最終章: 七の勇者と第二の法

Ep.46: 崩れゆく世界

46.1 「きっと、お主らの一番知りたいことだと思うよ」

 ある本にはこう書いてあった。

『魔術と発達した科学は、世界の闇を隅々すみずみまで払った』と。

 またある人はこう言った。

『世界はどこまでも等質だ』と。

 本当にそうだろうか、とオレは考えている。

 自分の足で見てきた世界は、ほんの一部だったけど、それでも何一つオレの思い通りにはならなかった。

 街はどこも違っていて、人々だって才気あふれる人も卑劣漢ひれつかんも皆違っていた。

 オレが出会った人々は、皆何かのために戦っていた。

 失った秩序のため、家族のため、友人のため、名誉のため、あるいは金のため。富める者も、力のある者も、小さなつまずきに怯えていた。戦ってない奴は、たぶんオレだけだった。

 その世界を知る旅を助けるコンシェルジュという職業にきたいとも思ったけれど、それもどうやら難しくなった。

 オレはこれから、世界最後の闇と戦いに行く。

 それだってもしかしたら、世界最後なんてものじゃないのかも知れない。未来や過去には、もっと悪いことがあるのかも。

 でもオレは、どうしてもやらなきゃいけないことだって信じてる。

 だからせめて、この手紙を拾った人にだけは伝えたい。

 戦ってくれ。旅をしてくれ。

 どんなに絶望的に思えても、絶望なんてものはこの世にない。この世には貧乏や病気や裏切りや悲しみがどこにでもあふれていたけど、本当の絶望っていうのはなかった。

 なぜならきっと、戦う人がいたからだ。

 もし本当の絶望があるとしたら、これからオレがそれを倒す。

 だからこれを読んだあなた。

 あなたにだけは知らせたい。

 絶望なんてないってことを。




***




 ブリタシア北部・自治領カレドネル。

 文明の北限と呼ばれるディラック湖のアレン=ドナ城はかつて北部進出を描いた先史カレドネル人の夢の跡でもある。

 早朝、湖畔こはんのレッター・ラテハン村の住人ケネンスは買い出しに出ようとしていた。

 寄合にあるカギをとって外を出、丘のガレージへ向かう。そこに村の供用車、型落ちのワゴンがある。

 燃費がよくて内燃機がすぐかかるのは一台だけ。他のは農作業用の小型トラックで、内燃機は手回し式スターターだ。

 ガレージが丘の上にあるのは不便だが、調子が悪くても坂を転がすと案外走るものだ。

 ケンネスは丘を登ってガレージへゆく。

 その向こうにはディラック湖が見える。

 だが――その朝見えたのディラック湖の様子は、いつもと違っていた。

 干上がっている。

 水が激減し、湖底に沈んだいにしえの街――いや、その残骸ざんがいあらわになっていたのだ。

 ケンネスは驚き、すぐに皆にしらせるべきかと迷った。

 しかし早朝でもある。彼は結局、型落ちのワゴンに乗り込んだ。




***




 神聖パルマ・ノートルラント王国。

 オレたちが再びベリルに戻って、丸二日がった。

 確保したツインズの聖痕せいこんのないほうは、ずっと昏睡こんすい状態にある。

 仮称ツインズ・コーマ。

 ツインズの左右から、聖痕のないほうだけを集めて一つの体にまとめられたコーマの中心には、生々しく黒い縫合ほうごう跡が残っていた。

 コーマは、謎めいた言葉を残して昏睡状態におちいった。

『アレン=ドナに戻せ。あれが動く』――と。


「『あれが動く』とはどのような意味なのだ」


 宮殿の小会議室だ。こうしていつもの四人・・・・・・だけが集まるのも久しぶりな気がする。

 でもノートンは苛々いらいらしていた。

 無理もない。

 インターフェイスも意識不明。光の魔術もタネがバレてしまえばもう使えない。

 使える武器を全部使ってのぞんだツインズ殲滅せんめつ作戦は、とんでもない結末を迎えてしまった。

 何もかもを失って得たものといえば、聖痕を持たず昏睡状態のツインズ・コーマのみ。


「コーマの意識は戻りそうか?」

「わからないね。戻ったとしてどれくらい生きられるか――。なにせ彼は半分にぶった切られて、双子とはいえ別人の体をくっつけられたんだ。正直生きてるだけで驚きだ」


 ホワイトローズの『癒し』の力は――オレたちの想像を超えていた。

 奴の力は徹底的で、しかも無差別だった。

 真っ黒い縫合糸が翼のように広がって、その場の全員の体を修復した。

 ただし二人のツインズの体は左右が入れ替えられ、聖痕のみを持つ漆黒のオメガと、ただの人間・コーマに別れたわけだ。

 あの縫合糸はきっと、彼女の意識とは独立して動くのだろう。

 電撃でも止まらなかったし、カウンターバレー大聖堂でジャックと奴が取っ組み合った結果、前日の怪我がすっかり治っていたらしい。

 ジャックのその話を聞いて、オレは思わず感心した。


「聖人の名は伊達だてじゃなかったってことか」

「お前はそう呑気のんきに言うがな、自分のムスコを見るたびにあの女のい跡を見なきゃならなくなった俺の身にもなれ」


 分厚い本を装備して死んだふりに挑んだジャックは、やはりかなりの深手を負っていたようだ。

 ツインズのつたはジャックの腹から下を縦に切り裂いていたらしい。


「もう、大丈夫なのか?」

「バッチリだよ。機能的にも問題ない。コーマももう片方・・・・も復活するかもな」


 もう片方――そいつが問題だ。

 新たに生まれたモンスター。

 ノートンはそれをツインズ・オメガと命名した。

 兄弟それぞれが体の左右に感染した『女神病』というもの――それを二つ合成したオメガこそ、かつて爺さんたちが破壊したはずのヴォイドの神の完全な再誕だ。

 生きているかどうかは知れない。

 でもここで片割れのコーマが生存している以上、オメガも生きていると考えた方がいいだろう。


「オメガは一体何をしようとしているのだ。わからない――想像もつかない!」

「落ち着けよノートン」

「落ち着いていられることとそうでないことがある。半分・・であれだけ手を焼いたんだぞ。ブリタシアは壊滅、フルシにも甚大じんだいな被害が出た。それが完全体になって、どこで何をたくらんでいるのかもわからない!」

「イラついて答えがでるのかよ。煙草でも吸ってこい」


 ジャックがそう言うと、ノートンは退室した。

 残った三人は沈黙した。

 このメンツでは、あまり建設的な議論はできそうにない。


「まぁ、あいつの気持ちもわかる。俺たちはとんでもないモンスターを造っちまった。なにより――」


 情報がない、とジャックは顔をおおう。

 それだ、とオレも溜息をく。

 これまでのオレたちの戦いで迫った勇者の指導者についての情報――それがもう、全部使えなくなってしまったんだ。

 この絶望感は、そこに由来する。


「どうだかな。奴の目的が変わったとは思えねえ」


 ミラの言葉ははげましにも聞こえたけど――。


「その目的がわからん。奴の目的について、何か知ってるか? ノヴェル」


 急に振られても、オレの考えはまとまらなかった。

 セブンスシグマは、こう言っていた。


『僕を殺せばそれで終わる。僕の計算力がなければ、あいつの――集めたくらいの魔力じゃ、――計画を実行できない。あいつの企みの中で、一番、最悪なことはもうできな――るんだ』


「ツインズは、セブンスシグマの計算力を使って、何かをしようとしてた。奴の集めた魔力が足りなかったから――」

「そいつはもう聞いた」


 ほう、と声がした。

 部屋の入り口に、爺さんが立っていた。


「爺さん。リンは――」


 休んどるよ、と爺さんは答えた。

 オレたち一家が無事に再会したのが二日前。まだオレには実感がない。

 感動の再会――とは微妙にならなかった。

 今まであったことを夜通しでも爺さんに話したかった。

 でも相変わらずの見透かすような視線は何もかもお見通しと言わんばかりだったし、謝ろうにも謝ることが多すぎた。

『聞いてやるが、これが片付いてからな』と言われて、オレへのお説教は延期となった。

 リンも爺さんも、二人とも最後に見たときと何も変わってない。

 なのに今や神だ。

 宿無亭やどなしていはどうするんだ。

 光の女神が受付をして、電気の神が茶を振舞ふるまう間、オレは今まで通り自室で本でも読んでるのか。そんなの気まず過ぎるだろ。


「奴めらが魔力を集めていたと――お前はそう言われたのか」

「う、うん。セブンスシグマって勇者がそう言っていた。でも実際は、人間の中にある『輝き』のほうだった。――変かな?」


 輝きなどというものは知らん、と爺さんは言う。

 実は昨日もこの話をした。魔力の根源なのか何なのか、オレが見た『輝き』の話をするたび、爺さんは冷たくあしらうのだ。


「いずれにせよ――少々、座りの悪い話だな」

「いいとこに来た、マーリーン。答え合わせといこう。そもそも魔力を集めるってのは、どういうことだ?」


 爺さんは何かを考えながら部屋に入ってこようとして足を止めた。


「ノヴェル。それとトレスポンダ卿。話すのはいいが、少し気分転換でもどうかね」




***




 オレたちは、皇室宮殿の地下研究所に連れて行かれた。

 ミラはインターフェイスの様子を見てくると言って集中治療室のほうへ行ってしまった。

 来たくない気持ちはわかる。気分転換する場所としてはまぁ――最低の部類だ。

 特にオレはここに良い思い出がない。

 入ったのはやけに壁の白くて清潔な、だだっ広い部屋。

 おかしなのは中央に置かれた超巨大なテーブル――いや、その周囲をぐるりとめぐる、謎のチューブが本体なのだろうか。


「神になったお陰か、実験も随分しやすくなったものだ。人の時分じぶんには高速加速炉をこんな小ささにはできんかったわい」

「爺さん、ここでずっと何かを研究していたのか?」

「マーリーン、こいつは一体なんだ」


 爺さんにはノートンがつけた神としての名前があったはずだけど、あまりに不人気で誰もその名で呼ばない。

 ジャックは相変わらずマーリーンと、オレは爺さんと呼び続けている。別にそれで不都合はない。


「加速炉といってな。チューブ内は真空になっておる。そこで原子を、わしの電気魔術で光速近くまで加速する」

「するとどうなる」

「ぶつかってバラバラに砕けて――いろいろとイイモノが出る」


 へぇ、とジャックは気のない返事をした。

 見せよう、と爺さんは機械のスイッチを操作した。


「わしもつい先日この現象を確認した。きっと、お主らの一番知りたいことだと思うよ」


 爺さんがチューブに取り付けられた黒いレバーを握って、魔術を放射するとチューブの窓が輝き始める。

 そして――部屋の奥のガラスケースが突然光った。

 ガラスケースには分厚い鉛のような板があって、それが発光したように感じた。


「今できたのが素粒子。光ったのは余剰エネルギーだ。害はないようにしてある」

「できたといったって――爺さん、そいつはとても小さいんだろ?」

「そうだな。だが見てもらいたいのはそちらではない」


 爺さんは手元の、黒いレバーの下のケースを開ける。

 するとその空間に、ごく小さな黒いミミズのようなものがうねっている。


「これは?」

「ヴォイドだ。これだけ小さくとも、場所が場所なら暴走して宇宙を壊しかねん。周囲に充分な真空があって、魔力がなければな」


 おいっ、何の冗談だ、とジャックが慌ててテーブルの陰に隠れた。


「この惑星の上では暴走せんよ。これくらいの大きさではな」


 爺さんは手をかざし、魔力の光球を出すとそのミミズは光に照らされて、まるで干上がるように縮んで消えてしまった。


「ヴォイドは魔力に弱い。だがここにヴォイドを生み出したのも――また魔力を使ったせいだ」

「どういうことだ」

「かつては加速炉を使ってもこのような現象は確認できなんだ。あの頃は電気魔術が未発達で――機械を使っていたからな。要は魔力だ。魔力を使って基本相互作用に介入することで歪みが生まれると、その歪みにヴォイドが生まれることがある。特に真空ではな」

「つまり、魔力とヴォイドの関係がわかったってことか?」


 結論をあせるでない、と爺さんは言う。


「事態はそう単純ではないのだ。魔力、空間、基本相互作用、そして神。すべてのもののバランスが肝要だ」


 爺さんは珍しく上機嫌だった。

 相変わらずの仏頂面で、おそらく余人には知れないだろうが、オレにはわかる。

 爺さんは上機嫌だ。


「この実験は、勇者が魔力を集めていたことと関係があるのか?」

「そうさな、お若い人。アレスタのせがれら――ツインズというのか? ツインズは女神病を経てヴォイドの半神となったのだな?」

「半神――文字通りそれだ。リンちゃんやあんたに起きたこととは違って見えたがな。それが今やニコイチ・・・・でほぼ完全な神だ」

「ヴォイドの神であるなら無論ある程度は、常に周囲を魔力で満たしておく必要がある。そうでなければ暴走するのでな。だが過剰に集めるとなるとこれは理にかなわぬのだ。今みたように、魔力はヴォイドを打ち消してしまう」

「つまりあんたは、ツインズは魔力をただ集めているわけではない、と言いたいのか?」

あるいはな。今は断定しかねる」


 爺さんは軽い足取りでチューブの各所を点検するように歩く。

 待ってくれ、とオレはようやく口を挟んだ。

 話についていけなかったわけじゃない。ただなんとなく、自分の出る幕じゃないような気がしたのだ。


「いたのか、ノヴェルよ」

「オレの見た『輝き』は、魔力と同じ効果があるのか? 奴は、魔力じゃなくて『輝き』を集めているとしたらどうだ?」


 厄介なことを――と爺さんは面倒臭そうにした。


「『輝き』などではない。湧きだし口がある。魔力より効率がよい。それだけのことだ」

誤魔化ごますなよ。あの『輝き』の正体はわからないんだろう?」

「言った通りだ。理論上は存在が予想される。だが観測もできぬではな」


 そうだ。オレが見ただけだ。

 それも正確には見せられたに過ぎない。

 反論できないでいると、ジャックが口を挟んだ。


「もし奴が魔力を集めてるとしたら、少なくともそのように見えるとしたら、その理由はどんなことが考えられる?」

「そうさな。逆にお主の考えを訊こう。例えばお主は、わしを探していた。わしに何をさせようとしていた?」

「勿論、勇者を倒すためだ。あんたに危機を知らせて、あわよくばあんたか、あんたの孫に仲間になってもらおうと思った」

「つまり兵力としての利用だな。わしが乗ると思ったか?」

「いいや。何十年も隠棲いんせいしてるあんたがすんなり仲間になってくれるとは思わないぜ。だが同じ理由で、奴らの仲間になることもないだろ。なら上手く立ち回れば、あいつらの一人や二人殺す手伝いはしてもらえると思ったね。――なったろ?」


 爺さんは小さくうなずく。


「ならば勇者たちもそうであったのだろうか。お主は、勇者がワシに何をさせようとしていたか、知っていたのかね」

「知らなかったね。今だってちゃんとは判ってない」


 そうであろう、と爺さんはなぜか得意げだ。


「魔力は力。富のように蓄えることはできぬにしても、魔力を多く持つ者を結集させることには誰も疑問を持たぬ。余人にはな。だがこの世で、ツインズだけは事情が違ったのだ。奴めは勇者という手駒を動かすため魔力を大量に使う必要があったが、同時にそれを維持・管理する必要があった。自身の生存のためにな」

「ああ。まるで銀行家のようにな。だが奴はその運用に失敗して、魔力プールを枯渇こかつさせた。だから慌ててブリタで魔力をかき集め――ああ、だがそもそも魔力はたくわえられないんだったか?」

「だからあいつは魔力じゃなくて、『輝き』のほうを」


 オレが口を挟むと、ジャックと爺さんは揃って「それはわからん」と切り捨てた。


「とにかく、最初のプールは勇者たちそのものだった。魔力を多く持つ者を集める戦略だった。手駒として使えたが、勇者たちは皆浪費家で――穴が開いておったわけだ。そこでそれ以外に――奴めはわしらの知らぬ方法も使っておる。魔力プールとやらを探すのだ」


 ――どうして誰もオレの話を聞いてくれないんだ。


「待て、マーリーン。さっき『兵力として』と言ったな。兵力以外にどんな使い道があるんだ?」

「実験して見せた通りだ。ヴォイドを生み出す。そうでなければ――燃料かな」


 オレが魔力を持たないから。

 感じることも、使うことも、論じることもできない。


「なんとなくわかった。あとは二人で、納得いくまでやってくれ」


 オレはその場を退出し、ドアを乱暴に閉めた。

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