Ep.49: フローライト

49.1 「あと数分以内にノヴェルの応答があれば」

「ぶはぁっ」


 オレは勢いよく空気中に飛び出し、手足を振り回しながらどこかの地面に落ちて顔面を強打した。

 ここは――どこだ。

 明るい。まぶしい。

 重力が重くのしかかる。

 空は青空。ああ、ここが現実世界だ!

 オレは顔面の具合を触って確かめつつ、ようやく戻って来られた実感を噛み締めた。

 灰色の岩はごつごつしていて固く、顔面が痛い。鼻血が出ている。

 赤黒い砂もなく、少しだけ草なんかも生えている。

 頭上を飛ぶドラゴンの群れ――生命!

 それもわずかかな間だ。

 こうしちゃいられない。腕時計を見ると時刻は八時少し前。

 天文台で泉に飛び込んだのが七時四十五分くらいだったから、オレの異界の旅は現実には十分ちょっとだったことになる。

 周りを見渡すと、滑らかに切り出された巨石が妙なパターンに並んだり、門のように積み上がっている。

 ガイドブックで見た。ここはストーン・アレイ。元ブリタシアの聖域だ。

 オメガに奪われ、もう訪れることはないはずだったのに――思わぬ形で来ることができた。

 ただ――巨石といってもあの巨大立方体ほどじゃない。

 あの世界を通り抜けた今となっては、聖域も大したことはないなと思ってしまうのだ。

 オレは体に着いた砂を払う。でもあの赤黒い魔力の砂は、一粒たりとも落ちてこなかった。どうやらこっちの世界に持ち込めるようなものではなかったらしい。

 少し安心して、オレはまた歩き出した。

 巨石を通り抜けてゆく風は壮観そうかんだったけど、不思議とそれほど凄い速度で上空を飛んでいるとは信じられない風景だった。

 酸素も気温もそれほどつらくない。風もあるが、高速艇どころか軍用船ほどですらない。

 考えてみればドラゴンの飛行限界高度もとっくに越えているはずなのに――ドラゴンはまだ空を飛んでいる。

 ここの環境は大気を含め、どういうわけか地上にあったときとそっくりそのまま・・・・なのだ。

 もっともそれができなければ箱舟なんかじゃないのかも知れないが。

 オメガの箱舟は、文字通り小さな世界だ。

 オレはこの世界を壊しにきた。

 ――奴はどこだ。

 土地かんも方向感覚もない。

 なのにどこへ向かうべきか、大体の方向は判るのだ。

 なぜなら――オレの背後、女神の泉のすぐ向こうは落差千メートルの虚空こくうで、その下には見渡す限りの大海原が広がっていたからだ。



***




 崖とストーンアレイから離れると、すぐにそこがどこか判った。

 山の上だ。

 元は火山だったのか、山体崩壊でできたらしい見事な崖が足の下に広がっている。

 崖の下には平原が広がっており、何となく地形に見覚えがあった。

 その平原にぽっかりと開いた窪地くぼち

 そこはかつてのディラック湖だ。水がすっかり抜けてしまっている。

 あの湖は太古には街だったのだろう。湖底には遺跡らしき――ここからじゃ遠くてはっきりはと判らないが――人工的な石組みがいくつも見えた。

 謎の遺跡の真ん中にアレン=ドナ城と、そこに続く沈下橋の残骸ざんがいが残る。

 オレは崖の上で腹ばいになって、双眼鏡をのぞく。

 問題はツインズ・オメガの現在位置だ。

 アレン=ドナ城か、そうでなければどこにいるか――オレは空飛ぶ島を見渡す。

 枯れた湖の向こうに小さく家もまばらな村が見える。レッター・ラテファン村だったか。

 島だなんてとんでもない。もうこれは大陸だ。当てもなく探していたら、この浮遊大陸がパルマを攻撃し始めてしまう。

 まずはアレン=ドナ。

 そこにいなければレッター・ラテファン村に行き、目撃者がいないか訊いてみる。もっとも、まだ生きている人間がいれば、だが。

 もう一つ気になることがある。

 今、オレが出てきた泉はストーン・アレイのものだが、その近くにあったはずの『実験施設』とやらが見当たらない。

 爺さんの意見が正しければそれは今、この島の燃料タンクとしてどこかにあるはずだ。

 オメガは、ストーン・アレイを空から接収したあと、実験施設だけをどこか別の場所に移動させた。

 おそらく――島の中央部だ。城にいなければ、オメガはそこかも知れない。

 いずれにせよ――。


(この崖をどうやって降りよう)


 問題はそこだ。

 異界の感覚だと飛び降りても平気そうだけど、ここは現実だ。絶対に助からない。

 なんとか降りられそうな斜面を探して崖に沿って歩いてゆくと、どこからか『ギャァァァッ』という鳴き声がした。

 まさかゴア――と思い振り向くと、そうじゃなかった。

 ドラゴンだ。

 一匹のドラゴンがオレを目掛けて降下してきた。


「おいおい! 冗談じゃないぞ!」


 オレは走り出した。

 崖に沿って逃げる。

 身を隠す場所はない。

 でも、足場が悪くすぐに転んだ。

 慌てて起き上がろうとするオレを、ドラゴンの爪がつかむ。

 上着代わりのローブの背中部分だ。

 オレの体ははりつけのように持ち上げられた。

 そのまま崖から飛び出す。


「うひゃああああっ」


 変な声がでた。

 足の下にはもう地面も崖もない。

 足をばたばたさせたが、一番近い地面でざっと二百メートル下の斜面。

 灰色の斜面は急だ。あっという間に地面まで三百メートルになった。

『ギャアアアアッ』と、ダメ押しのようにドラゴンが鳴き声を上げる。

 飛行は勢いよく、崖の下にあったもの――小さな森を越えて、もう下はディラック湖だ。


「下ろせ!! 下ろせってば!」


 言うことなんか聞くわけはない。

 相手は魔獣だ。それも魔獣の中でもとびっきり野蛮な、未開の山地の魔獣だ。

 少なくとも城へは近づいている。どこへ連れて行くつもりだ。

 そう思ったとき、ローブの腕の辺りがずるりと動いた。

 やばい。脱げかけ・・・・ている。

 ここで落とされちゃかなわない。

 せめてドラゴンの脚を掴もうと、背中に向けて腕を曲げると――。

 そのとき、爪が外れてオレの体はずるりと落ちる。


『ギャギャッ』


 ――なんとか、なんとかオレの手はドラゴンの脚を掴んでいた。

 無様にドラゴンの脚にぶら下がる格好になった。

 そこでオレはそれ・・に気づいた。

 ドラゴンの足につながれた金属の札――軍隊の認識票だ。

『アーサー』と読める。

 こいつは野生の魔獣じゃない。軍籍だ。

 きっとベリルでジャックたちを襲ったうちの訓練用ドラゴンの一匹が、遥か北の故郷にまで戻っていたんだ。

 恐るべき帰巣本能。

 なら――言葉も通じるかも知れない。


「アーサー!! 着陸!! 着陸だ!」


 ドラゴンは答えない。ダメか。


「アーサー! ランディング! ゴー・ダウン!! プル・ダウン!!」

『ギャアアアアッ』


 そいつは一ついて、高度を下げ始めた。

 水のなくなったディラック湖――そこに沈んでいた、古代の遺跡に向けて。

 急降下だ。


「アーサー! ゆっくり!! ゆっくりだ!!」

『――』


 急速に地面が近づき、水平飛行になった。

 遺跡の石造りの家々の上を勢いよく飛んでゆく。

 そして、アーサーは体を激しく揺すりながら翼を大きく広げて急減速した。

 オレはたまらず――放り投げられる。

 ボロボロになった家らしき建物に突っ込んだ。

 劣化した石の屋根をぶち抜いて、瓦礫まみれの屋内に落ちる。


「いてて――おい! アーサー!」


 薄暗い屋内だ。

 出口は――と見渡すと、そこに――小さいドラゴンが沢山いた。

 七、八匹。

 育ち盛りだ。

 そいつらがピィピィと声をあげながら一斉ににじり寄ってくる。

 ――囲まれた。


「やめろ!! 餌じゃない!! オレは餌じゃないぞ!! アーサー!!」


 上を見るとアーサーは、屋根が崩落してできた大穴のふちとまって・・・・いて、満足そうに『ギャアーッ』と鳴いた。

 それが合図だった。

 子供たちはオレの衣服に噛みつき、手足に爪を立て、勢いよく食い破ろうとする。

 オレは子ドラゴンの長い首を掴んで振り回す。


「やめろって言ってるだろ!!」


 オレは慌ててその暗いドラゴンのねぐらから転がり出る。

 どうにか脱出して、手にしたドラゴンを放すと小さな羽をバタバタしながら巣へ戻って行った。

 ――くそ! ドラゴンなんかに期待したオレが馬鹿だった。

 何とか崖を降りられたのは良かったが――自分からひどにおいがする。ドラゴンくさい。

 それが本当にドラゴンの臭いなのか、それともこの湖の底に溜まったヘドロの臭いなのかどうかはハッキリ判らない。

 ともかくオレはとにかく城へ向かった。

 湖底から見ると城は、見上げるような小高い土塁モットの上にある。

 古代の街はどれも石造りだ。

 寒い土地がら、水中は案外腐りにくいのか木造の扉や木の器なども残っている。

 遺体もきれいな白骨や、まるで今死んだかのような新鮮なミイラ――いや、違う。

 フチなしの眼鏡をかけた老人の死体。この人はレッター・ラテファンの住人だ。きっとここが浮遊要塞になった後で、魔獣からここまで逃げて殺されたのだろう。

 同じように新しい死体が、奥にもある。

 その死体を追ってゆくと――オレはそこに地下の入り口らしきものを見つけた。

 土塁にぽっかりと口を開けた、真っ暗な穴だ。

 おそらく水路。

 石でがっちり補強されたその入り口は、二、三人なら余裕で入れる大きさだった。

 排水か取水かは判らないが、ここから城の内部にまで潜入すれば、いずれあの貯水槽に出られるかも知れない。そのルートならホワイトローズに遭遇することもない。

 オレは、そこに身を滑り込ませた。




***




 ひっきりなしに鐘が打ち鳴らされている。

 この街をゴブリンが襲ったとき以上だ。

 鐘の音に混じって、チーンと軽やかな鈴の音を、ジャックは確かに聞いた。

 昇降機が到着したのだ。

『アグーン・ルーへの止まり木』尖塔のペントハウスを走り抜けてきたのは――サイラスとミーシャだった。


「ジャックさん! ノヴェルは!?」

「サイラス、それからミーシャ――お前らなんでここに」

「ここは僕の家でもあるんです!」

厳戒げんかい発令中だぞ! この鐘を数えろ!」


 サイラスはお構いなしといった様子で、バルコニーを見渡す。


「ノヴェルはどこに!」

「ノヴェルは――今ちょいと外していてな。後からここに――」

「嘘! ちゃんと答えて! 私たちには知る権利があるでしょ!」


 ミーシャがピシャリと言って、ジャックをさえぎる。


「う、嘘なもんか。ノヴェルは帰ってくる・・・・・・

「『帰ってくる』って――」


 ジャックは口を滑らせたと思った。

 ミーシャはそのニュアンスの裏にあるものを感じ取ったらしく、ハッとした様子だ。

 チッ、とミラが舌打ちした。


「まさかその気球で、ノヴェルを迎えに?」


 ミーシャが、ジャックたちの足元にあるものを指差す。

 組み立てられたかご、大きく頑丈な袋状の布、長い長いロープ。

 ジャックとミラは気球の準備を始めていた。

 飽くまでこれはバックアッププラン。ノヴェルからの連絡がないまま、空に見える浮遊要塞がデッドラインを越えた場合のためだ。

 浮遊要塞は、森の天文台へ向けて高度と速度を下げている。

『アグーン・ルーへの止まり木』は、ちょうどその針路上にあった。


「いやいや、これは違うんだって。あいつは別の方法で――」

「! やっぱりノヴェルは、あの空の島に――」


 もう認めたも同然だった。


「わかった。ノヴェルは今、あの島へ向かってる。標的の居場所をスカウトするためだ」

「なんでそんな危険なことを――」

「危険というならこれまでも危険な真似をしてきた。この任務はあいつにしかできない。あいつの発案だ」


 ジャックがそう告げると、サイラスたちは抗議めいた口調を収めた。


「じゃあ、この気球は何のために?」

「安心しろ。あと数分以内にノヴェルの応答があればこいつの出番は無しだ」

「私もそれに乗せてください!」

「君の体重がマイナスなら是非頼みたいね。バーナーは俺の魔術だ。それでも乗るかい?」


 ミーシャは不安そうに表情を引きらせて一歩下がる。

 それを見て、内心ジャックはホッとした。


「それでいい。今度という今度は大人しく待っていろ。安全な場所でな」




***




「最初は――もう忘れてしまった。ずっと父の元で、今のベリルの造船所で暮らしていた。父と私、そして兄の三人――いや、四人でだ」


 ベリルの皇室宮殿。

 ツインズの左側は、病床にてそう語る。

 もっとも半分は眠りについている。つまり記憶も半分だ。

 それでもミハエラが計画の全貌ぜんぼうを尋問するうち、自らのことを訥々とつとつと語り始めたのだ。


「四人――ですか?」

「そう。小さな、黒い子供――胎児というのかな。泣きも笑いもしない、退屈なものだった。父は私たちを無視し、それに夢中だったよ」


 ヴォイドの神だ。


「アリシアたちがあれを始末したときも、私は何とも思わなかった。――しかししばらくして失意のうちに、父が死んでいった。アリシアたちを探して報復すると兄は言ったときも、私にはピンと来なかった。私にはヴォイドの神が、なにやら恐ろしいものに思えていた。まるでこの身にうつした呪いのようだ」


 彼ら兄弟の旅の始まりはさかのぼること約百九十年前。

 ミハエラの先祖アリシアは大英雄の一人として大崩壊から世界を救った。

 しかしそれも、アレスタが奪った胎児、ヴォイドの神によって一つの救いがたい絶望をこの世に残した。

 それがツインズだ。


「報復とは言ったが――果たしてどのようにしてか。兄には腹案があったのだろうか。アリシアら大英雄は強大だった。私たち兄弟は、大英雄を倒す力を得るため世界中を旅するうち、アリシアたちが何から何を守ったのかを知った。旅の間、私たちはいつも南の暗黒の星空をながめていたよ。それが見えるうちはね」


 彼らは大英雄の消息を探るかたわら、各地で仲間を集めた。

 当初は、大英雄をつつもりだったようだ。


「兄が聞いたら激怒するだろうが、それでも私にはある意味愛おしい旅でもあった。様々な者どもの悩みを聞き、魔のものを倒した。私にはもう、大英雄のことなどどうでもよくなっていた」


 それも女神病が発症するまでだったと、ツインズ・コーマは語った。


「――女神病は全てを変えてしまった。私たちは強大な力を得たが、代わりに迫りくる死に怯えた。周りには気取けどられぬように、ひっそりとだがな」

「お仲間には相談しなかったのですか」

「仲間? 仲間はもろく、皆すぐに死んでしまった。私たちは殆ど歳をとらなくなっていた。いや、そもそも私たちの中の時間の流れは余人とは違っていた。半身をあのヴォイドに乗っ取られるずっと前からだ。私たちには、時間だけは沢山あると思っていたのに――それもヴォイドにおかされ、判らなくなってしまった」


 得た力と死。

 その終わりが見えて、彼らは自らの宿命のかたちを知ったのだ。


「すぐに死ぬと思った。私たちの力は増していったが、死ぬことはなかった。私たち兄弟は呪いを分け合ったのだ。人間の部分がもつ魔力が、内側のヴォイドを抑え込んでいるとすぐに判った」


 アレスタから教え込まれていたのだろう。ツインズらは、ヴォイドについてかなり詳しい知識を持っていた。

 それでもいざ自分の身の上で起きると、その違った側面を実感する。

 彼はまるで、薄板の両面に相反する力を並べて、魔力でヴォイドを冷却するようだと語った。


「冷却――? あなたはヴォイドを抑え込むのに、魔力を常に使っていたのですか?」


 ミハエラがそうたずねると、コーマは戸惑いつつもうなずいた。


「意図したものではないが――使っていたのだろうな。冷却のために使っていたのか、ヴォイドに削られていたのか。どちらともつかぬが、同じことであろう」


 もしそうであれば――とミハエラは考える。

 それはきっと想像を絶する恐怖と負担だ。それを百数十年。彼らがどこの何者であれ、変化させてしまうのに充分な重荷と時間と思えた。

 ヴォイドの増大に従って、その暴走も迫る。

 薄板・・の反対側に、同じだけの魔力がなければ潰れてしまいそうだったという。


「負債と資本の関係のように、ですか?」


 ミハエラがふと思いついたたとえをぶつけたが、コーマにはピンと来ないようだった。


「私自身にもてる魔力には限界がある。私たちは強大な魔力を持つ者を集めた。今から七十年かそれくらい前だったろうか」


 七勇者の原型であった。


「あなたは一体、いつからあのような計画を立てていたのですか」

「いつからだろうか。忘れてしまった。旅であった者たちは、大英雄のことはよく知っていたが――父のことは名も知らなかった。知っている者も、裏切り者と考えていた。私たちはいつしか大英雄よりも、もっと思い知らさねばならないことがあると思ったのだ」

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