0-1-4 飴と鞭
「……」
止めどなく溢れるグレイトタスクの血潮を前に、閉人は呆然と立ち尽くしていた。
戦士たちを束ねる中年男は、部下たちに命じてグレイトタスクの首を回収させつつ、閉人の前に立った。
「申し遅れた。私は『迷宮都市グログロア』の冒険者パーティ『曇天の狩猟団』団長ベルモート=フラウ。改めて、窮地に陥った部下への助力を感謝する」
双剣の中年男改め、ベルモートは恭しく頭を下げる。
「俺は、黒城閉人……です」
呆然としたまま反射的に名乗り返す閉人。
そう言えば、まだあの少女たちにも名乗っていなかったな、と、ぼんやり思う。
「なるほど、閉人くん、とお呼びすればよいか?」
「ええ、まあ……」
動揺冷めやらぬ閉人の視界の端で、件の女魔術師が仲間たちに介抱されていた。命に別状はないらしい。
「是非とも閉人くんには正式な謝礼を差し上げたい。よろしければ、グログロアまで共に来て貰いたいのだが、如何だろうか?」
そこまで言われて、閉人は思い出した。
自分は薪と食料を集めて来いと、雨の中に放り出されたのだった。
と言うか、異世界に来て初めて人間扱いされた気がする。
(冒険者か、面白そうだな……あのお姫さんには悪いが、あんなブラックゴリラ女騎士にこき使われるよりは……)
そう思い、
「是非とも、ご一緒させてください」
と、話に乗ろうとしたのだが、
「いえ、連れがいますので」
と、口が勝手に返事をしていた。
「連れ? こんな山中に?」
ベルモートは目を丸くしたが、閉人は閉人で、自分の言ったことに驚いていた。
(しまった、『契約』か……)
どうやら、閉人を逃がさないように強制力が働いたらしい。
閉人は内心で地団太を踏んだが、
「ええ。ご主人様たちに薪と食料を捧げるべく、クソ寒い雨の中を歩き回っていたのです。心遣いはありがたいのですが……」
と、馬鹿丁寧にベルモートの申し出を断っていた。
(うう、口が勝手に……)
自分の口が恨めしい。
「そういう事なら仕方がないな。では、グログロアに寄る際には是非とも『曇天の狩猟団』をお訪ねいただきたい」
そう言って、ベルモートは金属でできた札を懐から取り出した。
「『ギルドカード』だ。これがあれば仮に私が不在でも話が通じるようにしておこう」
どうやら、名刺のようなものらしい。
「どうも」
閉人は両手でそれを受け取ると、懐にしまい込んだ。
そして最後に、
「すんません。この猪のお肉、少しもらってってもいいっすか?」
と、訊ねた。
これは素であった。心なしか、お腹もすいてきた気がする。
グレイトタスクが死んでしまったのは仕方ない。
せめて、食べてやることが供養だと、閉人の中で気持ちの整理がついていた。
「もちろん。狩猟の成果は分け合うに限る」
ベルモートは頷くと、部下たちに命じてグレイトタスクの死体をその場で解体させ、最も良い部位を閉人に分け与えたのであった。
閉人が去った後、冒険者の一人がベルモートに訊ねる。
「あれ、『不死者』ですよね? 黒い髪に黒い瞳、それにあの冗談みたいな不死性。あっさり帰してしまってよろしかったのですか、団長?」
ベルモートは頷いた。
「確かに、『不死者』は『予兆』、『守護者』、『悪魔』、『預言者』、『大罪人』……良くも悪くも、世に動きある時に現れる存在と言われている。『王太子殿下の死』といい『姫巫女の失踪』といい、彼は今の時世に相応しい」
「でしたら、せめてギルドに報告を……」
ベルモートは、首を横に振った。
「彼は普通の青年だよ。加えて、恩人でもある」
「……」
ベルモートは小さく微笑んだ。
「それに仮の話だが、負傷者がいる状況で『彼女』を敵に回すのはよろしくない」
「?」
部下の男は辺りを見回し、首を傾げた。
「何か、潜んでいたのですか?」
「彼、「連れがいる」と言っていただろう。きっとそれだ。大したものだ、あの齢で……」
ベルモートは空を見上げた。
いつの間にか雨は止み、雲の切れ間からは僅かに光が差し込んでいた。
「何にせよ、狩りは終わり、腑分けも済んだ。これ以上何を望もうか。『曇天の狩猟団』、帰還するぞ」
「了解」
ベルモートの号令のもと、冒険者『曇天の狩猟団』一行はその場から消え去った。
まるで最初から何もなかったかのような静寂が取り残されるが、
「グルゥ……」
悲しむような唸りが、もはや聞く者のいない山中を微かに響いたのであった。
†×†×†×†×†×†×†
閉人が洞穴にようやく戻ったのは、陽が落ちようとする頃だった。
例の一件でグレイトタスクの肉を得たものの、閉人は満身創痍であった。
死なないにしても、心身ともに疲れ切っている。
「ん、戻ったか。ご苦労」
何食わぬ顔でジークマリアは閉人を見やった。
閉人の見た目はひどい。グレイトタスクの血に塗れ、度重なる負傷(致命傷)に服はズタズタになり、加えて雨で濡れ鼠である。
「何か、この惨状を見て言いたいことは?」
閉人は恨めしげにジークマリアを睨み付けるが、ジークマリアは膝元で寝息を立てるエリリアを愛おしげに見つめていた。
「おい! なんか言えってんだよ!」
閉人は声を荒らげる。しかし、返ってきた返事は、
「うるさい」
閉人の顔の横の岩壁に突き刺さった槍のみだ。
槍の穂に黒い宝石が埋め込まれた銀の槍。
「姫様がお休みになられている。同情を買いたいなら隅でメソメソ静かに泣いてろ。それか、外でやれ」
ジークマリアは平然と外を指差した。いつの間にか雨は止んでいたが、そういう問題ではない。
「うっ」
一睨みで閉人は気圧された。『曇天の狩猟団』達が放った物ともまた違う殺気。
「ち、畜生……」
(年下の女の子に何でこんなこと言われなくちゃいけねぇんだっ!)
閉人は心の中で憤るが、気迫で勝つ事も出来ないので、
(うう、情けねぇ。死にてぇ……)
せめてもの意地と、焚火の前に拾って来た薪と食料を置いて、自らも焚火に当たった。
「畜生、あったけぇ……」
閉人は薪を幾つか火に放り、暖を取る。
(そう言えば、焼身自殺はまだ試してねぇな……)
そんな事を思いながら、疲労していた身体は速やかに睡眠の闇へと落ちて行った。
閉人が半泣きで眠りに就いたのを見届けると、ジークマリアは小さく息を吐いた。
「少しは意気地があるかと思ったが、濡れた服のまま寝るとはだらしない奴。貴様の様子を見に行ったせいで、私までずぶ濡れだ」
ジークマリアは旅の荷物から自分の分の毛布を取ると、自らの膝の代わりにエリリアの枕とした。
そして、立ち上がり、
「まったく、姫様に仕える身で風邪など引いたらどうするつもりだ、世話の焼ける……」
纏っている鎧を外し、閉人の襟元、ぼろきれのようなスーツのボタンに手を掛けた。
†×†×†×†×†×†×†
そして、朝が来た。
「ん……」
閉人は、妙に清々しい気持ちで目を覚ました。
鬱には睡眠障害が付き物である。寝ようとしても寝られないとか、夜中に目が覚めるだとか、悪夢を見るだとか、とにかく、そういったものが閉人に付き纏っている。
だが、この朝だけは別だった。
疲れ切った身体が睡眠を享受し、悪夢一つ見ない深い眠りが閉人の心の濁りを拭い去ったようである。
洞穴の入り口から差し込む太陽が眩しく、心地よい。
(気持ちいい……)
だが、それはあくまで一時の気分でもある。
「なーにを、いい気になってんだ、俺は」
眠りに就く前の事を思いだし、閉人は自分で自らの気分を押し沈めた。
「ったく、こき使われて寝覚めが良いなんざ、ドMもいいところだぜ……」
不機嫌な顔をして、ムクリと起き上がる。
すると、
「ん……」
起き上がった閉人の傍らで、声がした。女の声。
「げ!」
閉人は驚きの声を上げた。
自分が寝ていたすぐ横で、ジークマリアが眠っていた。
しかも、裸で。
(って、俺も裸じゃねぇか!)
辺りを見回すと、焚火の近くにパンツを始めとして、閉人の服一式が干してある。
「何だ、何だ、何があった!?」
「ん、うるさいぞ……」
ジークマリアは薄目を開けて閉人を睨み付け、寝返りを打った。
毛布がはだけ、最低限の下着しかつけていない肢体が露わになる。
一枚だけの毛布。今になって思えば、アレにくるまって裸で同衾していたという事になる。
(ひぃ~っ!)
閉人は自らの口を押えて悲鳴を押し殺すと、大急ぎでパンツを回収し、履いた。
生乾きだったが、大自然で素っ裸よりはマシである。
「ふわぁ……おはようございます、『守護者(ガーディアン)』さん」
焚火のそばで、姫巫女エリリア=エンシェンハイムが起き上がる。
ありがたいことに、ちゃんと服を着ていたが、
「あら?」
その視線が、半裸のジークマリアとパンツ一丁の閉人との間で行き来した。
「あらあら、まあまあ……」
ぽ。
エリリアは頬を紅潮させた。
閉人はその意味を悟り、首を振った。
「いや、その……違いますからね?」
エリリアは、頬を紅潮させたまま何度も頷いた。
「分かっています。分かっていますから!」
エリリアはフルフルと美しい金髪を震わせた。
(絶対分かってない……)
そうこうしている内に、
「む……おはようございます、姫様」
閉人が振り返ると、既に鎧を纏ったジークマリアが何食わぬ顔で起き上がっていた。
「い、いつの間に服を……っ!?」
驚き慄く閉人に特に構う事無く、ジークマリアは荷物から火打石を取り出し、薪に火をつけた。
「朝食にしましょう。この下僕に取らせてきた食料がございます」
「あら、そうなの? ありがとうございます、『守護者(ガーディアン)』さん」
エリリアはペコリと頭を下げた。
閉人は怒涛の展開に流されないように、一つ咳ばらいをした。
「……俺には
下僕というのも嫌だし、『
少し苛立ち気味に宣言したが、
「あら、そうなんですね。よろしくお願いします、閉人さん」
エリリアは頷くと、閉人の手を取って宝物のような顔で微笑むのであった。
(……)
閉人は思わず目をそらす。
(騙されるな。こいつら、人の事こき使っておいて掌返しやがって。姫様だか女騎士だか知らないが、美人だからって、調子に乗るなよ! その手には乗らねぇからな!)
閉人は後ろ向きの思考をフル回転させた。
(美人と同衾したり手を握られたしたりしたくらいで俺が自殺をやめると思うなよ! 絶対死んでやるからな、すぐに死んでやるからな!)
顔をひきつらせ、精一杯の憎悪を捻出しようとする閉人だったが、
「大丈夫ですか、閉人さん。もしや、お風邪を?」
心配そうに、上目使いで見上げるエリリアの視線が突き刺さる。
(ぐ、眩しい……)
「姫様、下僕にお気遣いは無用です。下手にでると増長します」
ジークマリアがグレイトタスクの肉を串焼きにしながら他人事のように述べるので、
(こ、この
と、脳内でキレ散らかすのだった。
(畜生、どの道死ねないんだ。こうなったら、成り行きに身を任せてやる!)
閉人はグレイトタスクの串焼きを頬張ると、腹を決めた。
(このゴリラ女をギャフンと言わせて辱めてやる、それからこの姫さんのいないところで死ぬ! こいつらめ、今に見てろよ!)
後ろ向きかつ前向きに、閉人は心の中で宣言した。
いつの間にか生きる当面の目標が出来てしまっている点には、まるで気が付いていない。
朝餉を終えると、ジークマリアが地図を開いた。
「姫様、後はこの山を越えれば目的地です。明日の昼頃には着くでしょう」
「……そもそも、目的地って何だよ?」
閉人が訊ねると、ジークマリアは地図の一点を示した。
「冒険者たちの自由都市、『迷宮都市グログロア』だ。そこで本格的な旅の準備を整える」
(ん? グログロア? その名前って確か……)
首を傾げる閉人の胸元で、きらりと光るギルドカードがポケットから顔を出していた。
黒城閉人の死ぬに死なれない奇妙な旅は、ここから始まるのであった。
『断章のグリモア』
その4:魔物について
一説によると、『魔』の起源は大陸の地下深くに広がる『地下迷宮』だという。
その影響を色濃く受けているのが、ローランダルク大陸における『魔物』である。
特徴としては『目が三つあること』や『迷宮の魔が濃い場所に生息していること』などが挙げられ、それ以外の生物とはかなり明確に棲み分けが為されている。
グレイトタスクもまた『魔物』の一個体ではあったが、所詮彼は『迷宮』そのものから弾き出されたはぐれ者に過ぎない。
『迷宮』に住まう魔物とは、もっと名状しがたい存在ばかりなのである。
姫巫女一行が目指すのは、そんな『迷宮』の入り口がある街であった。
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