0-2-4 守護者

 ランク。それは魔術の等級である。

 魔術はエーテルを行使する術。

 動力となるエーテルの規模と、それを演算する魔文字式の集合体「魔導書グリモア』の複雑さによってランクは定められる。


 ランク1から4は『汎用魔術』。

 この領域は魔導書の形をしたグリモアを必要としない単純な魔術を主とする。

 『汎用』と称されるだけあり、魔術に特化した魔術師でも扱えることが多く、戦闘のみならず一般生活にまで広く活用されることが多い。

 また、道具に魔文字を書き込むことで搭載できる魔術は、ランク4が限度とされている。


 ランク5から8が、一般的に『魔術』と呼ばれる魔術である。

 これを使役できるのはエーテルの扱いに長けた魔術師のみである。

 さらに、行使するには魔導書グリモアと、膨大な魔を出力する触媒マテリアルが必要となる。

 制限が大きいがその分得られる効果は大きく、常人の力を越えている。

 魔術師は高ランクの魔術を扱えて初めて一人前と認められるのである。


 そして、さらにその上の領域が存在する。

 ランク9以降。

 『大魔術』。これは個人の発動できる領域ではない。

 ……はず、だった。



「ランク9、魔術『怨神刃螺羅之万華鏡おんしんはららのまんげきょう』」


 宣言と共に、エリリアの額に七芒星の紋章が浮かび上がった。


「ランク9だと? ハッタリだ! 魔導書グリモアも無しに、どうやって」


 戦くドットを見据え、エリリアは頷いた。


「グリモアならあります。本の形をしていないだけです」


 エリリアは、彼女を庇う閉人の後ろから歩み出した。


「姫さん?」


 エリリアの意図を量りかねる閉人に、エリリアは微笑みをかけた。


「ご心配をおかけしました閉人さん。行きましょう。マリィにお土産を買って帰らないと」

「あ、ああ……」


 エリリアから放たれている燐光には触れがたい『魔』が漲っている。

 そういった感覚に乏しい閉人ですら、今のエリリアには凄い力が宿っているのだと直感で分かってしまうのだ。


 ならず者冒険者たちには、それがより肌身に染みて分かるようだった。


「……これが、『大魔術』……」


 ペイズリーはもはや抵抗する気も失せていたが、


「ふ、ふざけんな!」


 ドットは最後の抵抗とばかりに閉人にナイフを突き出した。

 が、


「ッ!?」


 突然、ドットの身体が強張り、止まった。

 ナイフが手を離れ、エリリアの足元に転がる。


 エリリアは右手の親指を握りしめ、あらぬ方向に捻じ曲げていた。


「『怨神刃螺羅之万華鏡(おんしんはららのまんげきょう)』は『反射』の魔術。私に掛けられた魔術を刎ね返し、誰かに私の状態を反射させる呪いの鏡」


 エリリアは、ナイフを落としたドットに向き直る。


「どうか、お金を返してはいただけませんか? あれは、私の騎士が旅の為に節約して貯めてくれたものの一部なんです。私たちは、それでマリィに元気になれるものを買って帰るんです」


 エリリアははっきりと述べた。

 ドットはたじろいだが、魔術に心を照らされても、まだ意地が残っていた。


「けっ、嫌なこった。その魔術で好きなように俺を操ってみたらどうだ?」

「この魔術にそんな力はありません。人の意志は変えられませんから」


 エリリアは静かに答えた。

 だが、その毅然とした態度が、ドットのいら立ちを加速させる。


「いいか、テメェら三人が三人、全員に俺ぁむかついたぜ。隙をついて必ずぶっ殺して、犯して、売り払ってやる。俺に屈辱を味あわせたことを後悔させてやるッ!」

「……私の大切な旅の仲間に手は出させません」


 エリリアはドットが落したナイフを拾い取り、左手に持った。

 そして、酷く不慣れな手つきで、その刃を自らの右手首に当てがった。


「待て、姫さん何を!?」


 閉人が叫ぶ。


「私の右手首の腱を切って、あなた方三人の手にも『傷』を反射します。一度反射した傷は、私が解除しない限り永遠に残り続けます」


 エリリアの表情は真剣だった。

 刃の先端が右手首に触れた。

 ドットとペイズリーの顔が青ざめ、右手首に手を当てた。

 刃の冷たい感触を感じたのである。


「待て、姫さん。そこまでしなくてもいいだろ」


 閉人が止めようとするが、エリリアはナイフを離さなかった。


「駄目です。私のせいで大切な人たちが傷つくところなんて、見たくありません。彼らを不能にします」


 腱。手の腱には指や手首を曲げたり伸ばしたりする機能がある。

 これを切断すれば、日常生活に支障をきたす。

 冒険者は続けられない。


 だが、ドットだけはなおも闘志の籠った目でエリリアを睨み付けた。


「やってみろや。お前もただじゃ済まないんだろ?」

「はい。とても『痛かった』です」


 閉人は察した。


(そうか、右手首の傷は……ッ!)


 エリリアは、かつて誰かにも同じことをしたのだ。

 だとすれば、またやりかねない。


 エリリアの平然とした気迫に、ドットとペイズリーは脅しでないことを悟った。


「や、やめ……」

「やめません」


 エリリアはきっぱりと告げ、そのままナイフを手首に……


「駄目だ」


 間一髪のところで、閉人がエリリアからナイフを取り上げた。


「閉人さん、何故です?」

「……姫さん、アンタはこんな事しちゃ駄目だ」


 閉人はそのままエリリアの左手を引いて駆けだした。


「ま、待て……っ」


 見張り番のドラゴニュート、ペイズリーが立ちふさがるが、


「うるせぇ、どけ!」


 閉人の剣幕に怯んでいる内にすり抜けられてしまう。


「閉人さん、私たちのお金が……」

「アンタの方が大事だ!」


 閉人は叫ぶと、エリリアを連れて裏路地を駆け去った。



「……畜生がぁっ!」


 ドットは空き地に打ち捨てられたガラクタを蹴り飛ばした。



 †×†×†×†×†×†×†



「お店の余り物で悪いケド、祝いの品ヨ、ジャンジャン食うネ」


 グログロアに夜が来た。


『旅立ち荘』の竜人ドラゴニュート、リィリィがバイト先から肉やらパンやらを大量に持ち帰って来たために、旅立ち荘の面々は新しい入居者を祝うべく宴会に突入していた。


「ほら、嬢ちゃんも気にせず食べるんじゃぞ」

「はい、いただきます」


 エリリアは山盛りに盛られた焼肉の皿と杯を渡されて頷くが、その目はジークマリアと閉人を探していた。


「君の連れたちなら、何やら屋上で話し込んでいるぞ」


 答えたのはヴァンパイヤの青年ジュゲムであった。

 夜になったためか、心なしか顔色が良く見え、そこそこ楽しそうに宴会を享受している。


「屋上ですか?」

「ふむ。外に梯子がある。案内しようか?」

「いえ、大丈夫です。ちょっと寂しいですけど」


 エリリアは微笑むと、杯を取った。


「いただきます」


 杯の中身、ドワーフ名産の火酒を一気に飲み干していく。


「おお、良い飲みっぷりじゃ! 将来有望じゃぞ!」


 グレンは手を打って喜び、酒瓶の栓をまた一つ開けた。



 そんな宴会の乱痴気をよそに、閉人は杯をあおっていた。


 ジュゲムの言う通り、閉人とジークマリアは『旅立ち荘』の屋上で夜風に当たっていた。

 山間部にあるグログロアには谷を抜けるように風が吹き、些か肌寒い。


「ふむ、そんなことがあったか」


 ジークマリアは焼き鳥を頬張りつつ呟いた。


 閉人はジークマリアに事のあらましを話した。

 昼間の冒険者にかなり執拗に追われたこと。

 エリリアが凄い魔術を用いたこと。

 そして、エリリアが自らを傷つけてまでならず者たちを撃退しようとしたこと。

 思いつく限りの全てを話した。


「私としたことが、失態だった。クズめ、あの場で殺しておくべきだった」

「……」

「冗談だ」


 ジークマリアは少し酔っているらしい。凛とした武人の顔が、心なしか緩んでいるような気がする。


 閉人は内心で戦々恐々としていた。

 エリリアを危機に曝し、一歩間違えれば最悪の結果になっていたのだ。

 ジークマリアに全てを話したのは、その申し訳なさからという一面もある。


「よくも姫様を危険に曝してくれたなゴミめ」

「貴様は役立たずだ」

「死にぞこないが」


 などと散々に罵倒されることを覚悟していた。

 だが、ジークマリアは怒ったりなどしなかった。


「下僕にしてはよくやった」


 と、彼女にしては優しく聞こえないこともない言葉が飛び出した。

 酔っているせいなのか、態度が軟化している。


(ったく、調子狂うぜ)


 閉人はさらに酒をあおりつつ、続けた。


「なあ、あれは……姫様の魔術って何なんだ? あれが『マグナ=グリモア』ってやつの力なのか?」

「うむ……」


 ジークマリアも杯を進め、答えた。


「だが、ほんの一部だ。姫巫女が自身を守るために使用を許可されている」

「そんなに凄いのか、マグナ=グリモアってのは」

「この国の王家と対を為すほどの力だ。故に狙われている」

「……大変だな、姫さん」

「ああ。大変なことだ」


 ジークマリアは杯を傾けた。


「姫様はご自分の使命に真摯だ。だが、その為に周囲を巻き込むことをとても恐れている。姫様の手首を見たならば、分かるだろう。私は、誓って姫様を守り抜く」

「それなんだがよ」


 閉人は杯を置き、ジークマリアを見据えた。


「ジークマリア、俺に戦い方を教えてくれないか」

「……ほう」


 ジークマリアもまた杯を置いた。


「何故だ?」

「俺が死ねないのは、姫さんの使命が関係あるんだろ? 死ぬはずだった俺は、その為に生かされている。そんな気がしてならねぇ」


 閉人は自らの首を擦る。まだ、縄目の跡が残っているような気がした。


「俺は無価値だ。と同時に、世界も無価値だと思っている。でも、姫さんを見ていると、そうでもない気がしてくる」

「……惚れたか」

「そんなんじゃねぇよ。もっと、あれだ……」


 閉人は照れくさそうに杯を干した。


「それに、姫さんがああまでして気にかけてくれる以上、何もしないってわけにはいかねぇだろ」


 閉人の顔は赤かった。酔っているからだけではないだろう。

 土気色の肌に、生命の赤みが差している。


「くくく」

 と、ジークマリアは、笑った。


「確かにな。荷物持ちと薪拾いぐらいにしか役に立たない奴を『守護者ガーディアン』扱いするのも気が引けていたところだ」


(ち、抜かしやがる)


 閉人は舌打ちしつつジークマリアを見た。


「で、頼めるか?」

「学院では騎士道監督生を務める私だ。断るはずもない。ただ、一つだけ条件が……」


 ジークマリアが言いかけた、その時であった。


「おい二人共、いいか?」


 梯子を上ってきたジュゲムが屋上に顔を出した。

 夜の中でも彼の赤い瞳が輝いているようで、その姿がはっきりと見て取れる。


「エリザベスの様子がおかしい。ちょっと来てくれ」


「何だと!」


 閉人とジークマリアは同時に動き出した。


「梯子じゃ遅い。暴れるなよ」


 ジークマリアは閉人の首根っこを掴んで屋上から飛び降りた。


「ひぃぃぃぃぃ!」


 閉人はこんな人間離れしたジークマリアについていけるのか、不安になりつつもエリリアの身を案じるのであった。



 †×†×†×†×†×†×†



 その頃。


「ち、むしゃくしゃするぜ」


 グログロアの片隅の酒場でドット、カラクサ、ペイズリーは呑んだくれている。

 だが、その卓にあるのは安っぽい酒のみ。

 カツアゲに精を出した結果が三〇〇〇ドルマでは、普通に働いた方が幾倍マシである。


「あいつら絶対に許さねぇ。一度ならず二度までも俺に屈辱を!」


 ドットは杯をドンと卓に叩きつける。悪酔いであった。


「おい、もう関わるのは止しておこうぜ。あいつらなんか変だ」


 ドラゴニュートのペイズリーは右手にあてがわれた冷たい刃の感触が忘れられないらしい。

 しきりに右手首を擦っては、傷が無いことを確認していた。

 これがまた、ドットの癪に障るのであった。


「あぁ畜生。おいカラクサ、何か良い手はないかよ?」


 ドットの問いに、粛々と呑んでいたヴァンパイヤ、カラクサは陰気で欲深そうな目を二人に向けた。


「どうだろうな。不死者、ランク9、化け物じみた女騎士……三者三様に厄介だ。俺らとは役者が違うんじゃないか?」


 カラクサは淡々と述べ、杯を傾ける。


「何をふ抜けた事抜かしてやがる。寝込みでも何でも隙を突けば幾らあいつらでも……」


 ドットは言いかけて、自分の物言いが一番情けない事に気が付き、


「くそがぁ……」


 と、呻いた。


 その時であった。


「今、ランク9と言ったかね?」


 低い声がして、カラクサの肩に手が置かれた。


「? 何だ、アンタは?」


 杯に口をつけたままカラクサが振り返る。

 その姿を目の当たりにした瞬間、


「ッ!」


 カラクサは杯の中身を足元に吐き出した。


「ゲホッゲホッ! あんた、グログロアに戻って来てたのか!?」


 カラクサの慌てようにドットは目を丸くした後、敵意を含んだ目を向ける。


「やめろドット! この人を怒らせたら駄目だ!」


 男の足元に跪き、カラクサは頭を下げた。


「変わりないようだな、カラクサ」

「は、はい……フィロ殿も御変わり無いようで……」


 フィロと呼ばれた男はヴァンパイヤであった。

 黒い外套を身に纏い、フードを目深に被った中年男。

 奇妙なことに、右手にだけ手袋をつけている。


 その佇まいに隙はなく、抜身の刃のような冷たい殺気が常に彼の周りに漂っているようだった。


「ところで、今話していたランク9の事だが……」

 フィロは手袋を外し、右手を曝した。


「こんな傷のある少女ではなかったかな?」


 曝された手首には、一本の紫色の筋が走っていた。


「……」


 ドット、カラクサ、ペイズリーは顔を見合わせ、恐る恐る頷いた。


「素晴らしい」


 ヴァンパイヤ、フィロ=スパーダは微笑み、席に就いた。


「一つ、面白い仕事を君たちに提供したいのだが、どうだろう?」


 グログロアの夜は様々な思いに沸き、徐々に、徐々に、更けていくのであった。



『断章のグリモア』

 その8:『怨神刃螺羅之万華鏡』について


 ランク9『怨神刃螺羅之万華鏡』は、姫巫女としてマグナ=グリモア継承に臨むエリリアに与えられたマグナ=グリモアの断章(つまり、ほんの一部)である。

 その効果は『自分を誰かに反射すること』。

 かなり概念的だが、大魔術とは得てしてそういう物である。


 かいつまんで説明するならば、術者であるエリリアの『状態』(容姿、感情、思考、位置、かけられている魔術など)を複製して誰かに押し付けること。


 一番分かりやすい使い方は『傷の反射』だろう。

 術の前提としてエリリアがその状態にならなければ無いのが弱点だが、逆を言えば、彼女を殺すためには絶対に実行犯は死ななければならない。

 護身の術としては使い勝手が悪いものの、使いこなせばいろんな用途が存在するだろう。


 グリモア議会が彼女にこの術の使用を許可しているのには、大魔術を操る応用性の育成の意味もあるのかもしれない。

 それだけ、エリリアが継承することになる力は巨大で複雑なのである。

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