1‐1‐2 魔笛の空賊団
三方を山に、もう一方を塩湖メンシスに囲まれた港町リリーバラ。
この街は湖上交易の中継と漁業によって小規模ながらも栄えていた。
西には冒険者の自由都市であるところの『迷宮都市グログロア』がある。
迷宮由来の品々、あるいは東の大海を通じて運ばれてくる各地の名産品がこの街で交錯し、陸に水上に運ばれていくのだ。
そんな街を空から襲う理由は……
「『キャビア』だ。俺たち『魔笛の空賊団』にキャビアを差し出せ」
浅黒い肌に銀色の髪、天を突くような長い耳。
エルフ、俗に『ダークエルフ』と呼ばれる類の男が、空の上から空賊たちを率いて町長に告げた。
「正直、耳の短い連中が鮫の卵なんざをどうしてありがたがるのか理解できんが、スプーン一掬いで宝石にも勝る値が付くそうじゃねぇか。そぉら、差し出してもらおうか」
街一番の大きな屋敷の屋根の上で、町長が訊ねる。
「断ると言ったら?」
交易都市の長だけあり、賊相手にも交渉の余地を見出そうとしているらしい。
だが、
「良くないなぁ、そういう態度は」
ダークエルフの手が僅かに動いたかと思うと、町長の足を矢が貫いた。
声にならない呻き声を挙げて、村長は膝をついた。
「断ったら、それはもう『生臭いこと』になる。哺乳類の生臭さはそれほど嫌いではないがな、ククク……」
ダークエルフはリリーバラ中に告げる。
「抵抗するなよ。この俺、イルーダン=アレクセイエフの『魔眼』にはお見通しだぞ」
暗い緑色の光を放つ双眸が町全体を見下ろした。
「やれ」
イルーダンの言葉と共に、堰を切ったように空賊たちが飛竜ごと街に降り立ち、乱暴狼藉の限りを働き始めた。
「な、何を!」
町長の問いに、イルーダンはほくそ笑む。
「キャビアが出てくるまでの暇つぶしよ。樽で十個、用意できるまでは自由見学時間だ」
既に街では阿鼻叫喚の声が上がっていた。
女の衣服が剥かれ、止めようとした勇気ある少年は鼻っ柱を砕かれて地面にもがいた。
衛兵たちはどうにか抵抗しようと弓矢を番えるが、
「お見通しだっての」
イルーダンの放った矢に胸を射抜かれていく。
「俺の『魔眼』は視界に入る物全てを見る。視界の端で何をしようが、手に取るようにな」
イルーダンは飛竜を駆りながら続けざまに矢を放った。
その度に衛兵たちの命が消えていく。
そのあまりの手並みに、町長は息を呑んだ。
「ば、馬鹿を言わないでくれ。あれの原料は塩ザメ一頭から樽の半分も採れないんだぞ。そんな量をすぐに用意できるわけが……」
「あ、そぉ?」
町長のもう片足に矢が突き立ち、両足を地面に縫い付けた。
「ぐぅッ!」
町長の呻き声をうっとりと聞き、イルーダンはほくそ笑む。
「じゃあ、ゆっくり遊んで行こうか。俺もさっき道端で好みのタイプを見かけたもんだから、遊びたい盛りの気分だ」
イルーダンはその『タイプの人物』で遊ぶ未来を想像し、ふと、越えて来た岩山の方を見た。
「ん?」
視界の端で何かが岩山を越えた。
閉人・エリリア・ジークマリアの三人を乗せて駆ける精霊騎馬『フィガロ』の姿であった。
エリリアの笛によって呼び出された彼女は岩山を軽々と越え、空を駆ける飛竜の全速にも劣らない速度でリリーバラへと向かって来ていた。
「ん? 確かあいつ、眉間を射抜いてやったはずだよなぁ……?」
最後尾でフィガロの背に引っ付いている閉人を見つけ、イルーダンは残虐な笑みを浮かべる。
「クク、もしかして、もしかするのかぁ?」
イルーダンは愛竜『ディーゴ』を駆り、迫る一行たちを迎え撃つべく上昇した。
†×†×†×†×†×†×†
「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!」
岩山の断崖を駆けるフィガロの背、最後尾で閉人は悲鳴を上げた。
「閉人さん、しっかり掴まってください!」
先頭でフィガロの手綱を握りながらエリリアが声をあげた。
「この速さについて来い、閉人。姫様を守るにはこれぐらいはこらえて見せろ!」
絶叫マシン顔負けのめまぐるしい風景の変容の中、ジークマリアが叱咤した。
「グゥゥゥゥっ!」
歯を喰いしばって閉人は揺れに耐えた。
「城壁を越えます! 二人共、掴まって!」
「ここからが本番だ、行くぞ!」
「くっそぉ、やってやらぁ!」
リリーバラを囲む城壁に向け、フィガロは岩山の岩壁から大きく跳び上がった。
およそ十数メートルの城壁を越え、フィガロの蹄鉄がリリーバラの中心、噴水前広場の石畳を踏みしめた。
ガチィィィィンッ!
鉄槌を振り下ろしたような蹄鉄の音と共に、リリーバラに大音声が轟いた。
「我こそはラヴォン魔術学院魔騎士学科五年、騎士道監督生ジークマリア=ギナイツである! 港町を荒らす賊共に騎士道及び死出の道を指南奉る!」
ジークマリアは高らかに宣言をすると、
「てめぇ、さっきの女騎士……グェ!?」
飛竜から降りて乱暴を働いていた賊の一人を斬り捨て、続けざまにその相棒を突いた。
「如何にも! 我が主の許しを得て、貴様らを斬りに来た!」
ジークマリアは切っ先を払うと、周囲を睥睨した。
空賊たちが毒気を抜かれている隙に、町民たちが逃げ惑う。
その中には、倒れた街の者の亡骸に寄り添い涙を流す者の姿も見えた。
「姫様、お気を緩めずに、次が来ます!」
ジークマリアが告げた瞬間、二頭の飛竜が前後から挟むようにフィガロに迫る。
「閉人、後方は任せた」
「え!?」
前方からは矢が飛び、後方からは迫ってくる飛竜が牙を剥いて突撃してくる。
「ええい、どうにでもなれ!」
閉人はカンダタの引き金を引き、魔銃に込められた魔術の名を叫んだ。
「ランク4、魔術『瀉弾血銃(ブラッド・ブリード)』!」
銃声と共に、カンダタの銃口から圧縮された血液の弾丸が飛び出した。
旅の途中で試した結果、魔銃カンダタに込められた魔術『
まず、弾丸の形状は自在であること。
「うわ、何だ、汚ねぇ!」
散弾状に噴き出した血の弾丸が飛竜の顔面に吹き付けられた。
だが、所詮は血の塊なので殺傷力は低い。
「驚かせやがって、ただの目つぶしか!?」
それだけでも十分に効果はあるが、閉人の血には更なる使い道がある。
飛竜は突然視界を塞がれたことで突進の軌道を修正、慌てて高度を上げた。
「ちょっと行ってくる!」
撃ち出された血は魔術『瀉弾血銃』による操作と不死者由来の強烈な復元力により、強靭な粘性と弾性を持つ。
閉人が今一度カンダタの引き金を引くと、上昇する飛竜に付着した血に復元力が働き、カンダタに接続。ワイヤーで吊られたかのように閉人が浮かび上がった。
「おい、何か引っ付いてるぞ!」
空賊の射手が気付いて矢を放つ。
閉人の横腹や首に矢が突き立ったが、閉人は不死者ゆえに怯むことはない。
カンダタに念を込めて急速に浮上すると、飛竜の背に飛び乗った。
「動くな!」
閉人はカンダタを賊たちに向けた。左手には近接戦闘用にと鉈が握られている。
「く、くくくくく……」
賊たちは笑った。
乗り手は騎乗戦用の長槍を、射手は近接戦闘用の直剣を引き抜いた。
「そんな『じょうろ』みてぇな物を向けて、『動くな』だと? 笑わせんじゃねぇ!」
じりじりと、閉人を討ち取ろうと迫る。
カンダタには一つ、長所とも短所とも取れる性質がある。
それは、『銃』というものがこの大陸ではあまりに知られていない事である。
脅しには使えなかった。
「ば、馬鹿野郎! 言っとくけどなッ! コイツは人を殺せるんだぜ。降参すれば殺しはしない!」
閉人は声を張る。
ハッタリではない。
カンダタはこうしたワイヤーアクションだけでなく、もっとえげつない使い方もできる。
それをすれば、この賊たちを殺すことができる。
しかし、閉人は極力殺しをしたくないと思っていた。
賊たちが街の人々を問答無用に殺していても、それでも。
だが、そんな甘い考えを賊共は笑う。
「馬鹿か、テメェ」
閉人の心臓を賊の槍が貫いた。
「……ッ!」
閉人は吐血した。
「人様を殺す前に『降参しろ』だのそんな事聞くかよ。王都の騎士じゃあるまいし」
閉人の胸から槍を引き抜き、槍を持った賊がほくそ笑む。
「全くだ。女をいたぶって遊ぶときだけだ、そんな事を聞くのは」
続いて、射手の男がげへへと笑った。見れば、ベルトの金具が外れている。
「……そうか」
閉人は、胸に開いた穴に目をやりつつ呟いた。
正直な話、フィロ=スパーダの死でさえ閉人には抵抗があった。
ならず者冒険者ドットが自分の手を振りはらって滝に落ちて行ったのも、実はちょっとトラウマになっている。
閉人は、ウォシュレットが無いと尻がどうしようもなくなる、現代日本人である。
人を殺すという事が日常の選択肢の中にはない。
だが、どうやら『殺人』こそが、この場では一番確かな方法らしかった。
ここは、どうしようもなく日本とは異なる世界、ローランダルク大陸なのである。
その自覚と共に、閉人はカンダタを構え直した。
と同時に、胸の傷が塞がり始めるう。
「な、何だこいつ!」
閉人は驚き慄く賊に向け、カンダタを撃ち放った。
血液の弾丸が空中で弾け、射手の顔面に直撃する。
「固まっちまえ」
閉人の意思により、血液は粘着し、賊の顔面に餅のようにへばりつく。
口と鼻と目を塞ぎ、取ろうとして伸ばされた手も絡め取る。
「い、息が……ッ」
余裕ぶっていた賊は事態に気が付いてもがき始めた。
だが、どれだけ足掻いても不死者の血液の復元力には敵わず、十数秒後、
「助けて、助けてくれ!」
と、塞がった口で命乞いを始めた。
閉人がなおも逡巡したその時、飛竜が大きく身じろぎをした。
両手を閉人の血に絡め取られていた賊はバランスを崩し、その背から落ちて行った。
「あっ……」
閉人は、石畳に激突して即死した賊を呆然と見下ろした。
……初めての人殺しであった。
「テメェ!」
残された射手が直剣を閉人の背に突き入れた。
刀身を捻って傷口に空気を差し込む。
常人ならば致命傷だが、閉人の命には届かない。
人を殺してしまったという事実の方が、よほどの衝撃であった。
「ば、化け物め……」
射手の言葉に、閉人はジークマリアの顔を思い出し、苦笑した。
「へっ。俺からしてみりゃ、お前らの方がよっぽど……」
次の瞬間には遠心力を利用して鉈を振りかざし、射手の首を叩き折っていた。
閉人は無人になった飛竜の手綱を握りしめ、乗り手の席に座った。
飛竜の運転ができるかどうかは不安だったが、どうにか合流しよう。
そう思った矢先であった。
「よぉ、どうして死なねぇんだ!?」
三本の矢が飛来し、閉人の頭・首・心臓の三点をほぼ同時に射抜いた。
「ッ!?」
振り返ると、閉人を見下ろすように一際大きな飛竜が宙を舞っている。
その背には空賊たちの頭目イルーダンが酷薄な笑みを浮かべて佇んでいた。
「そうか、お前『不死者』か! 良いぞ、凄く良い!」
イルーダンは何故かとても嬉しそうに飛竜の上で飛び跳ねた。
「どれだけ遊んでも壊れないってことだろう!? 最ッ高の『性玩具』じゃないか!」
その言葉に、閉人は人を殺した衝撃も吹き飛んでイルーダンを見上げた。
首の矢を抜き取って、叫ぶ。
「ま、待て! 見りゃ分かると思うが、俺は『男』だぞ!?」
首の傷が塞がっていくのを目の当たりにし、イルーダンはますます笑みを強める。
「そこがいいんじゃあないか……俺は男で遊ぶのが大好きなのさ」
「はぁ!?」
フィロ=スパーダの時とは比べ物にならない怖気が閉人の全身を走った。
『断章のグリモア』
その15:魔眼について
大陸の生物には時として特殊な『魔眼』を持って生まれて来る者たちがいる。
同じ時代に十人程しか存在せず、『見た者に暗示をかける』、『視線で火を付ける』、『物体の過去が見える』など、千差万別の力をその眼に宿している。
王都ハルヴァラの学術院やマーメイドが運営する研究機関『探究院』などが長らく調査してきたが、その発生理由や法則は未だ明らかになっていない。
ただ一つ、魔眼を持つ者達に共通する性質がある。
それは、
「『魔眼』を持っているはずの自分たちが、逆に何者かに常に見られているような気がする」
と、その多くが述べている点だ。
このことから、彼らはエーテルとは別のエネルギーを知覚できるのだとか、はたまた神のような超越存在に選ばれて『目』の役割を代行する代わりに力を得ているのだとか、諸説が叫ばれている。
イルーダンはそんな希少な存在の一人だが、閉人もエリリアもジークマリアも別の意味で希少なので、おあいこだろう。
世の中は案外希少な物に溢れているのかもしれない。
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