0-2-1 迷宮都市グログロア

 マギアス魔法王国。

 ローランダルク大陸の東側を占める大国。

 その広大な国土を地図の上から見た中心には、グード山脈が横たわっている。


 その山間部に『迷宮都市グログロア』はあった。


 街が迷宮なのではない。地底に広がる巨大な『迷宮』に挑む冒険者たちの拠点。

 そこに関係産業の業者たちが集まり、やがて街になったのである。



 金髪銀眼のマグナ=グリモアの姫巫女、エリリア=エンシェンハイム。

 紺色髪の女騎士、ジークマリア=ギナイツ。

 そして、不死者にして『守護者ガーディアン』、黒城閉人。


 奇妙な旅の一行はグログロアを取り囲む山の一つを踏破し、ごつごつとした山の峰から街の全容を目の当たりにしていた。


「うわ、こりゃあすげぇ」


 荷物持ちでこき使われていた閉人は、荷の重さも忘れてその光景に感嘆した。


 山々に囲まれ、すり鉢状になっている斜面に大小さまざまな家屋が立ち並び、その中心からは濛々と煙が噴き上がっている。


 建物の乱立振りは、無計画な増改築を繰り返したアジアの住宅街のようである。

 まるで生き物のように意匠の異なる建造物が連なり、所々が橋で繋がれ、その合間を人々が行き交っている。


「街に入ってからはあまり騒ぐなよ。姫様まで田舎者だと思われてしまう」


 閉人の感動に水を差したのはジークマリアである。


(ちっ、いちいち突っかかってきやがる)


 閉人は心の中で舌打ちをした。



「でも、聞きしに勝る光景ですね。王都とは全く違います……」


 と、感嘆したのはエリリアである。

 それを聞いて、閉人はほくそ笑む。


(ほれ見ろ、姫さんだって感動してるじゃんかよ、ばーか)


 閉人が勝ち誇ったように視線を送ると、ジークマリアはそれを軽く受け流して続けた。


「とにかくだ、閉人。姫様は追われている身、その黒髪も目立つから隠しておけ」


 ジークマリアは適当に見繕った布を閉人に放った。頭に巻けと言う事だろう。


「へいへい」


 閉人はジークマリアが怒り出さない程度に適当に答えると、布を頭に巻いた。


「って、待った。姫さんって追われてんのか?」


 閉人が訊ねると、ジークマリアは頷いた。


「姫様が継承する偉大なる魔導書『マグナ=グリモア』を狙う輩がいるのだ。貴様を射抜いた黒装束の連中もその手先だ」


「あー」


 そう言えば、そんなのもいた。

 グレイトタスクの一件が強烈過ぎて忘れていた。


「とにかく、この世界の事を何も知らん貴様は、姫様に尽くすことだけを考えろ。くだらん自殺ごっこにかまけるなよ」


 ジークマリアは凛と言い放つと、鎧を鳴らしてさっさと山を下り始めた。


「もう少しですよ。頑張りましょう、閉人さん」


 エリリアは閉人を励まし、ジークマリアに続いて山道を降っていく。旅慣れているらしく、その足取りは意外に軽い。


(うーん、眩しい)


 エリリアの後姿を目で追いつつ、閉人は心の中で歎じた。

 エリリアに励まされると、死にたくてたまらないはずの閉人の心が華やぐ。


 だが、閉人の性根は度重なる自殺失敗と鬱によりひねくれている。

 華やぐことをむしろ悔しいと感じるのであった。

 心をケアされるとよりささくれ立つ。

 奇形的な精神構造。


 閉人は二人の少女、特にジークマリアの方を『一筋縄ではいかん奴』認定しているが、自分も人の事を言えない難物なのであった。



 †×†×†×†×†×†×†



 グログロアの中心には迷宮と呼ばれる巨大洞窟の入り口がある。


 街はそこに近付くほどに標高が低くなっていく、所謂すり鉢状になっている。

 中心に近い、低い場所になるにつれ冒険者向けの施設が増えていくようだった。


 例えば『鍛冶屋』『薬屋』『触媒屋』など。

 加えて、何かよく分からない施設もいくつかある。


 そうした街を見下ろすように北に聳えるのが、街の中心機関『ギルドハウス』であった。


 グログロアは『迷宮』という不可思議な存在に対処する為、マギアス王家やグリモア議会の干渉を退けてきた歴史がある。

 よって、冒険者たちの同業者組合たるギルドこそがグログロアの統治者なのであった。


 エルフやドワーフ、地球産ファンタジーの産物とされていた存在が闊歩している中、閉人は内心の動揺をどうにか隠して、ギルドハウスの受付の前で、ジークマリアを待つのであった。


「冒険者登録ですね。私どもで記入いたしましょうか? ご自身で用紙に記入していただく形でもご用意がございますが」


 受付嬢の流暢な問いに、ジークマリアは手慣れた様子で受け答える。


「心配には及ばない。連れ二人の分も用紙をもらえるか」

「かしこまりました」


 やがて、奥まった場所から取り出された登録用紙がジークマリアの手に渡る。


「姫様、ご記入をお願いします」

「仮名でいいのよね」


「もちろんです。この街では冒険者としての登録名が適用されます。本名を用いる必要はありません」

「ふふ、それは素敵。どんな名前にしようかしら」


 エリリアがペンを取って楽しげに考えているのを尻目に、ジークマリアは荷物持ちで立ちっぱなしの閉人の傍らにどんと座った。


「ん」


 ジークマリアはいかにも面倒くさそうに閉人を睨み上げる。


「名前、性別、年齢、特技を言え。私が代筆してやる」


「は?」


 閉人は眉をしかめた。


「余計なお世話だ、自分で書く」


 当たり前のようにペンと用紙を受け取ると、ジークマリアは目を丸くした。


「貴様……まさかとは思うが、もしや、読み書きができるのか?」


 信じられない。と言わんばかりの顔である。

 閉人からしてみれば、流石にカチンとくるものがある。


「流石に馬鹿にし過ぎだ。人を何だと思ってやがる……」


 声を荒らげかけて、閉人はハッと自らの口を押えた。

 ジークマリアと話していた受付嬢の口振り、それに周囲の人々の雰囲気で何となく察したのである。


(あ、やべ。ここじゃあ文字の読み書きって誰でもできる訳じゃないのか……)


 ものの本で読んだ中世知識というか、常識が脳裏を過る。


 読み書きと言うのは、当たり前のようで当たり前ではないのだ。

 水道や電気のように、かなりの手間があって初めて『当たり前』となる。


 無遠慮に見回してみれば、冒険者登録を口頭で行っている男が視界の端に見える。


 肌が赤い。

 ファンタジー的にどういう種族なのかまでは閉人にはよく分からなかったが、確かに、口で言って書いてもらっている。


(冒険者って……そもそもどういう連中なんだ?)


 山で出会った『曇天の狩猟団』の冒険者たちを思い出す。

 彼らは戦い方も振る舞いも合理的かつ紳士的だった。

 だだ、業界全体としてはその限りではないのだろう。


 改めて連れの二人を見てみれば、ジークマリアはまだ荒事に向いているとしても、エリリアは完全に場違いである。


「つーか、何で冒険者になるんだよ。姫さんと宝探しでもするのか? それともドラゴン退治?」

「ふ、貴様は本当に物を知らんなぁ」


 ジークマリアは鼻で笑うと、閉人の胸を指差した。


「冒険者登録は、この街での市民権を得るためのものだ。貴様がもらったような『ギルドカード』を発行できるようになる。それがこの街では名刺代わりなのだ。宿屋に泊るにも買い物をするにも、在った方が得だ。高い登録料を差し引いても釣りが出る」


 つまり、会員になるとお得になるという、ロマンの欠片も無い理由だった。

 迷宮とやらで冒険をするつもりはないらしい。


(そんな、本屋のポイントカードじゃあるめぇし)


 閉人は少しがっかりした。

 冒険という未知の世界に触れられないことが残念、というのもある。


 それに加えて、


「迷宮っていったら、『やべーやつ』がいっぱいいるだろうになぁ」


 という意味でもガッカリであった。


 『やべーやつ』とは、グレイトタスクのような魔物の事である。

 閉人は魔物に食べられて死ぬこともまだ諦めていない。


 そこまで思い至り、閉人はふとジークマリアの言葉に引っ掛かりを覚えた。


(ん、何でコイツ、俺がギルドカードもらったこと知ってるんだ?)


 ジークマリアは当然のようにカードの存在を知っている。


(そう言えばこいつに裸に剥かれたんだったな。その時か……)


 と、あの朝のことを思いだし、一人ごちる。

 と同時に、あの時に見たジークマリアの半裸を思い出して閉人は眉をしかめた。


 無骨な鎧に身を包んだジークマリアには心身ともに隙がない。

 仮に日本刀を持って彼女と立ち会ったとしても、絶対に負けるだろうという妙な自信が閉人にはあった。

 まだジークマリアの戦いぶりを見たことはないが、立ち振る舞いを見ていればそれくらいは分かるものである。

 だからこそ、無防備に肢体を曝け出している寝姿に、閉人はやられかけたのであった。


(畜生……ホント、見た目だけは可愛いのに……)


 閉人はジークマリアの美貌「は」素直に認めてしまう自分が嫌になり、吐き気を我慢するような顔をした。


「つまらん顔をしてないでさっさと書け」

「……へーい」


 せめてもの目の保養にと、閉人は仮名を考えているエリリアの方に目をやりつつ、ペンを走らせた。


 幸い、話し言葉と同じで、閉人の読み書きも日本語からこちらの言語に変換されていた。


(なんて都合が良いんだ)


 と、呆れてしまう。


「ほらよ」

「ふむ、まあ、良いだろう」


 ジークマリアは閉人の用紙を見て、意外そうに頷いた。

 名前、『コクジョウ=ヘイト』。

 変わった名前だが、異国風の顔立ちと相まって、そこまで不自然には見えないらしい。


 年齢は二十一。性別は男。特技は読書とゲーム。


「……待て、この『ゲーム』というのは何だ?」


 つい地球のノリで書いてしまった項に、ジークマリアが噛みついた。


(ち、また何か小言を言われるのか?)


 閉人が身構えると、ジークマリアは神妙な顔をして、


「『騎士将棋』か?」


 と、訊ねた。


(何だそりゃ?)


『騎士将棋』というゲーム名にまるで聞き覚えのない閉人であった。

 恐らくはこの世界独自の遊戯名を、自分の頭の中の翻訳機能が適当に訳したのであろう。


「まあ、将棋も分からないことはねぇよ。ルールぐらいだったら」


 閉人が適当に受け答えをすると、ジークマリアは妙にうれしそうに、


「そうか、ふふふ……」


 と、閉人からしてみれば薄気味の悪い笑みを浮かべたのであった。



 その時である。


「あの、その紙を返していただけますでしょうか……?」


 エリリアの困ったような声がして、ジークマリアと閉人は同時に振り返った。


「おっとっと、ごめんよカワイコチャン。あんまり綺麗なもんだから、名前が気になっちまってよぉ」


 ヘラヘラと、冒険者らしい男がエリリアの登録用紙を取り上げて眺めていた。


「へぇ、16か、若いな。その年で冒険者ってことは、ワケありかよ?」


 男は、エリリアが困っているのにお構いなしで登録用紙の内容をあれこれとエリリアに問い迫っていた。


「そりゃ、目を離せばそうなるか」


 と、閉人は手を打つ。

 荒くれ者の中に美少女を放りこんだら、やはりこうなるのだろう。


「あの、まだ書いてる途中なので……」


 と、ズレた困り方をしているエリリア。

 割って入るべきかを決めあぐねていた閉人の代わりに、ジークマリアが動いた。


「おい。姫様からその薄汚い手をどけろ」


 ジークマリアが鬼の如き形相で男の手首を握っていた。


「お、連れも中々……」


 軽口を叩いてにやけたのも束の間、


「喝っ!」


 ジークマリアが気合を発すると、男の身体が周囲の人々の視界から消えた。


「……へ?」


 次の瞬間、男の身体は天井に激突していた。相当な勢いで投げ上げられたらしく、ミシミシと天井の木造板が軋む。


「軽薄の輩が姫様の文字を拝むなど、おこがましいにも程がある」

「ぐ、げ……」


 男の手から離れた登録用紙がヒラヒラと舞い落ち、少し遅れて男の身体が重力に引かれて床に激突した。


(げぇ! こいつ、こんなに強いのかよ……!)


 圧倒的な武技。

 あるいは、怪力?

 閉人は傍らで眺めつつ、生唾を呑みこむのであった。


(こいつは、あんまり怒らせない方がいいな……)


 心の中で呟きつつ、閉人は舞い落ちたエリリアの登録用紙を拾い上げた。

 ちょっと興味が湧いて覗きこむ。


「ん?」


 閉人は、謎の文言を見つけて首を傾げる。


「姫さん、これは一体……?」


 用紙の記入欄を示して訊ねると、エリリアは満面の笑みで頷いた。


「はい、『エリザベス=フォン=ハウ=ローゼン=パーク四世』。これが私の登録名です♪」

「……もう一回いいすか?」

「はい、『エリザベス=フォン=ハウ=ローゼン=パーク四世』です」


 エリリアは自信満々に目を輝かせた。

 頑張って考えました! と言わんばかり。


(長ッ!)


 閉人は思わず突っ込みを入れそうになるが、


「……素敵なお名前です姫様。閉人、貴様もそう思うだろう?」


 振り返れば、ジークマリアの目が笑っていない。

 同調圧力が閉人に圧し掛かっていた。


「……」


 ジークマリアが如何に脅してこようとNOと言える日本人を目指したい閉人であったが、エリリアの輝く瞳を曇らせたいわけではない。


「い、いいんじゃないっすかね。高貴な感じがして……」

「ですよね! 頑張って考えた甲斐がありました♪」


 エリリアの顔に喜びが弾ける。

 心底嬉しそうにはにかむのであった。


(もしかして、この姫さんも結構アレなのか……?)



 こんな一幕を経つつ、一行はそれぞれ冒険者としての身分を獲得したのであった。


 だが、身分だけでは何も知ることはできない。

 閉人が冒険者という存在の本質を知るのは、ずっとずっと先のことになる。



『断章のグリモア』

 その5:迷宮について


『迷宮』とは、ローランダルク大陸の地底に広がる巨大な地下迷宮を指す。

 溢れんばかりの魔に満ち、魔物がはびこり、誰も計れない程に深い。

 その発祥が少なくともマギアス魔法王国の建国より古いことは歴史資料から読み解けるが、その存在意義について記された資料は存在しない。

 そんな『迷宮』の神秘性に心を奪われた冒険者は多い。


 侵入者を拒む深淵の奥には、世界を揺るがす大秘密が隠されているに違いない。

 でなければ、こんな迷宮を作るはずがないじゃないか!


 冒険者たちは夢を抱いてグログロアに集い、やがて独自の文化を持つ独立都市が誕生した。だが、その一方でこの迷宮と、それに群がる冒険者たちを深く嫌悪する者もいる。

「冒険者? あいつらはまるで巨大な肥溜めに集まる小蠅のようだ。気持ち悪い」

 少なくとも、この指摘はある意味において的を射ている。

 『グログロア』という街の名は、ローランダルクの旧いエルフ語において、「寄生蟲」を意味するのである。

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