第30話 悪意と救い



 昼休みが終わり、午後の授業が始まった。

 5時限目の教科は体育……、私の嫌いな授業の一つである。

 今日はキックベースというスポーツをやるそうだ。



「ふぅ……」



 保健室から戻った私は、体調は少し回復していたものの、大事を取って体育の授業は見学することになった。

 元々体を動かすことは得意じゃないので、授業に参加できなくて残念という気持ちにはならない。

 ただ、見学になって嬉しいかというと、正直微妙な所だったりする……


 運動音痴の私にとって、スポーツは全般的に忌避する対象だ。

 つまり、するにしても見るにしても、興味がないことに変わりはないので、見学になっても憂鬱な気分は変わらないのである。

 ……まあ、参加することでみんなの足手まといになったり、怪我をするよりはマシではあるのだけど。



「うわ! 朝霧さんスゴ!」



 急に上がった歓声に不意を突かれ、ビクリとする。

 授業も見ずに、趣味の創作にふけっていたので、見咎められたと思ったのだ。

 小心者の自分に自嘲しつつも、そちらに目を向けてみる。

 真っ先に目に映ったのは、凄い速さでグラウンドを駆ける柚葉ちゃんの姿だった。



(凄い……、柚葉ちゃん、あんなに速く走れるんだ……)



 柚葉ちゃんは、2塁のベースを蹴ってホームに駆けてくる所だった。

 キックベースは野球と違って塁が一つ少ない為、2塁の次はホームになる……、と先生は説明していた。

 つまり、柚葉ちゃんはホームランを打った(蹴った)ということになる。

 グラウンドに柵は無いので、ランニングホームランになる、のかな?



(本当に、凄いなぁ……)



 柚葉ちゃんは、勉強もできるし、運動神経も抜群で、そしてとても綺麗……

 彼女を初めて見た時、こんな少女が本当に現実に存在するのかと、私は心底驚いた。

 そんな彼女が友達になろうと言ってきた時は、夢でも見ているのかと思ったくらいだ。

 ……でも、夢じゃなかった。

 次の日も、その次の日も、柚葉ちゃんはちゃんと私に話しかけてくれた。



(う……)



 そんなことを思い出していたら、不意に涙が溢れてきた。

 私は慌ててハンカチを取り出し、目に当てる。



(危ない、危ない……。こんな何も無い状況で泣いてたら、また変な子だって思われてしまう)



 私が変な子なのは事実なのだけど、それでもからかわれたり、悪口を言われれば心が痛くなる。

 だから、できる限り普通に見えるように努力しているのだ。

 ここでも前と同じような状況になるようでは、引っ越してきた意味が全く無くなってしまうから……





 ◇





「それじゃあ、授業を終わります! 体育委員はボールを片しておいて下さい」



「「はい」」



 先生が皆を集め、解散を告げる。

 まだチャイムが鳴るまで5分程あるけど、この先生はいつも着替えのことを考えて余裕をもって終了してくれるのだ。

 性格も良いし、教え方も上手なので、結構人気のある先生である。



「麻生さんもお疲れ様、見学、退屈じゃなかった?」



「いえ、その、あはは……」



 こんな時、咄嗟に嘘がつけない自分は本当に不器用だなと思う。



「あら、やっぱり退屈だった? 誤魔化さなくても大丈夫よ。正直に言って貰った方が、先生もやり方変えられるから」



 先生はニコニコ笑いながらそう言うが、私は少し怖くなった。

 だって、やり方を変えるって……、具体的にどういう風に変えるのだろう?



「ん? 麻生さん、なんだか目の周りが赤らんでいるわよ? もしかして、泣いてた?」



「い、いえ! こ、これはその、目がかゆくて、擦っちゃって」



 この嘘は、先程涙が零れた時に、あらかじめ考えておいた嘘だ。

 クラスメイトに見られていた場合への備えだったけど、早速役に立った。



「……そう? でもそれなら、水でゆすいだ方が良いわね。プールの所に洗浄機があるから、行きましょう?」



 先生はそう言って、私を洗浄機の所まで連れて行ってくれようとする。

 でも、そんな風に手を引かれなくても、洗浄機はここからでも見える場所にある。

 わざわざ先生の手を煩わせる必要も無いだろう。



「だ、大丈夫です。一人で行けますので……」



「そう? じゃあ、私はこれで戻るから、麻生さんも授業に遅れないようにね?」



「はい」



 私は返事をして、プールの入り口付近に設置された、目の洗浄機へと向かう。

 別に本当にかゆいワケじゃないから、わざわざ洗う必要も無いのだけど、フリでもいいから洗っておくべきだろう。



「……でさー」



「っ!?」



 洗浄機に近付くと、近くから話声が聞こえたので思わず身を隠してしまう。

 特に身を隠す理由なんて無いのに……、イジメられていた頃の癖は中々抜けていないようであった。



「……って思わない?」



「思う思う!」



 声の主は、どうやらウチのクラスの体育委員のようであった。

 先程、先生に片づけをお願いされていたし、体育倉庫にボールなどを片付けに来たのだろう。

 私は二人とはまだ話したことも無いし、名前もちゃんと覚えていなかったので、隠れたついでにこのままやり過ごすことにする。

 しかし、結果的にそれは失敗だった……



「実際、麻生さんが今日の授業出てたら、絶対邪魔だったよね」



(っっっっ!?)



 その言葉を聞いた瞬間、私の体は完全に硬直してしまった。

 もっと早くこの場を去っていれば、こんなことを聞かずに済んだのに……



「だよね~。あの子、ドン臭そうだし、病弱とかで面倒そう」



「ね~。同じ班とかになったら、絶対大変だよね、アレ……」



「それは大丈夫じゃない? 朝霧さん達が面倒見るっぽし?」



「あ、そっか~。いや~朝霧さんと同じクラスになれて良かったわ。面倒ごとも引き受けてくれるし、本当便利・・だよね~」



 二人の会話が頭の中で反響し、ぐわんぐわんと脳を揺らす。

 怒りや悲しみの感情がぐちゃぐちゃになり、私の中に渦巻いていた。



「まあ、あの朝霧さんのいたクラスって色々問題あったせいか、なんかみんな大人ぶってるよね」



「だよね~。ちょっとムカつくとこある」



「やっぱり? 私もさ、朝霧さんって凄いと思うけど、ちょっと可愛いからって調子乗ってる気がして、嫌だったんだよね……」



 心臓がバクバクと鳴っている。

 私にしては珍しく、怒りの感情がこみ上げてくるようであった。

 柚葉ちゃんに対しての悪意ある言葉が、私に強い怒りを覚えさせているらしい。



(友達を悪く言われて、何も言えないなんて、絶対嫌だ……)



 私は覚悟を決め、勇気を振り絞り、二人の前に出て行こうとする。

 しかし……



「……じゃあさ、麻生さんを、やっちゃわない?」



(っ!?)



 その言葉を聞いて、私は再び凍り付いてしまった。

 怒りで熱くなった頭は一気に冷え、体が震え始める。



「……あ~、確かにあの中じゃ一番簡単そうだもんね」



「ね! 外部編入で他に友達もいなさそうだしさ」



「そうね。坂本も伊藤も気が強そうだけど、麻生だったら泣き寝入りしそう……。やっちゃおうか?」



「決まり! あとで友達に連絡回しとくよ!」



 私のすぐ傍で、私の暗い未来がどんどんと決まっていく。

 でも、私にはそれを止めることなんて、できなかった。

 だって、そんなことが出来るなら、初めから引っ越してくる必要うなんて、なかったもの……


 どうしてだろう?

 なんで、私はいつもこうなんだろう?

 今度こそ、ここでならきっと、私も普通に過ごせると思ったのに……

 こんなことならいっそ、学校になんて通わなければ……



「おい」



「っ!?」



 その時、急に男の人の声が、二人の談笑に割り込んできた。



「お前ら、さっきから不穏な会話してるけど、全部丸聞こえだったからな」



「な、何のことよ!?」



「いや、その反応は無いべ……。ばっちり他の奴も聞いてたし。これでイジメなんて発覚したら、お前ら真っ先に吊るしあげられるからな? 住所まで特定されて、素顔はネットで晒されて……。人生終わっちまうぞぉ~?」



「そ、そんなことできるワケ……! だ、大体に、私達が何かする証拠なんて無いでしょ!?」



 二人は強がっているのか、男子生徒を凄い目で睨んでいる。

 しかし、体は少し震えており、明らかに動揺しているようであった。



「いや、証拠とか言い出してる時点で、やましいこと企んでますって言ってるようなもんだろ」



「っ! だ、だからってアンタなんかに何が……。そ、そうだ! ここで私達が叫んだら、アンタの方が不味いことになるわよ!」



「何がそうだ! だよ……。あ~、でもそう来ると、こっちも穏便には済ませられなくなるなぁ……」



 男子生徒は、それまでおどけた様子だったのが嘘のように険しい顔つきになる。

 睨みつけるのとは違う……

 あれは、まるで害虫か何かを見るような……



「フン! 脅したって……」



「ちょっと志穂!」



「え、何……?」



「あの人って、いつもアノ先輩と一緒にいる……」



「……っ!?」



 その瞬間、先程まで強気だった志穂と呼ばれた少女の顔つきが変わる。

 そして二人は、何やらやりとりをしてから逃げるように去ってしまった。



「……やれやれ。陰険そうな奴らだな」



 少女たちが去って行ったあと、男子生徒はそんな独り言を呟く。

 私は何が起きたのか良くわからないまま、その男子生徒の事を見つめていた。



(あの人は、一体誰なのだろう?)



 体操服の形状から、高等部の生徒のようだけど……

 そんなことを考えていると、不意に男子生徒の顔がこちらに向いた。



「っ!?」



「なあ、あの二人は行ったし、もう出てきても平気だぞ?」



 男子生徒は、そう私に声をかけつつ、悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。



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