39.2 「まずい――警察だ」

「私たちのキャンプは魔物の襲撃でバラバラになってしまって――しかも前の晩に降った豪雨であたりは川になっていました」


 担当刑事から繋いでもらった先に、ジャックたちは情報収集をしに来た。


「魔物とは? ドラゴン? オーク?」

「いいえ、夜だったもので。ただメンバーの一人が『馬だ!』と叫んでいたので――おそらくプーカかと」

「プーカ。ずっと北方の化物だ。人里に来ることもあるが――」

「おそらく豪雨で流されてきたのでしょうね」


 ハンナ・シュクレンスシは四十歳過ぎの、おっとりとした、しかし聡明な淑女しゅくじょであった。

 市内の塾で教鞭きょうべんっている。


「ふむ、それで――キャンプ地はこの丘にあった。そこから流されたということは――この辺り?」


 ジャックは地図を指差し、確認する。


「ああ、そこです。ジェキンズとアルが地図を見ながら言い合いをしていました。ポケットの地図はもうぐしゃぐしゃで。とても寒くて――私が見つけたのは、この尾根の道かしら」

「道があった、と。道幅はどれくらい? 車は通れそうだった?」

湖畔こはんのレッター・ラテファン村までは車で行けますが、その先はとても――」


 あの――とハンナは眼鏡の奥の小さな眼を怪訝けげんそうにしばたたく。


「もしかして、あなた方はあの城へ行こうと?」

「そうです」

「――やめておいたほうがいいです。近くの村の者も、決して近寄りません。というより、湖の島ですから近寄れないのです」


 彼女の言う近くの村とは、ディラック湖の南のレッター・ラテファンだ。

 湖岸に沿って北へ、幾つもの尾根を越えたところ――湖の中央に印がある。

 そこにある島。

 深い霧に包まれたアレン=ドナ島。

 そこに幻の城がある。


「あら、そういえばその村のことを――前にも聞きに来た人たちがいましたね」

「――誰か覚えています?」

「はい、もちろん。国立アカデミーの研究チームです。実験炉を作るんだとかで」




***




「あの子のことは思い出したくないわ」


 マリサ・アルジェントは顔をしかめた。

 だがダリアの母親、タルマ・ギルバートとは正反対で――随分マシだった。

 ジャックとミラは、まず市内に住んでいたタルマを訪れたのだが、まるで取り合ってもらえずに追い返されていたのだ。

 宝石店も畳み、老舗仕立て屋も他人の手に渡り、殺人鬼の妻という汚名だけが残った。

 ジャックの「旦那さんの汚名を晴らす」という空手形もむなしくくうを切る結果に終わった。この場合、汚名を晴らしたところでそのとがは娘に向くだけだからだ。

 戦場の天使ダリア・アルジェントが殺人鬼イアン・ギルバートの娘だという一種の醜聞しゅうぶんは、殆ど伝えられていない。

 即座に親戚に預けたのが効いたのだろう。関係を知る者もいるはずだが、彼らは沈黙を守った。

 ダリアが聖人として祭り上げられた以降、その手の話は全てゴシップのカテゴリに入れられてしまうのだ。

 よって、戦場の天使と『仕立て屋ギル』を関連付けて語る者はいなかった。

 マリサ婦人は少し特殊だった。


「――気味の悪い子だったわ。イアンがどうしてもっていうからうちで預かったけど」

「具体的にはどんな?」

「あれは――事件の前、あの子が十歳の頃だったかしら。あの子、ずっとぬいぐるみを大事に持っていたでしょう? 『叔母様、お人形の具合が悪いの』って言うの」


 ジャックは思い出す。

 彼とヒポネメスがギルバート洋品店に踏み込んだとき、奥を横切った少女は――確かに人形を持っていた。


「持っていたかも知れないな」

「私も、『かわいそうね。見せてごらんなさい』って言ったら、あの子喜んで、お人形のお腹を開いて見せたの。そこにね、中身があったのよ」


 中身――。


「心臓とかならまだわかるわ。肋骨と横隔膜、肝臓や膵臓すいぞう脾臓ひぞうまで――」


 うわぁ、とミラが凄惨な顔をした。

 それに鋭く気づいたマリサ婦人は畳みかける。


「それだけじゃないの。あれはあの子を引き取って一週間くらいして――そう、あの勇者が殺された日。あの子、ずっと洋品店に行ってた。何かを探してたみたい。市警の邪魔になるからやめなさいって言ったのに。あの晩ね、あの子血まみれで帰ってきたの。『どうしたの』って聞いても、薄笑いしてるばかりで何も言わない。さすがにおかしいから問い詰めたら、『悪い犬が走ってきて、いい所に行こうって』――って」

「いい所?」

「どこかは知らないわよ。わたしも聞きたくなかったし。気持ち悪いから、あの子が戦争に行きたいって言いだしたときも、十四じゃまだ早いとは言ったんだけど、衛生兵なら募集してるからって。清々したわ。どうぞいってらっしゃい! ってね。まさか聖人になるなんて思わなかったけど。才能があったんだわ」


 めているのかけなしているのかよく判らない感嘆を漏らして、婦人はお茶をすすった。


「――で? 何が聞きたいのかしら」

「いやもう、大体は聞きました。しかしよく――というか、いいんですか? そんなにダリアのことを喋って――」

「別に? もう死んだし。あんたたちだって、そういう話が聞きたくて来たんでしょう?」」


 そこへ、外の巡査からイアーポッドを通じて連絡が入った。


『――ジェイクスさん、橋で検問していた班から連絡が――急行せよとのことで』

「わかった。こっちは切り上げる。――マリサさん、お忙しいところありがとうございました」

「あらもういいの? 困ったことがあったら寄って」


 


***




 ジャックとミラは車に飛び乗り、巡査の運転で坂を下った。

 国道郊外へ出て南下する。


「飛ばします。イレザーヘッドまで十五分で行きます」


 巡査の言葉通りかなりのスピードだ。

 イレザーヘッドはロンディアの南方、ブリタシア島の南端。

 海峡が狭くなり、フルシとの距離が最も近づく。

 そこに大陸間連絡橋が架かっている。


「状況を報告してくれ」

「橋のフルシ側で、ファンゲリヲンらしき姿を見かけたという情報が入りました。橋を渡ろうとしているようです」

「でかした。橋で追い込めば袋の鼠だ!」

「現在、機動隊が橋と鉄道を検問しています。封鎖したほうがよかったですかね?」

「まず確実に橋へ入らせろ。そのあとでこちらとあちらを閉鎖して捕まえる」


 ――とはいえ、ここからはもう指示を出せない。


「待て、今のは伝令の情報か? 橋まで急いでも片道十五分。もし古い情報なら――」


 ジャックがそこを気にすると、巡査は運転しながら「パルマ製ですよ」と小型通信機を取り出した。

 ノートンの作ったものだ。

 それがあるなら先に言ってくれ、とジャックはぼやいた。


「K20号車から伝達。検問を解除。対象を橋へ進入させろ。警戒させるな。中ほどで止めて、出口を封鎖する」


 程なく倉庫や工場の立ち並ぶイレザーヘッドを通り過ぎて、海に立ち並ぶ巨大な橋脚が見えてきた。

 線路が丘の地中を突っ切って、橋へと続いている。

 車道のほうは丘を回り込む形でカーブしており、それに沿って丘を上がると、そこはもう橋の出口だ。

 交通量は決して多くないのに橋は片側二車線、計四車線だ。

 上りと下りの車線の間、車道の下五メートルほどのところを鉄道の軌道が通っている。

 跳ね橋ではあるが、列車も通れるのだ。


「――可動式鉄道橋か。珍しいな」

「お気づきですか。橋の高さが充分ありますから滅多に動くことはありませんが、壮観ですよ」


 ミラと巡査の会話に、ジャックは少しうんざりした気分になる。


「だからなんでお前ら鉄道にやたらと詳しいんだ」


 そこへ通信機から声がした。


『対象を確認。車種は紺色のイクスピアノ・ジェミニ。橋の手前で停車しているようだ』

「目立つ車に乗りやがって。何をしているかわかるか?」

『さぁ――もう十分以上動きがない。確保に移るか?』

「いや待て。今感付かれたらチャンスを失う。出方を見よう」


 無言の時間が流れる。

 ほどなくそれは破られた。


『――運転手が戻ってきた。白いスーツ。金色のマスク。ファンゲリヲンと見られる』


 間違いないな、とジャックはうなずいた。


『動き出した。橋に入る』

「二千まで来たらフルシ側を閉鎖だ。三千でこちらを閉鎖する。機動隊、準備しろ」

『了解』


 了解、と橋の道路封鎖チームが敬礼する。

 集まった機動隊四十名が、盾を持ち並ぶ。

 機動隊員は土魔術のエキスパート揃いだ。

 フルシ製の重車両が二台。一般警察車両四台。

 片車線を封鎖するには十分な布陣と言えた。


『現在地点、二千百。フルシ側、閉鎖を完了した。対象の後ろに一般車両二十五台』


 いいぞ、とジャックは息を呑む。


『間もなく三千』

「ジェイクスさん、指示を」

「ああ、機動隊、封鎖を開始しろ!」


 黄色いバーが降り、橋のランプが赤に点滅する。

 機動隊と車両が道路をふさぎ、橋は完全に封鎖された。

 クラクションを鳴らしながら一般車両が次々と停止し、見る間に渋滞が起きてゆく。


「封鎖完了しました」


 よし、奴らの車を探すぞ――とジャックがそう言いかけたときだ。

 緊迫感のある声で、通信機が鳴った。


『鉄道保安局より緊急連絡! 鉄道に不審車両有り!!』


 なんだと――とジャックは耳を疑う。


鉄道・・不審車両・・・・――?」


 五メートル下を通る鉄道の軌道を見る。

 車種は。車種は何だ。


『不審車両は鉄道軌道上千メートル地点! くそっ! 死角だった!』

「どういうことだ!」

『線路だ! 線路上を走ってゆく車がいる!』

「駅の封鎖班に連絡してレール上の不審車両を止めさせろ!!」


 駅の封鎖班は別に動いている。

 ――やられた。道路側の車両はブラフだ。

 ジャックはそう思った。

 イレザーヘッド駅は貨物駅である。

 線路は複数に分岐し、駅側は間口が広い。道路側ほど封鎖が容易ではないのだ。

 それでも相手が列車なら容易だ。

 だが線路を無視して自由に動ける車が相手では――。


『不審車両、二千メートル地点を通過!』

「こちらの封鎖は継続する! 重車両一両と人員二十名をイレザーヘッド駅に回せ! 大至急だ! こちらは残りの車両で対処する!」


 ジャックは目視した。

 まっすぐに伸びる線路を、一台の車が走ってくる。

 丸みを帯びた流線形のイクスピアノ・ジェミニ。色は黒。

 橋の上部、車両用の道路ではなく、下部の線路を車で来るとは。


『三千メートル!』

「駅の封鎖間に合いません!」

「――どうする、ジャック」

「どうするもこうするも――聞いてくれ! 俺とミラは駅へ向かう! ブラフの車の運転手を捕まえて、事情聴取してくれ! 紺色のイクスピアノ・ジェミニだ!」




***




「どうした。急に進まなくなったな。渋滞か?」

「――そのようだ」


 後ろを見ると、退屈だろうに、インターフェイスは眉一つ動かさずに前を見ている。


「橋で渋滞なんかするか? 事故じゃないといいんだけど」


 ファンゲリヲンは答えない。

 オレは外を見た。

 左側を見ると、中央の線路を挟んでブリタシアから来る下り車線だ。車は流れている。

 ふと下の線路を見た。


「――おい、ありゃあ何だ」


 オレは思わず声を上げる。

 線路を、一台の車が走ってゆく。

 見たところオレたちの車に似ている。色違いの、黒。


「線路を車が走ってくぞ!?」

「――そうか。珍しいこともあるものだな。運転手は居眠りが過ぎたのであろう」




***




 ジャックとミラはイレザーヘッド駅に回った。

 線路と貨物コンテナの並ぶ駅の車両基地だ。

 橋を下りた線路は、丘を下ってこの駅へ通じている。

 先に到着した重車両が、黒いイクスピアノ・ジェミニの横っ腹を押して、ひっくり返していた。


「搭乗者は無事か!? どこへ行った!」

「窓から脱出して、駅の構内に隠れました。今、散開して行方を追っています」


 クソッ! とジャックは毒く。

 ジャックとミラはひっくり返った車のほうへ歩きながら、現場にいた隊員に声をかける。


「重車両の運転手は!?」

「私です。不審車両の搭乗者三名は、全員脱出して構内へ――」

「聞いた。――ん? 三人・・?」

「はい」

「ガキはいたか?」

「いいえ。全員成人男性かと」


 ジャックは慌て、しゃがみ込んで車を調べた。

 横転した運転席の窓のところに、挟まれてちぎれた腕が落ちている。


「――やられた! 運転者は死霊だ」




***




「動かねえなあ」


 海の上、高い高い橋の上でオレたちはよくわからない待ちぼうけを食らっている。

 車は急にピクリとも動かなくなった。

 前のほうからクラクションの音が聞こえる。

 いったい、この渋滞はいつになったら動くんだ。


「落ち着いて待つのだ」

「ガイドブック返してくれよ。今のうちに予習しとくからさ」


 そのときオレは、車道を歩く一人の男に気付いた。

 男は一台一台車を確かめながら、確実に、素早くオレたちの方へ向かってくる。


「まずい――警察だ」


 オレは慌てて、ファンゲリヲンから奪い返したガイドブックで顔を隠す。

 刑事らしき男は、オレたちの前の車を一瞬だけ、しかししっかりと一瞥いちべつし、迷いなくこの車に見付ける。

 顔色ひとつ変わりはしないけれど――その目に確信が宿った。

 ――『見付けたぞ』と。


「見つかったぞ! 逃げよう!」

「こう車が詰まっていてはな。戻りも進めもせぬ」

「車を捨てて逃げるんだよ!」

「待つよりあるまい」

「待つって何を――」


 待つと言えば――この橋を渡る直前、こいつは一体何をしていたのだろう。

 そう思った瞬間だ。

 ガコンと世界が揺れた。

 こちらへ向かっていた刑事もバランスを崩す。


「――!?」


 続いて――地面が持ち上がり始めた。

 跳ね橋が上昇しているのだ。

 あれだけ動かなかった車が、まとめてずるずると前進してゆく。


「お、おい、おいおいおいおいっ!!」

「叫んでも止まらぬぞ。掴まっておれ」


 灯るブレーキランプ。

 でも――ダメだ。

 一定の角度より跳ね上がったとき――静止摩擦が振り切られる。

 新機軸のゴムタイヤ。バックにギアを入れた前の車のそれが猛然と逆回転をして白煙を上げている。

 でも――ダメなんだ。

 一度滑り出してしまったなら、静止摩擦はもう負けている。

 この跳ね上がり続ける橋の傾斜には――勝てない。

 さっきの警察が転がり落ちてゆく。

 橋のふもとでは、前方の車が追突されてめくれ上がり・・・・・・、盾を持った警察隊を蹴散らしている。

 おもちゃ箱をひっくり返したような有様で――。


「なんだありゃあ! 滅茶苦茶包囲されてる!!」

「ブレーキを踏むのは悪手だ」


 ファンゲリヲンはアクセルを踏み込む。

 前に進むと、車は制御を取り戻した。

 タイヤが傾斜した路面を噛んで、ファンゲリヲンのステアリングに追従しているのが助手席にいてもわかる。

 ただし息の止まるような速度だ。

 バラバラとずり落ちてゆく先行車両の間を、ファンゲリヲンはすり抜けて、すり抜けて、すり抜けて――。

 盾を持った部隊を踏み散らかし、その車両をかわしたりしながら。


「ふはははっ!! どうだ! 思った通り良い車である!」


 ファンゲリヲンが叫ぶ。

 前方の封鎖を強引に――乗り越えた。


「突破されたぞ!」

「ジェイクスを呼び戻せ!!」


 ジェイクス。

 車の潰れる轟音、橋の駆動音、怒号、絶叫。

 それらに交じってたしかにその名を聞いた。

 ジャックだ。

 あいつが来ている。

 オレを取り戻しに。

 まだ捕まるわけにはいかない。

 いよいよ――あいつとの勝負の始まりだ。

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