49.2 「君にはまだ彼を止められるんだ」

 地下水路は本当にヒドい場所だった。

 見たこともない大きな羽虫がいて、これが無駄に人懐っこい。

 ブブブブという羽音が耳のすぐ下で響いて、オレはパニックで失神しそうになった。

 息をするのもつらい。

 勿論明りはなく、時折ライターをけて確認しながら壁を手探りで進んだ。

 やがて――梯子はしごを見つけた。

 おそらくメンテナンス用だ。

 その頃にはオレはここが取水路でなくて排水路だって確信ができていた。

 その古い、軽く千年誰も使っていなさそうな梯子でシャフトを上に行く。

 丸いふたを持ち上げてのぞくと、そこは薄暗い小屋の内部だった。

 誰もいないようだ。蓋を持ち上げて外に出る。

 真ん中には謎の機械が設置されていた。

 ひとつだけある扉は施錠されていたが、小窓から見ると外はどうやらアレン=ドナ城の中庭、内郭インナー・ベイリーだ。

 小屋の中には、オレが抜け出た穴とは別の穴があった。

 井戸だ。

 するとここはポンプ室。井戸からポンプでみ上げた水は――パイプを通って、貯水槽へゆく。ポンプの後ろの壁に、パイプスペースが口を開けていた。

 ずいぶん小さな口だが、オレひとりならどうにかなる。

 オレはそこへ潜り込んだ。

 パイプスペースの中をパイプと一緒にって奥へ、更に上へと向かう。

 垂直なところは両手両足を突っ張って登る。

 やがて再び水平になり、少し進むと奥のほうがほんの少しだけ明るい。

 風も入ってくる。

 オレは――ひとりじゃない。

 鼠がいる。

 沢山の鼠たちが、オレと一緒にパイプスペースを進む。

 やがて行き止まりに着く。

 鉄のさくが出口をふさいでいた。

 外にオメガがいるかどうか、柵に顔をつけるようにして確認したが――そこからは何も見えない。

 行き止まりの柵をおそるおそる少し持ち上げると、鼠たちがだばだばとそこから抜けてゆく。

 ――ああもう台無しじゃないか。

 オレは諦めてそこから頭を出した。

 そこは――水嵩みずかさこそ減ってはいたがあの貯水槽に間違いない。

 誰もいないかどうか見上げて、オレは人影におののく。でもよく見ればそれは水瓶みずがめを抱えた像だ。そういえば見覚えのあるものだった。

 オレはパイプスペースから這い出て、下に降りた。

 水は膝まで残っている。比較的きれいな水――ありがたい。

 そこで軽く体を洗った。念のためだ。魔力がなくてもにおいでバレちゃ意味がない。

 時計を見ると八時十一分。

 もう何日も異界を彷徨さまよっていた気がするのに、本当にこっちの世界では数分のことだったみたいだ。

 でも急がなきゃならない。すぐに服を着て上のヘッドルームに上がる。

 そこで、誰かのささやく声がしてオレは足を止める。囁き――でもしっかりと驚きと歓喜かんきを含んでいた。


「ノヴェル君――! いいや、いくらなんでもそんな――これは幻覚かな?」

「セブンスシグマ」


 そう。ここには奴がいる。

 ガラスの水槽に入った、奴の首がある。


「君は、どうやってここに――」

「悪いけどもう時間がないんだ。ツインズ・オメガは――奴は――お前らのボスはどこにいる?」

「オメガ? そうか、彼をあんな・・・にしたのは君たちか」


 そう言って、セブンスシグマは嗚咽おえつした。

 泣いているのかわらっているのか判らない。

 セブンスシグマ――? と声をかける。


「どうした」

「いいや――拍手をしたいのに、手がないからね。それが可笑おかしいやら悲しいやらで」

「前より調子がいいみたいだな」

「ああ、そう。今ここには魔力が満ち満ちているからね。こうして君と話すのに頑張る必要もないみたいだ」

「それよりオメガだ。どこへ行った?」

「彼は――瀕死の重傷でここへ戻ったあと、殆どは寝室で休んでいるようだ」


 休んでる! それはオレにとってチャンスだ。


「ホワイトローズは?」

「彼女は普段、外にいるようだ。ゲートハウスかも知れないが。日に二度、数時間だけ戻る。ほぼ十二時間置きで――たぶん朝と晩だと思う」


 朝――朝だと?

 一晩で星を半周してくるような島に朝とか夜とかあるのか?

 具体的な時間を聞いたけど、「僕には時計がないからねぇ」と言われてしまった。


「最後に来たのは? どれくらい前?」

「うーん。十一時間から十三時間の丁度間くらいじゃないかなあ」

「くそ――お前、わざと言ってるだろ! ふざけてる場合じゃないんだ」

「まぁ、それだけ気を付けてってことさ」

「――ありがとう。寝室は三階か? 待っていてくれ。終わったら助け出してやる」


 いや待ってくれ、とセブンスシグマはオレを呼び止める。


「その前に僕を殺してくれ。こいつを割るだけでいいんだ。君の良心が痛むこともない」

「何言ってるんだ! オレはそんなことをしに来たんじゃない――」

「聞いてくれ。彼はこの箱舟で、宇宙へ行く。星の魔力を根こそぎ奪って、宇宙にある巨大なヴォイドに行って――まるで別の世界、ヴォイドの支配する世界へ行くつもりなんだ。そこで彼は永遠に生きる。人でも神でもない者として」


 言っている意味がわからなかった。

 もしそれが奴の真の狙いなら――放っておけばいいんじゃないか? いや、泉はなくなるわけだし、この星にも何か影響があるのかも知れない。爺さんもバランスがどうとか言っていたじゃないか。

 いやそれよりもまず、セブンスシグマを殺したとして、奴がそれを諦めるとも思えない。


「まさか――そうだとして、お前がそれにどんな関係があるっていうんだ」

「この星全部の魔力をかき集めてもヴォイドへは行けない。とんでもなく遠いんだ。だから彼は魔力を集めても意味がないと気づいた。でも考えた。燃料を節約する方法――他の惑星の重力を利用して加速するんだ」

「は――はぁ!?」

「そのための軌道の計算に僕の計算力が必要なんだ。僕はもう計算させられている。どこへ向かって、どれくらいの速度でどう針路をとるべきか。あらゆる星に向かう可能性を、同時にだ。そして――僕の出した答えは、僕も考えたくないことだった」


 自分のことなのに、まるで他人事だ。

 オレは息を呑む。


「僕の出した結論は、まず太陽を・・・消滅させる・・・・・ってことだ。それが唯一、可能性のある始め方だ」

「う、嘘だろ!? 太陽ってのはデカくて重いんだろう!? そんなことが」

「できる。半分だけのあいつには不可能だったけど、今のあいつにはできる。あの黒い力で、魔力を多量に消費することになっても帳尻が合う。それが僕の計算結果だ」

「そんなことって――。空気は? 熱は? どうするんだ――いや――」

「空気は、彼の力でこの島の座標系にピボットしているみたいだ。理屈はよく判らないけど、空気は保全されている」


 たしかに、外の空気は上空を高速で飛行中とは思えないものだった。

 熱は魔術でいいっていうのか。


「いいかい。これは運命だ。何度かのブレークスルーがあった。一つ目は魔力の実験炉、二つ目は僕。最後は完全体になったあいつ自身だ。めるには僕を殺すのが一番簡単で確実だ」


 まさかそんな――。

 急激にオレはえた。

 オレたちのしてきたことは全て裏目だ。

 いや――オレたちは実力以上のことをしてきたのに、奴の執念がそれを上回った。

 奴は弱っても、追い詰められてもいなかった。粛々しゅくしゅくと自分の計画を進めてきたのだ。


「じゃ、じゃあ――オレたちのしてきたことって」

「ノヴェル君! 早とちりはダメだ! 無駄じゃない。君はここへ来た。僕を殺すだけの力がある。君にはまだ彼を止められるんだ」


 オレはどうにか自分をふるい立たせる。

 ――リン、ジャック、姫様、イグズス、ファンゲリヲン。

 皆に約束したじゃないか。


「そうだ――。裏目ならまたひっくり返す。何度でも」

「判ったかい? 判ったなら早く僕を殺すんだ」

「いいやこっちの話だ。お前を殺したりしない。オレにそんな理由はない」

「理由ならある。僕は勇者だ。沢山人を殺し、国を混乱させ、君の友人や皇女を追い詰めた」

「ち、違――。そうじゃない。自分をそんな風に言う人間を殺せるわけないだろ!」


 本音だ。


「とにかく、考えさせてくれ。チャンスをくれ。オレはオメガを倒しに来たんだ! 失敗したらお前を殺してやる」


 これ以上議論するつもりはなかった。

 オレは立ち上がり、出口へ向かう。


「無理だ! 君が先に殺されたらどうしようもない!」

「そうならないようにサポートしてくれよ!」


 そう言って、部屋を出た。




***




「そんな――とても信じられません」

「惑星の重力に捕まって振り子のように軌道を変えながら、再度離れるときにその惑星から運動量を奪うのだ。魔術ではないぞ。巨視的には剛体ごうたいの衝突と同じだ」

「宇宙の旅なのですよ! 地図を見ながらというのとは訳が違います。あなた方には、他の星の大きさや、重さが判るのですか?」

「そのための天文学だ。それに、聖域には天体望遠鏡がある。あれはそのまま使うつもりだ」


 ミハエラはしばし言葉を失っていた。

 ツインズたちは七勇者に死者の『輝き』を集めさせ、自らの魔力とヴォイドを安定化させていた。

 それからつらなる話は、七勇者のこと、七勇者に与えた黒い力のこと――きっとジャックやノートンは聞きたがるだろう。

 だが今、ミハエラが皇女として聞き出さねばならないは彼らの計画のことだった。

 しかもミハエラが理解する必要はない。

 事実のみを白状させることに意味があった。

 彼ら兄弟は、父の計画を実行しようと考えた。

 箱舟計画。

 しかしそれは理論上、不可能のはずだった。ブリタシア女王から奪った魔力実験炉をもってしてもだ。宇宙のヴォイドに至るという彼らの夢はついえたかに見えた。

 それでも、彼らは見つけたのだ。

 宇宙の彼方へ至る方法。

 ――何なのです。そうまでして、宇宙のヴォイドに何があるというのですか。

 ミハエラにはそれが理解できない。

 箱舟を造り、太陽を消滅させ、惑星ごと星系を離れる。

 彼らの箱舟は、そこから別の惑星の重力を利用し、燃料として集めた大量の魔力を維持したままヴォイドへと至る。

 口を突いて出た感想の通り、ミハエラには不可能だと思えた。

 事実のみを白状させるつもりが、その事実は事実としてはあまりにも受け入れがたいものだった。


「り――理論上可能でも、現実的ですか? 惑星は文字通り星の数ほどあり、それも高速で公転運動をしているのです。位置、速度、進入角度――どれを間違えても引力に捕まって墜落ついらくするか、エネルギーを逆にロスします」


 まさにだ、とツインズ・コーマは薄くわらう。


「それを可能にするのがあのセブンスシグマよ。あの男は、我らに僥倖ぎょうこうもたらした。ひとつは同時に無数の計算結果を得る計算力、そして――別の宇宙の存在だ。父の信じた並行世界の扉を、あの男は開いたのだ」

「先ほど言われた、べ、別の宇宙――ですか」


 ミハエラもそのような学説を聞いたのは一度や二度ではない。

 ノートンもまれにそのようなことを口にするが、ミハエラにはパラドクスを解決するための詭弁きべんのように思えていたのだ。


「父の言う通り、ヴォイドの向こうにそれがある。この宇宙ではヴォイドは無限の力ではない。大部分が別の宇宙に漏れているからだ。この宇宙ではそれ単体では存在できないが、ヴォイドが多く存在する別の宇宙なら――我らは存在できる」


 ツインズの父、アレスタ・クロウドは大崩壊の際にそこを目指し、挫折した。


「そのためなら太陽のひとつやふたつ、よもやものの・・・数でもあるまい? 宇宙など無数にあるのだから」


 その道は決して平坦ではなかった。

 彼と彼らの始めた計画は、何度も挫折し、そして何の因果か――彼らにも予測不能の未来を齎したのだ。

 ――このことを――ノートンたちに伝えないと。第二目標は、勇者・真実のセブンスシグマ。


「カ、カーライル! カーライル! そこに居ますか!」


 



***




 オレはアレン=ドナ城パレスの大広間を抜け、三階へと至る。

 ここに寝室があると知っていたわけじゃない。けれど、あるとしたらここだ。

 オレは注意深く廊下を観察した。

 ――ホワイトローズが出入りしているはずだ。きっと何か痕跡が――あった。

 石造りの廊下の床に、たぶん剣先か靴のかかとが付けた傷跡。それも真新しい。

 両開きの重い扉をゆっくりと開ける。

 決して音を立てないように。

 ほんの十センチ開けたところに肩をじ込み、扉に体を挟ませながらゆっくりと――。


(寝室?)


 天守キープだ。

 高い天井と豪奢ごうしゃな円柱状の長い石柱。

 廊下は暗かったのに、ここは明るい。奥のステンドグラスは東向きで、朝日で輝いている。

 その中央に、天蓋てんがいつきの大きなベッドがある。

 ベッドのそばの給仕台に、古く小さな女の子のぬいぐるみが乗せられていた。

 まさかホワイトローズの寝床なんてことはないよな。

 天蓋かられた薄いカーテンに、上半身を起こした人影が映っている。

 ベッドの背中側を起こし、もたれかかっているようだ。

 その人影の首が動いて、こちらを見た。


(まずい――)


 オレは静止する。呼吸を止めても――心臓の鼓動までは止まらない。

 鼓動が、ゴアの声のようにうるさい。

 でも、奴はこちらに顔を向けたきり、動き出す様子はなかった。

 そして何もなかったように、すぐにまた正面を向いた。


(やった! 奴にはやっぱり、オレが見えないんだ!)


 そう気づいて、落ち着くどころかオレの鼓動は更に速く、大きくなる。

 やるしかない。




***




 カーライルに連絡を任せ、再び病室に戻ったミハエラを迎えたのは、激しい怒号だった。


『アリシアの末裔まつえい!! 貴様のかおを見れば判るぞ!! 卑怯者どもめ!』


 縛り付けられて尚ベッド全体を揺らすほどの勢いで、ツインズ・コーマは暴れていた。


「今、兄が目覚めた――『貴様も貴様だ! ぺらぺらと余計なことをしゃべっておったであろう!』 ――終わったんだ、兄さん! ヴォイドへと至るのは、我らの半身だけだ! この世界は滅ぶ! 兄さんの思い通りに!」


 七十年前、彼らが七勇者を作り、大英雄の消息を探し始めると、時を同じくして大英雄らは姿を消した。

 アリシアは隠居し、ゾディアックとチャンバーレインは消息をった。ダイソンはそれ以前に死去していた。

 コーマが『卑怯者』とそしるのはそのことだ。


「カーライル! 医師を呼んでください! 鎮静剤を!」


 激しくうなりながら、ツインズ・コーマの右側はこの世のものとは思えぬ呪詛じゅそを吐き続ける。


『逃げても隠れても――死さえ終わりではない! 我らが宇宙のヴォイドを開放し、大英雄のしたことを水泡に帰す! 奴らの創意も! 工夫も! 研究も! 我が父を踏み台にして生まれた全ての命をだ!』

「カーライル!」

忌々いまいましい!! 忌々しい命だ!! 我らは魔力でヴォイドを包まねば生存できぬのに、この世の者どもは自在に魔力を操り、ヴォイドを知らずに生きておる! 我らの至る新世界は違うぞ! ヴォイドの、ヴォイドによる世界へ行くのだ!』




***




 オレは壁づたいに部屋の隅を移動し、中央の天蓋付きベッドを回り込んで人影の背中側に向かう。

 ゆっくりと近づき、背後からカーテンの隙間すきまに指先を差し込む。

 慎重に――カーテンの繊維の一本一本が、奥歯の神経に繋がっているかのように。あるいは世界一可憐かれんな姫様の髪であるかのように。それはまるで姫様のねやを覗くようだ。

 ツインズ・オメガはそこにいた。

 何が世界一可憐な姫様だ。真っ黒なヒト型のズタ袋だ。ホワイトローズも趣味が悪い。こいつの傍にぬいぐるみを置くなんて――。

 真っ白な長髪で、清潔で高級そうな銀のローブをまとってはいるが、それはもう人間などとは思えなかった。

 太陽を壊して、その勢いで宇宙の彼方を目指そうなんて馬鹿げたことを考えた人間が他にいるか?

 それも全ては自分の小さな箱庭世界のためにだ。

 何が勇者だ。

 何が神だ。

 ――終わりにしよう、名もないはぐれ者・・・・め。

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