39.3 「市街に入ったら出口を押さえられる! ゲームオーバーだ!」

 橋を突破したオレたちの車は、たもとの丘を猛然と駆け降りる。

 荒涼と広がる大地を、広い車線が貫いてた。

 そこへ降りて再び加速すると同時に、背後に赤色灯をいた警察車両がずらりと現れる。

 大捕り物だ。

 地図をひっくり返して一瞬だけチェックした。

 そこはブリタシア島の南端。貨物駅を中心とした工場や倉庫の並ぶイレザーヘッドという場所だった。

 駅からの道からヌッと重車両が頭を突き出してきて、これを慌てて回避する。

 オレは助手席でバランスを崩しながらもロードマップのページをめくる。


「国道23だ! カレドネルはこのまま北へ真っすぐ!」


 この道はロンディア市中心部をかすめて郊外を抜け、北方街道となりカレドネルまで続く。


「アレン=ドナに気付きおったか。この先、待ち伏せがあるぞ」

「オレたちの行き先がバレてるのか!?」


 オレたちがの目的地が割れていないってことは数少ないアドヴァンテージだったはずだ。

 無事に逃げ切れそうな根拠の大半がそれだ。

 ブリタシア島の連絡橋を狙われた以上は、ジャックたちが自力でカレドネルに気付いた可能性が高い。


「そのようだな。どこまで知ったかは判らぬが、少なくともカレドネルまでは判明したようだ」

「ルートを探す! オレたちはカレドネルのどこへ向かってるか教えろ!」

「ディラック湖の島だ」


 オレはロードマップのカレドネルのページを開く。

 ほとんど道路がない。


「ディラック湖、ディラック湖――載ってないぞ!」


 ここよ――と後ろからインターフェイスが手を伸ばし、地図上の名前のない湖を指差す。

 その湖の北半分の境界に未測量地帯を表す『×』印が並んでいる。

 秘境だ。とんでもない僻地へきだ。

 道も限られている――。

 こんなところで待ち伏せされて、果たしてたどり着けるのか。

 後ろを見ると警察車両が迫ってくる。

 こちらのメーターを見ると時速百十五キロだ。あちらはそれ以上ということか。

 この速度だと後ろから魔術で攻撃される心配はないだろうが――。


「追いつかれるぞ!」

「性能では負けておらぬはずだが――魔術を使っているな」

「百キロ以上だぞ!?」


 ファンゲリヲンは手を伸ばして再生ボタンを押し、音楽をかける。

 パイプオルガンの荘厳そうごんな調べが流れだした。

 続けて奴は助手席まで手を伸ばしてダッシュボードを開け、拳銃を一丁取り出す。


「持っていなさい」


 いつの間にこんなものを。


「ちょ――待て! オレは使えない!」

「案ずるな。火薬式だ。セーフティを外して撃鉄を起こし、引き金を引くだけだ。弾は六発。余分な弾はあらぬゆえ、無駄撃ちはするな」

「そういうことじゃない!」


 珍しく早口でそう説明する間に、自分はインターフェイスが差し出した短機関銃をひざに置く。

 マフィアが使っていたものだ。

 ずるいぞ。


「何も殺せとは言わぬ。君のは威嚇いかくにしかならぬ。こんなものは――」


 言いながらファンゲリヲンは片手で短機関銃を支えると膝でカートリッジを装填そうてんし、窓から後ろに向けた。

 パパパパパパッ――と数発撃つ。

 後ろに接近しつつあった先頭車両のフロントグラスが砕けた。

 驚いたんだろう。車は急制動から激しくスリップし、制御を失って横向きになる。

 そこへ後続車両からの追突を受け、横転――。


「適当に撃てばよいのだ。音だけで効果がある」


 横転した車両は火花を上げながら滑り、後続を数台巻き込んだ。

 それを軽々と回避し、後ろから高速で追い上げてくる車両があった。

 運転席には――ジャック。

 助手席にはミラ。


『――見つけたぞ』

「――見つかっちまった」


 何か言ったか、とファンゲリヲンが言いながらバックミラーをのぞく。

 そしてまた短機関銃を背後に向けた。


「我が娘ながら天晴あっぱれ――だがしばらくおとなしくしていてもらおう」

「待て!! 前を見ろ!! ファンゲリヲン!!」


 前方、真っすぐ北へ向かう一本道の先から、四台の車がやってくる。

 一般車両――じゃない。逆走だ。

 四車線にまたがって広がり、急速にこちらへ迫る。

 ファンゲリヲンは後ろへ向けた銃口を引っ込め、前方へ向けた。

 そして乱射――したが、前方から来る車両との間の空気には、奇妙な屈折率の違いがある。

 壁だ。見えない壁がある。

 そこで銃弾が減速したのか、それはボンネットを叩き、バラバラとタイヤに巻き込まれるにとどまった。


「ぬう。壁か」

「気をつけなさい。機雷をばらまいているわ」


 インターフェイスが目をつむりながら、妙なことを言う。

 機雷――?


「掴まれ」


 ファンゲリヲンが言うのと同時に、バウンと見えない壁に突っ込んだ。

 空気の壁があるのだ。

 衝撃――クラッシュというほどではないがオレは前につんのめり、ダッシュボードに顔面をぶつけた。

 顔面の心配をしている場合じゃない。

 前方の四台が眼前に迫っていた。このままだとオレの顔面はぺちゃんこに押しつぶされる。

 しかし、寸でのところで前方車両は左右に分かれ、正面衝突を回避。

 奴らは路肩にはみ出して減速し、進入角度を斜めにして空気の壁との衝撃を和らげたようだ。

 テールの流れを最小に抑え、あっという間に態勢を立て直すと即座にオレたちを追尾する。


「掴まっておれ!」


 前を見て悟った。

 路上には――輝く魔力球がバラまかれている。

 これが機雷か。インターフェイスにはこれが見えていたのだ。

 オレたちの車を止めるための、空気の爆弾。

 それが爆発して後輪が跳ね上がる。


「くっ」


 こうなればファンゲリヲンのステアリングさばき頼みだ。

 ファンゲリヲンはステアリングホイールにしがみつき、小刻みに、ときに大胆に光球を避けてゆく。

 バンッ、と片輪を大きく跳ね上げられ、オレの尻の下が浮いて車体が斜めになる。

 しばし左片輪のみで走行し――。


「うわあああっ」

「舌を噛むぞ」


 激しく着地する。

 車体は態勢を戻したが、オレは助手席からずり落ちていた。

 光球は路上のみならず、空中にも浮遊して点在する。それが爆発すると強烈な横風にあおられる。

 車は大きく車道からはみ出しつつも、再びなんとか横転をまぬがれてた。

 機雷原を外れ、しかし車道からも外れ、車は路肩の草地を、凸凹で跳ね上がりながら走る。

 小さな丘で何度もジャンプしながら、オレは車道を振り返った。

 車道ではジャックたちの車を先頭に、警察車両の集団が次々追い上げてくる。

 まずい。追いつかれそうだ。

 しかし前方は市街地だ。あそこまで抜ければジャックたちもあまり大技は使えないだろう。

 車は丘と丘の間の谷間を縫い、郊外の環状道路の下を通って市街地に突っ込む。


「やったぞ!」

「喜ぶのは早い。国道は封鎖されているようだ」


 景色は急速に街になった。

 背の低い建物が、整備された区画にきっちり収まったダウンタウンだ。

 当たり前だけど一般車両も通行人もグッと増えた。

 信号もある。

 オレは座席の下に落としたロードマップを拾って、ロンディアのダウンタウンのページを開く。

 ――複雑だ。

 現在地もおそらくこのへんとしか判らない。

 北東部の山に市街があって、そこから南と西へ延びる環状道路がロンディア市の外郭がいかくだ。

 オレたちが走ってきた国道は、市の中心を避けて真っすぐ北へ抜けている。

 あの道に戻らなきゃいけないが――建物と建物の間から見える国道の先には、赤色灯がこれでもかとちらついている。


「ここは彼らの庭も同然だ。北へ抜ける国道は完全に封鎖されていると見てよかろう」

「くそっ! これじゃどう行けばいいか――」


 南側から追われ、北は封鎖。

 東西に抜けるルートがあれば――と地図を見る。

 ――だめだ。

 西は運河だ。東は外郭環状沿い建物が並んで、そのすぐ向こうは山。とても抜けられそうにない。


「西も東もダメだ! どうする!」

「市の中心部を突っ切る」

突っ切る・・・・って――無茶だ! 捕まりにいくようなもんだ!」


 あれは突っ切れるような地形じゃない。

 地図を見るまでもない。

 窓から北東を見れば、城塞めいたその大都市がいやでも目に入る。

 ロンディア市街の中心はベリル同様、山肌に沿って発展したようだ。

 でもベリルと全然違うのは、明確な層に分かれていながらまるで一つの巨大な建物のようになっていることだ。

 険しい山の西側の山肌に、サルノコシカケのような皿状の造成地がくっついて、それらは一体どうやって支えられているのか――信じられない地形だ。

 地図を見れば、それぞれの層には四角く切り取られた街区が並んでいるのが判る。

 出入口は第一層の西と南に数か所あるだけ。

 入ってしまえばさっきの連絡橋と同じ――袋の鼠だ。


「ファンゲリヲン! 市街に入ったら出口を押さえられる! ゲームオーバーだ!」

「さてそれは――どうであろうな」


 ファンゲリヲンは不敵に微笑む。

 車は――ダウンタウンのストックトン通りを逆走したり信号無視、あらゆる無法を繰り返して追手をこうとしている。

 急停車する一般車両。追突事故。

 流れが止まったら対向車線に移ったり、歩道にさえ乗り上げる。

 逃げまどう市民。

 なんとか追手さえ撒けたとしたら、車を乗り換えて逃げるって手もある。

 しかしジャックたちは本気だ。何がなんでもここでオレたちを捕まえるつもりだ。

 オレたちの車は――まるでまんまとジャックたちに乗せられるようにロンディア市街中心部、第一層への坂を上り始めていた。




***




『対象車両、市街中心部シェルフ・ファンガスへ到達。第一層二十六番街を、二十番街へ向けて走行中』


 通信機がイクスピアノ・ジェミニの所在を報告する。


「諦めの悪い奴らだ。市街地に入ってどうするつもりだ」

「何か策があるのか?」

「おそらくどこかで車を乗り捨てる気だ。最下層の下水道を通って運河へ逃げるつもりだろう。最下層へ降りる階段を全部封鎖しろ」


 ジャックがそういうと、ミラは首を振る。


「いいや、親父は医者だ。破傷風やら感染症のリスクをとらない」

「どうかな。捕まって殺されるくらいならそれくらいの危険をおかしても不思議はない。ともかく最下層は封鎖する」

「車を乗り捨てて、街から逃げるとすりゃどこだ。街の反対側はどうなってやがる」

「山と崖だ」

「その裏側へ回るルートはあるか」

「ない――いや、徒歩なら第四層から山頂を回って抜ける手がある。いや、山ならもしかして――」


 ジャックは考える。

 の逃亡犯なら第三層で車を捨て、足で第四層から山頂へ抜けるだろう。

 だがファンゲリヲンはカレドネルへいくつもりだ。


「――ジャック?」


『もしかして』の続きが出てこないため、ミラはたまり兼ねて顔をのぞく。

 ジャックは酷く迷っている。

 不意に、車が減速し、左にぶれ始めた。

 追跡に集中できていない。


「三層に――? いや――そんなことはない。四層から山越えを」


 彼は何かに気付いたのか。それとも考えているのか。

 運転か思考か、苦しんでいるように見えた。


「ジャック、どうした、しっかりしろ。ジャック!」


 そのまま路肩に斜めに突っ込み、街頭電話機ブースをなぎ倒して止まる。


「す、すまん――。相手はファンゲリヲンだ。他にどこか……見落としがある気がする」

「どうした! 自信を持ちやがれ! お前がこの街に一番詳しいんだ!」


 ステアリングホイールから頭を上げたジャックは額を脂汗でぐっしょりにして、見るからに様子がおかしい。


「複雑なんだ。この街は、山にへばりつく一個の城塞じょうさいだが――スカスカで」


 それはミラにも判る。

 建物だとしても壁はない。

 例えば天井。見上げればわかるように、天井に相当する上階の地面のある場所とない場所がある。

 逃げる気になればどこへでも逃げられそうだ。

 だが安全に逃げられるルートは極めて限られる。


「ジャック! お前の言うことは判る! だが無理に逃げりゃ車ごとひっくり返って終わりだ! だから車で・・ここから逃げられる、確実な・・・ルートだけを教えろ! それは一層だけか!?」


 第一層と四層以外の、街から抜ける道。

 何かを知っている気がするのに、記憶のそこに手を伸ばすと、意識が霧散むさんしてしまう。

 ジャックにはそれがもどかしい。


「そのはずだ……。ならなぜ奴らは上に向かっているんだ」


 ――トリーシャ。

 六番街のブランドショップ。二十二番街のレストラン。聖堂、議事堂、博物館――像を見て、絵を見て――。

 俺は君と、ここでどこへ行った?

 何を見た?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る