第一章『天舞う竜と鳥の人』

1‐1‐1 青い空、黒い影、痒い尻

 ローランダルク大陸、マギアス魔王王国には一冊の魔導書が秘匿されている。

 偉大なる魔導書『マグナ=グリモア』。


 七大種族の賢者達によって編纂されたこの魔導書には王国を揺るがす大魔術が収録されており、マギアス王家に対する議会の抑止力として代々姫巫女に受け継がれてきた。


 これは、第十三代姫巫女エリリア=エンシェンハイムの代における継承の物語である。

 ……と、言えなくもない。



「はぁ……」


 マギアス魔法王国中央部、朗らかな陽の光に満ちたなだらかな丘陵地帯を越えた辺り。

 姫巫女の『守護者ガーディアン』にして不死者、黒城閉人こくじょうへいとはため息を吐いた。


「どうしたんですか、閉人さん。疲れちゃいました?」


 マグナ=グリモアの姫巫女、十六歳のエリリア=エンシェンハイムが心配そうに訊ねた。


 その金髪銀眼はまるで貴金属で出来ているようで、旅の中にあっても艶やかで美しい。


 白を基調とした旅装に身を包む姿は聖女そのものであり、見る者の心を癒すような独特の心地よさを周囲に振り撒いていた。


 閉人は、突如陽の光を浴びた時のヴァンパイヤのようにびくっと震えた。


「いやぁ、まあ、そんな疲れたってわけじゃないんですけどね。ははは、はははは……」


 対して、閉人はどこか風采の上がらない青年である。

 度重なる移動と戦闘でヨレヨレになったリクルートスーツを着込み、その上に荷を背負った荷物係。

 腰にはベルトに提げたホルスターがぶら下がり、迷宮都市グログロアで譲り受けた魔銃カンダタがしまい込まれている。

 その姿は旧き時代の押し売りセールスマンのようであり、エリリアと並べてみると貴金属と海苔が並んで歩いているようにも見える。



「おい閉人。貴様、最近少しはマシになったと思っていたのに、ため息の癖はまだ抜けてないのか。貴様の陰気が姫様に移りかねんからよそでやれ」


 エリリアに仕える女騎士、十七歳のジークマリア=エンシェンハイムは目を細めて閉人を諌めた。


 エリリアが貴金属であるなら、ジークマリアは宝石である。

 深い青の髪と瞳はサファイアの様に暗く落ち着いた、力強い輝きを放っている。

 聖銀の鎧『シャイニング』に身を包んで背に魔槍『アンブラル』を負う姿は凛々しい。



 彼らが迷宮都市グログロアを出発してから、十日が経過していた。


 そもそも、エリリアを中心とする一行は何を目指して旅をしているのか。


 マグナ=グリモアの姫巫女であるエリリアは、マグナ=グリモアを正式に継承する為に夢のお告げに出てきた土地まで旅をして、辿りつかなければならない。

 そうした旅の中で世界のことを知り、七大種族の代表者としてマグナ=グリモアを手にするにふさわしい人物として成長することを期待されているのである。


 旅の目的地は七大種族の一つ、バードマンが暮らすハイランダー山脈。

 一行は山脈のある王国北東を目指し、まずはグログロアから東に進んでいたのであった。



「……」


 さて、二人の美少女に心配されつつも、閉人の顔は暗い。

 閉人は、恨めしげにジークマリアを見返した。


「んなこと言ったってよぉ、旅慣れてるお二人とは違うんだっての」


 閉人はジークマリアに反駁する。

 閉人はエリリアにこそ気を使うが、その分ジークマリアには素で応じている。

 この愚痴がきっかけになったのか、閉人はそれまで溜っていた不満が吐き出し始めた。


「最近全然寝つけないんだ。枕が変わったせいか首が痛くて……」


 閉人はさらに声の調子を落とす。


「それだけじゃない。最初は旅も新鮮だったけど、この世界にはウォシュレットもシャワーもシャンプーもウェットティッシュも無いんだ。うう……」


 閉人はその場にへたり込んだ。


「帰りたい……」


 そのままいじけ、指で地面を突っつき始めるのであった。


「立て、閉人」


 ジークマリアが傍らに立って叱咤する。


「立てない」

「子供じゃあるまいし、甘えるな」

「ほっといてくれよぉ」

「だったらそこにずっと座って干からびてしまえ!」

「死ねるなら、それはそれで」

「……」


 またか。

 ジークマリアは大きなため息を吐いて踵を返した。


「閉人さん、大丈夫かしら?」


 心配そうに訊ねるエリリアだが、ジークマリアは呆れ果てている。


「恐らく『ホームシック』というやつでしょう。学院の寮生にもたまにこれにかかって落ち込む者がいます。故郷の飯が食いたい、水が合わない、云々。特に呪術科の学生に多いのですが……」


 ジークマリアはラヴォン魔術学院の騎士道監督生として、そういう輩を叩き直す使命を自分に課している。

 彼女にとって閉人の心は、『皮の固いカボチャ』であるとか『火を通さないと腹を壊す野菜』のような、少し調理が面倒な食材ぐらいにしか思われていなかった。


「何か元気づける方法は無いかしら。閉人さん、荷物持ちや狩りも頑張ってくださるし、どうにかしてあげたいけど……」


 エリリアは、心配そうに囁いた。


「確かに、ここ最近の働きぶりには見るべきものがありますが……」


 エリリアの言葉に、ジークマリアは渋々頷いた。


 閉人は、荷物持ちを始めとした旅の雑用はジークマリアに命じられるまま猛然とこなしていた。

 旅の荷もほとんど彼が背負っており、エリリアはほぼ手無沙汰、ジークマリアへの負担も閉人加入以前と比べて半分近くは軽減されている。

 そういった事もあり、ジークマリアは閉人に呆れこそすれ、見捨てる気持ちは起きないのであった。


 その辺りを加味して、ジークマリアは唸った。


「姫様がそうおっしゃるのならば、手が無い事もありません」


 ジークマリアは懐から地図を取りだし、広げた。


「仕方ありませんな。東に迂回する形にはなりますが、メンシス湖の湖畔、港町リリーバラで宿を取ることにしましょう」

「どんなところ?」

「漁業が盛んで、王都の貴族たちの間にも有名な避暑地でもあります。潮風に当たればあの馬鹿も少しは気分を持ち直すことでしょう」

「湖なのに潮風が吹くのね」

「塩湖で、端は東の大海と繋がっているそうですから。ですが、大海とはまた違った魚が採れるらしく、特に塩ザメの卵を塩漬けにした『きゃびあ』という品は、王宮に献上されるほどの珍味だそうです」

「へぇ……『きゃびあ』なんて、初めて聞いたわ。マリィは物知りね」

「それほどでもありません。姫様の巡礼にお供するに当たり、どこが旅の目的地になっても大丈夫なよう、大陸のあらゆる観光地や名物は物の本で下調べしてあったのです」

「全部!?」

「ええ、全部です」


 ジークマリアはここぞとばかりにほくそ笑む。


「ですので、姫様も旅の疲れや鬱憤がたまった時はぜひお申し付け下さい。こういった旅の楽しみのためにも、グログロアでは倹約してお金を貯めたのですから」


 と、ジークマリアはさらりと観光資金(裏金)の存在を仄めかしたのであった。



 †×†×†×†×†×†×†



 という訳で東に向かって道を進んでいた一行は、進路をそろそろ北に転換する頃合いながらもさらに東に進み、湖畔街リリーバラに立ち寄る事となった。


 迂回することを考えると一日半~二日ほどの遅れになるが、追っ手さえつかなければ急ぐ旅でもない。

 それに、エリリアも『きゃびあ』に興味を持ったらしく、


「きゃびあ、きゃびあ……♪」


 と、楽しみそうにしている。


「あの小さな岩山を越えればリリーバラはすぐそこですよ、姫様」


 ジークマリアが行く先に横たわる山を指差して告げる。


「ですって。閉人さん、もう少しですよ」


 ジークマリアに襟首を掴まれて引きずられる閉人をエリリアは励ました。


「せめて、ウォシュレットだけでも……」


 エリリアの言葉も聞こえているのかいないのか、閉人はぼーっと青い空を見上げていた。


 青い空の突き抜けた清々しさが憎かった。

 空はあんなに青いのに、今の自分にはウォシュレットで尻を綺麗さっぱり、優しく、時に激しく洗浄する事すら許されていないのだ。


 空はあんなに青いのに。


 ちなみに、下世話な話をするならば、ローランダルク大陸では幸いなことに、尻を拭いて使い捨てるほどには紙が流通していた。

 魔導書という存在の為もあり紙の需要は高いが、エルフを中心とした製紙職人たちの腕が良い事もあり、供給は潤っている。


「……」


 閉人はじっと手を見た。


 もしも紙すらなかったら……不死と言えど、閉人は死んでいたかもしれない。


(はぁ、思い出したら尻がまたひりひりしてきた……)


 ジークマリアに引きずられながら閉人はそんな事を考えていた。



 そんな中、ふと憎き青空の彼方に何か、黒い影がちらついたのを閉人は見つけた。


(何だ、アレ?)


 一行の進行方向から見て左やや前の空。

 進行方向は東なので、つまりは北北東からである。


(鳥か?)


 だが、鳥にしては大きく、角ばった形をしている。


 近づいてくるにつれ、どうやらそれが群れを成しているらしいことが、閉人の平凡な視力にも見て取れるようになってくる。


「なあ、あれ何だろう?」


 閉人は空の彼方を指さした。

 

「今度は何だ? ……ッ!」


 また閉人が何か変なことを言い出したのかと思っていたジークマリアだが、その影を見るや顔色を変えた。

 背に負った魔槍アンブラルに手を伸ばし、素早く構える。


 次の瞬間、

 ヒュン! カツン!

 閉人の額に矢が立った。


「閉人さん!」


 悲鳴をあげたエリリアを庇って、ジークマリアが槍を構える。


「姫様、私の後ろに!」


 ジークマリアはエリリアを庇いながら槍を片手で振るう。

 最初の矢に続いて十数本の矢が一向に降り注ぐ中、ジークマリアは槍を扱いてその全てを弾き飛ばした。


「ご無事ですか、姫様!?」


 ジークマリアの問いにエリリアは息を呑みつつ頷いた。


「いてて、頭と尻にもらっちまった……」


 閉人が辛そうに唸るが、


「貴様には聞いていない。死んだふりでもしていろ」


 と、ジークマリアは一蹴する。


「……へーい」


 閉人は額と尻を気遣いつつ横向きにぶっ倒れた。


 近づいて来た黒い影、その正体は翼の生えた竜、飛竜(ワイバーン)の群れだった。

 飛竜はそれぞれ板金鎧で武装し、二人ずつ屈強な男どもが乗り込んでいる。

 一行を射かけたのは、先頭の飛竜に乗った浅黒い肌のエルフだった。


「ほぉ、旅人にしちゃあ、少しはできるようだな」


 飛竜の背に乗った男どもがエリリアとジークマリアを見て騒ぎ始めた。


「お頭ぁ! 女だ! 捕まえましょうぜ!」

「掠奪前の腹ごなしだ!」


 殺気立った男たちが言いたい放題に喚いているのを、エルフの頭が制した。


「仕事前から盛る馬鹿は射殺すぞ」


 ドスの利いた声が賊共を凍りつかせた。


「お楽しみは仕事の後にしろ。まずはリリーバラだ!」

「応!」


 エルフの号令に従い、飛竜に乗ったならず者共たちは去っていく。


 去っていく賊共を睨み付け、ジークマリアは呟いた。

「あれは『空賊』ですな。どうやら、リリーバラを襲いに行くらしい」

「……大丈夫かしら?」

「分かりません。港町ですから湖賊、海賊の類への防衛はお手の物と思われますが、空からとなると……」


 ジークマリアはその先は語らない。苦虫を噛み締めるかのような顔であった。


「ですが、我々には……特に姫様の使命には何ら関係の無い事です。空から見つからないように近くの森に入ってやり過ごしましょう。仮に見つかったとしても、森なら打つ手があります」


 ジークマリアは南に広がる森林を指差した。


「なるほど。確かに、それが一番安全か」


 額に刺さった矢をどうにか抜き、閉人は頷いた。

 だが、


「駄目よ、マリィらしくないわ」


 エリリアは珍しく、ジークマリアの言葉に口を挟んだ。


「マリィは我慢をしているわ。今すぐリリーバラに飛び込んで賊を追い払いたい。罪の無い人たちを助けるために力を使いたい。あなたの騎士道はそういうものでしょう?」

「っ……」


 賊に弓を射かけられても平然と受けて立ったジークマリアが怯んだ。

 図星のようだ。

 だが、ジークマリアはすぐに気を持ち直して反駁した。


「そんな事はありません。騎士とは主君を第一に考えるものです。自己満足の正義感にかまけて主君を危険に曝すなど、在ってはならぬことです」


 きっぱりと、ジークマリアは言ってのけた。

 エリリアは困ったような顔をしたが、すぐに何かを思いついた様子で、手を打った。


「そうよ、マリィ。私は『きゃびあ』が食べたいわ」

「???」


 呆然とする二人をよそ目に、エリリアは声色を強めた。


「主君の命令よマリィ! 私は今すぐ『きゃびあ』が食べたいの。食べないと死んでしまうわ。私が『きゃびあ』を食べたいの、お分かりかしら?」


 エリリアらしくも無い、甲高く高圧的な喋り方。

 だが、それでも隠しきれない愛嬌のような物が、閉人には少し可愛らしく思えた。


「姫様……」


 ジークマリアはやや困惑しつつ、恐る恐る訊ねる。


「それはもしや、学院のカトレア先輩の真似ですか?」

「……」


 エリリアは僅かに赤面したが、頷きはしなかった。


(って、誰だよ!?)


 閉人はツッコミを入れたかったが、何も言えない。

 ただ、エリリアがジークマリアに気を使って道化を演じているらしいことはよく分かった。


「それにね、マリィ。私の、マグナ=グリモアの力は大陸秩序の為にあるの。手の届くところにいる人を助けられないなんて、姫巫女である意味がないわ」


 エリリアは毅然と言い放つ。


(姫さんかっけぇこと言うなぁ……)


 閉人が感嘆する横で、ジークマリアは腹を決めた様子で頷いた。


「……仕方ありませんな。姫様は一度仰ったことをそう簡単に曲げられるお方ではない」


 ジークマリアは大きく息を吐くと、にやりと笑った。


「では、ここは一つ観光と参りましょう。『きゃびあ』は鮮度が命と聞きます。フィガロをお呼び願えますか」

「もちろん」


 エリリアは紐で首から下げたホイッスルに息を吹き込んだ。


「お願い、フィガロ! ランク2、精霊魔術『呼霊サモン』!」


 どこからともなく蹄の音がして、エリリアの契約した精霊馬『フィガロ』が駆けてくる。


「姫様、これから参る場所は街とは言えど危険です。どうか、ご油断無きよう」

「ええ、もちろん」


 二人してフィガロに飛び乗ったエリリアとジークマリア。

 対して、閉人はなにやら出遅れていた。


「閉人、何をしている。賊を討伐しに行くぞ」

「いや……言いそびれてたんだけど……その……」


 閉人は二人の少女に背を、いや、尻を向けた。


 そこには、一本の矢が突き立っていた。

 賊が奇襲時に放った矢である。

 臀部(おしり)の真ん中を矢が貫いており、尾てい骨を突き抜け、まるで尻尾のように閉人の動きに追随していた。


「馬に乗る前に……抜くの、手伝ってくれません……?」


 閉人は赤面した。


(何をやっているんだ、俺は……よし、ここは一つ俺も頑張って二人の役に立つぞ!)

 フィガロが周囲の景色を置き去りにする中で、閉人は決意するのであった。



 『断章のグリモア』

 その14:旅の期限について


 偉大なる魔導書『マグナ=グリモア』は七大種族の代表機関であるグリモア議会の管轄下にある。

 マグナ=グリモアの継承は王家の承認と騎士団の補助があって初めて成り立つ重要な国家行事であるが、その旅をどのように過ごすかはあくまでも姫巫女の手に委ねられている。

 その証拠に、旅に期限を設けるような掟は今のところ存在していない。

 十三代続く継承の中には十五年を要したケースもあれば、三カ月で手短に済ませられてしまったケースもある。

 そんな中、エリリアたちには重要なタイムリミットが一つ存在していた。

 来春、ラヴォン魔術学院の新学期の始まりである。

 現在、エリリアとジークマリアは一年間の休学を申請して継承に当たっている。マグナ=グリモアの継承及びその守護には特別な単位が発生するため、一年の休学ならば彼女たちは問題なく旧友たちと卒業することができるのだ。

 学業と継承を両立したいというエリリアの意思は確かにこの旅に反映されている。閉人のホームシックにその日程を割くのを大と見るか小と見るかは、人次第であろう。

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