに頷いた。


「あくまで仮定の話ですよ。今この場で殺さないとは言っていません。イルーダン殿に刃を向けた愚行、その身を以て償いなさい」


 イヴィルカインが杖を振るうと、ジークマリアの周囲の光景が歪んだ。

 分厚い大気の壁が凝集し、先程とは比べ物にならない圧力が彼女の身体を包み込む。


「グゥッ!」


 ジークマリアは首元を押さえて咳き込んだ。


「高圧で圧縮された大気は猛毒です。息をするのも苦しいでしょう? なまじ頑丈なのが災いしましたね。死になさい」


 イヴィルカインが止めを刺そうと杖を振り上げた。


「や、やめろ!」


 閉人がカンダタを向けたが、一瞬間に合わない。

 ジークマリアすらもが死を覚悟した瞬間、しかし、イヴィルカインの手が止まった。


「ランク9、魔術『怨神刃螺羅之万華鏡おんしんはららのまんげきょう』」


 エリリアが魔術を発動させていた。

 自らを相手に投射する、鏡の魔術。マグナ=グリモアに記されたエリリアの切り札である。


「今すぐに立ち去ってください。でなければ私は自害します」


 イルーダンは低く笑った。


「好きにしろや。俺らは『|七つの殺し方《クレイジーセブン》』と手を組んじゃあいるが、テメェの生死なんざ知ったこっちゃねぇ」


 エリリアはイルーダンに構わず、懐に忍ばせていた短剣を自らの喉元に押し当てた。

 すると、イヴィルカイン、イルーダン、アイリーンの顔色が変わった。


「感じますか、この刃の冷たい感触を。私が首を掻き切れば、あなた達も呪死します。逃れることも、打ち消すことも、治すこともできません」


 アイリーンは、右手首の一件から僅かに額に汗を浮かべている。

 イヴィルカインも同様に汗を浮かべていたが、勝算ありと見て、笑みは崩さないでいる。


「健気ですね。ですが、姫巫女殿の呪いで我々を殺せたと仮定しましょう。すると、イルーダン殿の死を悟ったアラザールは予め言いつけておいた通りにこの里を焼きつくし、貴女がそうまで助けたいと願う者たちをも焼き殺してしまいます。それでよろしいんですか?」


「もし私が死んでも、私の二人の伴が竜をやっつけてくれます」


 エリリアは毅然と首を横に振る。


「クククク、随分と頼もしい仲間がいるんだなぁ、えぇッ!?」


 イルーダンは大笑した。

 目の前にその二人、ジークマリアと閉人が這いつくばっているのだから、面白くもなる。


「私は、本気です!」


 エリリアは、静かにイルーダンを睨み付け、短剣の刃を僅かに引いた。

 痛みがチクリと空賊たちを襲う。

 薄皮を裂いた程度の痛みだが、エリリアの覚悟が乗った痛みであった。


「……ほぉ、雌のやることにしちゃあ、気合が入ってるじゃねぇか」


 イルーダンは露骨に眉をしかめ、舌打ちした。


「この里に手を出さないでください。その代りに私の身柄を差し上げます。『|七つの殺し方《クレイジーセブン》』の依頼人に引き渡せば、貴方は膨大な利益を得るはずです」


 エリリアは、よどみなく言い切った。


「……いいだろう。おい、イヴィルカイン」


 イルーダンの命によりイヴィルカインが杖を振るうと、大気の壁が賊たちとエリリアの身体を持ち上げた。


「姫様……ッ!」

「姫さん!」


 閉人とジークマリアが見上げる中、エリリアは幾重にも大気の壁に覆われ、やがて、その姿すら見えなくなった。

 少しつまらなそうな様子で去っていくイルーダンに代わり、イヴィルカインが告げる。


「それではごきげんよう皆さん。三日後、よろしいですか、三日後です。あと三度陽がこの天空を上る頃、私共はこの里をいただきに参ります。姫巫女殿がその身で購われた三日間、ゆめゆめ無駄な抵抗などに費やさぬよう、心に留めおきください」


 空賊たちが邪竜アラザールの背に飛び乗ると、竜の巨体は空に掻き消えた。

 大気の層を幾重にも纏い、身を隠したのである。

 巨竜の羽ばたく恐ろしい音が去っていくのを追う事も出来ず、一同はその場にへたり込むことしかできなかった。


「畜生……ッ!」


 閉人は吐血した。バラバラと体内に残留した銃弾を吐きながら、胃液と涙に塗れた。


「何を情けない顔をしている、閉人」


 ジークマリアが閉人の頭を殴打した。

 その拳には、いつもほどの力強さはない。

 身体中穴だらけになって、ようやく普通の女の子並みの力であった。


「だって、だってよぉ、姫さんが……ッ!」

「ああ、攫われてしまったな」


 閉人はジークマリアの胸ぐらを掴んだ。


「何余裕こいてんだよ! 姫さん守るんじゃなかったのかよ、俺らはよぉ!?」


 閉人がジークマリアに怒鳴りつけるが、叱咤しているのは自分自身であった。

 むしろ、ジークマリアは紙一重の所まで迫っていた。

 何かが一つ掛け違えていれば、あの恐ろしげな魔術師の首を刎ねていただろう。

 責めるべきは閉人、自分自身だった。エリリアを銃弾の嵐から守ったところで、その後何の役にも立てていない。ただ事の成り行きを見守る事しかできなかった。


(俺は……俺は……)


 頭を掻きむしる閉人の頭を、ジークマリアは掴み返した。

 両手で挟むように掴み、閉人の顔を無理矢理自分の目の前に引き寄せる。

 自己憎悪と絶望に沈みかけていた閉人の目の前に、ジークマリアの血塗れの顔があった。

 鼻と鼻とが触れあいそうなほどの至近距離。


 だが、感じたのはときめきなどではない。

 巨大な怒りを前にした戦慄であった。


「閉人、私の目を見ろ」

「……ッ!」


 ジークマリアの目は真っ赤に充血していた。

 全身の血が流れ出てしまったかのような傷の中、ジークマリアは赤く漲っている。

 鬼どころではない。まるで地獄そのもののような形相の顔で、ジークマリアは閉人を見つめていた。

「私は今、この上なく怒っている。情けないお前に、弱い私に、俗悪な賊共に。だが、それに振り回されたところで姫様の救出にも、あの腐れ賊共を八つ裂きにするのにも、糞ほどの役にも立たん。貴様の下らん焦りも同じだ。私の目を見ろ」


 目を逸らそうとした閉人は、息を呑んでジークマリアの目を見つめ直した。


「姫様が三日間の時間を作ってくださった。私たちで状況をひっくり返す。やれるな?」

「お、おう!」


 閉人は、ジークマリアの目を睨み返して頷いた。


「ならば、いい」


 ジークマリアはぐったりと力を喪い、閉人に身体を預けた。


「お、おい……?」


 どぎまぎする閉人の耳元に、ジークマリアは囁いた。


「寝る。起こしたら殺す。弾を全部抜いておけ。治癒に障る」

「お、おう」

「では、しばらく任せた」


 そのままジークマリアは死んだように気を失い、すぅすぅと寝息を立て始めた。


「……畜生」


 ジークマリアの身体を支えたまま、閉人は下唇を噛んだ。

 血が出て再生する程に噛んだ。


「やられっぱなしで終われるかよ……ッ! 必ず助けるからな、姫さん!」


 閉人は空賊団の消え去った遥か彼方の空を睨み付けた。



『断章のグリモア』


 その21:低ランク魔術について


 どんな魔術師も、低ランク魔術の会得から始めるものだ。

 高ランク魔術と低ランク魔術の関係は、機械とそのパーツに例えられる。

 複雑な機械もそのパーツの組み合わせによって性質が表されるように、どんな高ランク魔術も読み解けば複数の低ランク魔術の合成によって(理論上は)説明することができる。

 ここで重要なのは、ランク自体は魔術の『複雑さ』や『機能』の格付けを行っているだけで、『強さ』自体はランクから読み取れないという事である。

 イヴィルカインが圧倒的だったのは、ランク7の魔術を操っていたからではない。それを運用しながらも咄嗟にランク2『魔壁バリアン』を巡らせてジークマリアの突撃を交わした『反応速度』や『エーテル処理能力』、それに単純な『エーテル量』の高さによるものである。

 低ランクの魔術であればある程扱う魔術師の地力が出てしまう。だから、低ランク魔術を好んで使う魔術師ほど、戦闘の玄人としての実力を秘めている可能性が高いので注意が必要なのである。



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