0-2-3 裏路地の姫巫女

 第七話『裏路地の姫巫女』



 武器屋の冷やかしお断りの睨みから逃れてきた閉人は、依然としてエリリアの手を引いたまま、大通りの途中で立ち止まった。


「うわぁ、はっず……三〇〇〇ドルマじゃ逆立ちしても武器なんて買えないんだな」


 閉人は未練ありげに振り返るが、武器屋の眼差しを思い出してがっくりとうなだれる。

 そんな閉人に手を引かれたままだったエリリアだが、ふと


「っ」


 眉を僅かに曇らせた。


「あれ、どうしたんです、姫さん?」


 閉人の問いに、エリリアは一瞬逡巡した後、少し申し訳なさそうに答えた。


「すみません、閉人さん。その……手を、離していただけますか?」

「!」


 武器屋から逃れるように立ち去ってから、手を握りっぱなしだったことに気が付き、閉人は慌てて手を離した。


「ご、ごめんよ! 俺なんかが手を握ったりしちゃって……」


 閉人の自己卑下は標準装備である。

 エリリアは慌てて首を横に振った。


「いえ、あの、手を握ること自体は構わないんです。ただ、右手はちょっと……」


 エリリアは右手を引込めると、身体の後ろに隠した。

 その際に、ちらと右手首が閉人の視界に入る。


(あれ……?)


 手首、白磁のような肌に何か、紫色の線が浮いていたように見えた。


「もしかして……怪我してるんですか?」

「もう治りかけです。ただ、あまり動かすと痛むんです。ちょっとだけ、ですけど」


 エリリアは微笑む。気を使って言っているのが閉人にはよく分かった。


「ごめん。俺、一人で舞い上がって……」


 自己への嫌悪感が閉人の中で渦巻く。

 こういう失敗、特に他人に迷惑を掛けた時に、閉人は自分に失望する癖があった。

 そんな閉人は、何よりも自分が嫌いだった。


(異世界に来ても変わんないな、こうやって空回りして、人に迷惑をかけて……)


 閉人が自殺してまで抹殺したかったのは、他でもない。

 生きているだけで何者かに迷惑をかける、それでいて無価値な自分であった。


 閉人の心はこの世界に来る前から深く傷ついている。

 傷を旅に埋もれさせ、今は忘れていただけであった。


 そんな閉人の弱っている心を、エリリアは知っていただろうか。


「閉人さん、はい」


 エリリアは、左手を差し出した。


「こちらでしたら大丈夫ですよ」


 エリリアの言葉に、閉人は一歩退いた。


「い、いや、別に手を繋ぎたいって訳じゃなくてですね……」

「お嫌でしたか?」

「そうじゃないけど。繋ぐ必要も……」

「でしたら」


 エリリアは閉人の右側に回り込み、彼の右手と自らの左手を繋ぐ。


「繋いではいけない道理もありませんね? それに、閉人さんは私の『守護者ガーディアン』さんなんですよ」


 そう言って、輝かんばかりの笑顔を見せた。


「ぐっ」


 閉人は、全身を強張らせた。


(だから、そういう攻撃は俺に効くんだって! 勘弁してくれ!)


 心の中で悲鳴をあげた。

 まるで父親に手を繋いでもらった幼児のように、エリリアは嬉しそうにしている。


(惑わされるなよ、俺! 惚れるな、癒されるな、絆されるな! 姫さんにとってはこれが普通だ! これから死んでやろうって人間が、美人の一人や二人で心を動かされてたまるか!)


「くっ……」


 閉人はこめかみを押さえて、自分の感情を制御しようと試みた。

 その時、ふと、エリリアの仕草が目に入る。


 エリリアは、意識して右手首を身体の向こうに隠し、閉人からは見えないようにふるまっていた。

 気を使っているだけだろうか。いや……


(つーか、あれって……)


 かつて、手首に似たような傷をつけた経験があるからわかる。

 エリリアの右手首に走っているのは、手首そのものを切断するかのような深い切り傷だった。

 怪我をしたと言っていたが、そう答えるエリリアの表情は、彼女にしては割り切れない感じがした。

 事故であそこまでの傷がつくことなど、あるのだろうか。

 それとも……


(まさか、有り得ない。この姫さんに限って……)


 閉人はすぐにその思考を振り払った。



「閉人さん、マリィに何かお土産を買って行きたいのだけれど、何がいいでしょうか?」


 つないだ手を振り上げながら、エリリアは訊ねてきた。


(ほら、この姫さんは気遣いできる子だ。そんな大逸れたこと、するはずがないじゃないか。そりゃあ、ジークマリアの奴が守ろうとするのも、まー分かるわ)


 閉人が短く笑うように息を吐くと、エリリアの手を握り返した。


「そうだな……普通に美味いもん買って帰りましょう。何か、『旅立ち荘』の人たちにもおすそ分けできる物を。三〇〇〇ドルマで足りるか分からないけど」

「なるほど、素敵です」


 二人で笑い合った、その時であった。


「よぉ、お熱いこったな」


 ゴツっ。

 肉が潰れ、骨にまで衝撃が届いた音がした。


「ぐぇ……ッ」


 閉人は後頭部を棍棒で殴られて昏倒した。


「閉人さん!?」


 エリリアが驚いたのも束の間、


「ランク2魔術『催眠ナイトシープ』」


 別の男が杖の先から光を放ち、エリリアの瞳を通じて脳に干渉する。


「あっ……」


 エリリアは意識を失い、倒れかけたところをまた別の一人に捕まえられた。

 下手人は合計で三人。


「成功だ。しばらくは目を覚まさんぞ」

「よし、引き摺りこめ」


 閉人とエリリアは、大通りから裏路地へと連れ込まれていく。



 その一部始終を見ていた者も大通りにはいただろう。

 だが、ここはグログロア。

 もとより無法者たちありきの街であった。


「新参者か」

「何か変な騒ぎでも起こしたんだろ、自業自得だ」


 新参者を助ける義理も義務も、あるいは普通の街と同じように、持ち合わせてはいないのであった。


 ただ、一人。


「あの黒い瞳、まさかあの時の?」


 冒険者の女が眉をしかめた。腕をギプスで固め、たすきで吊っている。


「この腕では何かできるという訳でもないが……」


 羽織った上着のフードを目深に被り、連れ去られた閉人たちを追って密かに路地裏に駆け込むのであった。



 †×†×†×†×†×†×†



「ハ、美女二人を侍らせてるからどんな凄い奴かと思えば」


 ならず者冒険者、ドットは厚手のブーツを履いた足で閉人を足蹴にしていた。

 そこは人通りの少ない、裏路地の奥の奥。

 かつては物置にでも使われていたのか、小広い空き地になっていた。


 その中心に閉人が倒れ、棍棒を持ったドットになぶられている。


「二五〇万とやらをポンっと奪い取れ。『催眠』はそう長く保たんぞ」


 ならず者の一人、ヴァンパイヤのカラクサが魔術でエリリアを寝かしつけ、欲深で陰気な目をドットに向けた。


「へ、誰も来やしねぇさ。それに、楽しむなら嬢ちゃんが起きた後だろ」

 ならず者の三人目、ドラゴニュートのペイズリーが空地の入り口を見張りながら嘯いた。


 閉人は、傷だらけの身体で地面に這いつくばっていた。

 彼らから最も恨みを買っているのはジークマリアのはずだったが、


「テメェも、一目見た時から気に入らねぇと思ってたんだ」


 と、割とどうでもいいらしく、閉人の横っ面を蹴り飛ばした。

 閉人は身体のあちこちが悲鳴を上げているのを感じながら、内心でぼやいた。


(まったく、ああいう突っぱねかたしたらそりゃ恨みも買うさ。憂さ晴らしなら、部屋で寝てるアイツん所に行ってほしいもんだぜ)


 ぼやきつつ、身体の再生を待ってどうにかエリリアを救い出す算段を考えているのであった。


 そんな閉人の心を知らず、ドットは閉人を見下ろして勝ち誇る。


「いるんだよなぁ。こういう、顔だけで女囲ってメシ喰ってるような冒険者。だが、そんな半端な奴がこのグログロアで通じると思ってんじゃねぇぞ」


 閉人は、ドットの言葉に口角を釣り上げた。


「はぁ? 俺の顔のドコがいいって?」

「血塗れなところさ」


 閉人の減らず口を叩き折るように、棍棒が横合いから叩きつけられた。


「ぐぇッ」


 閉人は顔面から血を噴き出した。


「おぉ、血も滴る色男。あと数本も歯を折ってやれば、男前の出来上がりだぜ」


 ドットは嗜虐心を湛えた目で、閉人を見下ろしている。


「おい、二五〇万ドルマをポンッと出せる色男さんよ。あのクソ女騎士から受けた屈辱の慰謝料、払ってくんねぇかな。なあに、一〇〇〇万ぐらいでいいさ」


 ドットの的外れな要求に、閉人は呆れたように笑った。

 懐から財布を取り出して、放る。


「持ってけよ。それ以上は逆立ちしたって出ねえよ」


 ドットはその中身を見て、失望を露わにする。


「けっ、整形の代金にもらってやるよ」


 苛立ちを足に乗せ、何度も何度も閉人にぶつけるのであった。

 脇腹や鳩尾を執拗に蹴られ、閉人は幾度となく血反吐を吐いた。


 骨の折れる音、再生、骨の折れる音。

 閉人の身体の中で起きている破壊と再生にも気づかず、ドットは暴力を振るい続けた。


 閉人は暴力に曝されながら様子を窺う。

 閉人には妙な確信があった。


(こいつらには無理だ。俺を、殺せない)


 グレイトタスクよりも、『曇天の狩猟団』よりも、ジークマリアよりも、あるいはこれまで経験したどんな自殺法よりも、命に届く気配を感じない。


 閉人は元々、自分で自分を殺そうとした男である。

 痛みや暴力には慣れているし、「ぶっ殺すぞゴラァ」というような脅しは問題ではなかった。


 問題があるとすれば、エリリアのことだ。


「それくらいにしておけ。当てが外れたな、ドット」


 エリリアを捕まえたまま、ヴァンパイヤのカラクサが諌めた。


「だったらどうする」


 苛立ち気味にドットが訊ねると、カラクサは当然のことのように答えた。


「この女を奴隷商人に売り飛ばそう。これだけの上玉ならすごい値が付く」

「そ、それは流石にまずいんじゃないか」


 二の足を踏むのは見張り役のペイズリーだった。


「心配することはない。ツテはある」


 カラクサは平然と答えた。

 ペイズリーは眉をしかめたが、


「へ、へへ。良いじゃねぇか。女騎士の吠え面が目に浮かぶようだぜ」


 ドットはほくそ笑んだ。


 ……だが、それを黙って見過ごす閉人ではなかった。


「やめろ」

「あ?」


 閉人は、いつの間にか立ち上がっていた。

 滅茶苦茶になっていた顔面は再生し、血も消えていた。


「何だぁ、テメェ? 白魔術でも使ったか」


 ドットが苛立ち混じりに棍棒を振り上げると、


「姫さんに手ェ出してんじゃねぇッ!」


 閉人は棍棒を避けることもせず、その横っ面を思いっきりに殴り飛ばした。


 相打ち。

 ただし、双方ともに傷は浅い。

 閉人は不死であるし、閉人の戦い慣れていない拳もまた、ドットの芯にまでは響いていない。


「あ? 何だ? 自分はどうなってもいいが、女は大事ってか?」

「当たり前だ、クズ野郎!」


 自分のことは割とどうでもいい。というより、どう転んでも結果が似たようなものだから構わないのだが、エリリアに関しては違う。

 あるいは『守護者(ガーディアン)』としての強制力がそうさせるのかもしれないが、閉人はそうは思わなかった。


「ち、弱ぇくせにイキッてんじゃねぇ!」

 ドットの棍棒がもう一度振り上げられ、閉人は拳を振りかぶる。


 今度は、どちらも本気であった。


「おぼぇ」

「グハッ!」


 閉人の首の骨が折れ、頭がい骨がメコリと凹む音がした。

 流石の閉人も、頭を潰されかければ意識が霞む。


 対して、閉人の拳もドットの意識を思いっきり捉えにかかった。

 今度は、「思いっきり」の度合いが違う。


「痛ぇ!」


 そう言って手を振ったのは閉人の方である。

 見てみれば、ドットの頭蓋を殴り飛ばした拳から、指を形づくる白い骨が覗いている。


 人間は普段筋力を制限して生活している。

 だが、この制限は特殊な精神状態や薬物によって外すことができる。


 閉人の場合は、自分の意思ではなかった。

 頭部のダメージが偶然、その制限を破壊したのであった。


(へ、効いてやがるな。死ぬ気になってやれば、俺だってやれねぇことはねぇ)


 折れた首と頭蓋骨、そして拳が再生していくのを感じながら、閉人はなお敵意をむき出しにしてドットを睨み付けていた。

 頭の黒髪を巻いていた頭巾が、再生する骨と肉に押しのけられ、はらりと地面に落ちた。


 瞬間、カラクサ、ドット、ペイズリーの顔の色が変わった。


「黒い瞳に黒い髪、『不死者』か……っ!」


 驚きの声を上げたのは、カラクサであった。


「あ? それがどうした」


 閉人は鼻腔内に溜まった血を鼻息で吹き飛ばしながら、身構える。

 素人丸出しのファイティングポーズ。

 だが、ドットたちの見る目は明らかに変わっていた。


 その証拠に、


「動くな!」


 カラクサが右手に持った杖をエリリアの首筋に押し当てた。


「女がどうなってもいいのか。詠唱一つで簡単に殺せるぞ。何だったら、顔を潰してやってもいいんだぞ!」

「……ッ!」


 カラクサは閉人を危険視しているらしい。エリリアを急きょ人質にとり、安全策を取った。


「クソ……!」


 閉人はカラクサを睨み付けた。動く素振りは見せない。

 人質が有効と悟るや、ドットは閉人に殴られた箇所を擦りつつ、残忍な笑みを浮かべた。


「まさか『不死者』とお近づきになれるとはなぁ」


 ドットは仕返しとばかりに棍棒で閉人の頭を殴りつける。


「ああ、驚いた。こいつは手足をもごう。生き胆も売りとばせる。不死者の身体なら血の一滴でも高く売れるぞ」


 冷静に述べるカラクサ。かなり後ろ暗い商売に精通しているらしい。

 見張りをしていたペイズリーは、


「やべぇことになってきやがった……」


 と、内心ビビっていた。


「へへへ、何だよ、ちゃんと『金目の物』も持ってるじゃねぇか、ザクッと出してもらわねぇとな」


 懐からナイフを取り出したドットが閉人に迫る。


「ちっ……」


 依然として死ねる気はしない。

 だが、これはマズイ。

 閉人は改めて身構えるが、


「抵抗するな」


 カラクサの言葉が閉人を縛る。


「畜生……ッ」



 ドットのナイフが閉人の肩関節を抉りにかかった、その時であった。


「やめてください」


 鈴を鳴らすような涼やかな声がした。


「姫さん!」


 エリリアが目をさまし、左手で頭を押さえていた。


「ち、意外に早く起きたな。少々手荒だが、重ね掛けしておくか」


 カラクサが杖を振るおうとした瞬間、


「させません」


 エリリアがそれに続いて何かを呟くと、


「ぐ……が……ッ!?」


 カラクサはその場で卒倒し、動かなくなった。


「何やってんだカラクサァッ!」


 怒るドットだったが、逆に今度は閉人がそれをけん制し、エリリアを庇うように身構えた。


「姫さん……大丈夫?」

「はい。ここは私に任せてください」


 その額には、七芒星をモチーフにした奇妙な紋章が浮かび上がっている。


 エリリアは怒れるドットを、恐々とするペイズリーを。

 そして、エリリアを庇う閉人の背を見据え、静かにその名前を呟いた。


「ランク9、魔術『怨神刃螺羅之万華鏡おんしんはららのまんげきょう』」


 ランク9。

 それは、個人の手には届かない高次元ランク、『大魔術』に類する魔術であった。



 『断章のグリモア』

 その7:魔術と情報媒体について


 魔術とは、魔を魔文字式という特殊な言語で制御して発動する技術である。

 電気に対する機械装置のような物で、魔文字式はそのプログラムを書いているようなものだと思えばいい。魔文字による記述量が多ければ多い程魔術は複雑になり、その度合いを示すランクは高くなっていく。


 古来、魔術の分類は、


 ランク1~4、道具などにも組み込める単純な『汎用魔術』

 ランク5~8、書物レベルの媒体でないと記述できない狭義の『魔術』

 ランク9以上、書物を越えた情報量を持つ『大魔術』


 と決められていたが、結局これは『魔導書』を書物の媒体に限定した尺度に過ぎない。

 例えばコンピュータを媒体に魔術を記述した場合、書物媒体とは比べ物にならない膨大な記述量の魔術を行う事が出来るだろう。

 もちろん、ローランダルクにはコンピュータもスマートフォンも無いが、一部の魔術師たちはその技術的制約に対して挑戦し、一定の成果を残している。


 エリリアが手に魔導書グリモアを持たずに『大魔術』を行使しているのが、その何よりの証拠である。

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