第78話 伊藤家の食卓 その②
今日、私はとても機嫌が良い。
その原因は、親友である柚葉が、ついに思い人である塚原先輩と付き合うことになったからだ。
……と言っても、親友の幸福を純粋に祝福しているから機嫌が良いというワケではない。
(これで、ライバルが一人減った!)
そこには、兄を誑かす存在が一人消えたという、なんとも後ろ暗い感情も含まれているのだ。
(まあ、柚葉とお兄ちゃんが付き合うなんて可能性は限りなく低かったけどね……)
しかし、限りなく低くとも、ゼロでない限り安心はできなかった。
少なくとも兄は胃袋を掴まれていたので、もし柚葉がフラれでもしたら、その可能性も現実味を帯びてきていただろう。
そうならなかっただけで、私にとっては十分に嬉しいことであった。
「~♪」
ついつい鼻歌まで出てしまった。
周囲に人はいなかったから良かったものの、もし聞かれてたら変な子だと思われたかもしれない。
……少し落ち着こう。
現在、私はスーパーの食品売り場に来ている。
目的は夕飯のおかずの買い出し……なのだが、今日はこの気分の良さに乗じて、夕飯作りに挑戦しようと思っている。
品目は卵焼きと焼き魚だ。
卵は家にあるので、買うのは魚なのだけど……
(卵はともかく、魚って何を焼いたらいいんだろう?)
先日柚葉に習ったときは鮭を焼いたが、なんとなく鮭は安っぽい気がする。
柚葉の焼いた鮭はとても美味しいかったけど、鮭より美味しいお魚だったらもっと美味しくなるに違いない。
(となると……、やっぱりマグロよね)
美味しいお魚といえば、やはりマグロだろう。
特にトロなんかは最高だ。
以前、お兄ちゃんがバイト帰りに買ってきた中トロのお寿司は、スーパーの安物にも関わらずとても美味しかった。
アレを焼き魚にすれば、美味しくなくならないハズがない。
(トロで……、そう、ステーキがいいわ!)
あのお肉のような見た目なら、ステーキにすれば絶対美味しいに決まっている。
柚葉から習った焼き方は、普通にお塩で焼くだけだったけど、手順としては大体一緒だろう。
(トロ、トロ……、あった)
生鮮食品コーナーを端から見ていくと、ついに目当てのモノを見つける。
しかし、マグロだけでも結構種類があり、どれにしようか迷ってしまう。
(お刺身はたくさんあるけど……、焼き魚向けのトロって意外と売ってないのね……)
売っているのは、どれもこれもお刺身ばかり。
目的である、焼き魚にできそうなサイズの切り身が中々ない。
(中落ってネギトロのことだよね? それならあるけど……ってあった!)
中落が置いてあるコーナーに、一緒にマグロの中トロの切り身が売られていた。
(でも、中トロかぁ……。できれば大トロがいいんだけどなぁ……)
名前的に、中トロよりも大トロの方が凄そうなので、きっと味も上なのだろう。多分。
(まあ、無いものは仕方ないし、中トロでいいか……って高っ!)
中トロの切り身は、それなりのお値段がしていた。
奮発する気満々だったが、この値段は想定外である。
(どうしよう……)
ギリギリ足りはするのだけど、正直一回の食費にこの値段を払うのは躊躇われる。
しかし、気持ちとしてはステーキだったので非常に悩ましい。
(うーん……、いや、こうなったら、いっそハンバーグにしてみようかな……?)
すぐ近くに売られているマグロの中落は、中トロにも関わらずお値段が安い。
これなら全然手が出るレベルだ。
(ハンバーグの焼き方はならってないけど、基本は一緒よね)
問題はソースだけど、これは余った予算でデミグラスソースを買えばいいだろう。
(よし、今日のメニューは中トロのハンバーグに変更!)
私は買い物かごに二人分の中トロの中落を放り込み、レジへと向かう。
(一人で料理するのはコレが初めてだけど、これでお兄ちゃんを唸らせることができたら完璧よね)
お兄ちゃんは、柚葉のことを豊穣の女神とか言ってたけど、果たして私のことはなんと呼んでくれるだろうか?
今からお兄ちゃんの反応が楽しみ過ぎて、思わずにやけてしまいそうだ。
(……でも、油断はダメよね)
ハンバーグの作り方は柚葉に習ったワケじゃないし、あまり根拠もなく自信を持つのは良くないだろう。
私は、せめてハンバーグの作り方くらいはあとで調べようと思った。
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