37.4 「逃げろ! 逃げるんだ、ダリア――」

「『仕立て屋』の犠牲者は、病気、貧困、先天的障害――皆、何らかの問題を抱えていた」

「問題を抱えてねえ奴なんか、この街にいるか?」


 ハンクス警部は花屋の二階で、花に囲まれながらそう言う。

 ロッテン通りの花屋。

 オリビアの証言にあった通り、花屋の向かいには『おしゃれ ロイヤル・ギルバート』の店構えが見える。

 何故ここに休暇中の刑事がいるんだ、とハンクスは来るなり苦言を呈していたが、緊迫した状況にそれ以上は何も言わなかった。

 そのハンクスに、フィルが報告する。


「体の一部を移植してどうにかなる種類の問題ですよ。病気の酒飲みには健康な肝臓。貧乏なモデルにはイカした顔。娼婦には新しい――」


『あそこ』とフィルは握り拳を振ってジェスチャーで示す。


「それを仕立てるのがあの店ってことか。信じられんな。本当にあの店か?」


 ハンクスが信じないのも無理はない。

 こじんまりとした店は歴史も古く、看板に書かれた通りロイヤルなのだ。

 ブリタシア女王へつかまつったこともあり、店構えからは想像もつかないが五人もの職人を抱えている。

 以前にGから始まる業者を洗ったときも、調べて外した店だ。

 この店にあやかろうと、市内には『ギルバート』に似た語感の店名は実に多い。

 ガルバード、ジルベルト、ロイヤー・ギブソンズ、或いはロイヤルのつかないただのギルバートまで。


「今日だってもう客が沢山きた。出入りの業者も多い。その中に犯人がいるのか?」

「わからん。長丁場になる。だが必ず犯人はここに出入りしてるんだ。ようやくつかんだ尻尾だ。何があっても離さない」

「ジャック――家に帰ってやれ。休暇が残っているだろう?」

「警部、こないだも言ったがこの事件は――」


 おい、誰か来たぞ! とフィルが小さく叫んでジェイクスの言を遮る。

 ジェイクスとハンクスは、花屋の窓から薄く身をのぞかせて向かいの店を見る。

 タクシーが停まっていた。


「あいつは――!」


 タクシーから降りたのは勇者・裸足のヒポネメスだ。


「おい! どうなってる! どうしてヒポネメスがこの場所を知ってる!」


 ジェイクスがフィルとハンクスを見る。

 二人は気まずそうにしていた。


「捜査情報を漏らしたのか!? 部外者に!?」

「ジャック。あいつは部外者じゃない――」

「とにかくあの馬鹿野郎を止める! 何をしでかすかわからん奴だ!」

「落ち着けジャック!」

「落ち着いていられるか! 今、犯人に店がマークされてることを感づかれたら終わりだ! 二度と『仕立て屋』を捕まえる機会はなくなる!」

「ジャック! 勇者には手を出すな! 上からの命令だ!」


 念のため「拳銃を貸してくれ」と頼んでみたが、ハンクスは「休暇中の奴には持たせられん」と拒否した。


「警部はここで監視を頼む。いいか、フィル。俺たちはたまたま通りかかって、強盗犯に出くわした市警だ」


 ジェイクスはそう言ってポケットのケースから、透明なガラス玉を取り出す。

 それをハンクスとフィルにひとつづつ渡した。


「耳に入れろ。ポケットに手を突っ込んだまま、小声でも話ができる」


 フィルはそれを耳に入れると口元を隠し、小声で話した。


『刑事は楽しい商売だぜ』

「それでいい。行くぞ」




***




 石畳を挟んだ向かいの洋品店、ロイヤル・ギルバード。

 派手なショーウインドウはなく、しっかりした木枠の鎧窓が嵌っており、外からは店内の様子が判らない。


「フィル、お前は裏口に回れ。俺は正面の入り口から中を見る」

『了解』


 ジャックは壁に背中をつけまま移動し、正面のドアに嵌ったガラス越しに中を見る。

 筋肉質な背中が見える。

 店員らしき白髪の老女が、カウンターの手前で頭を抱えてしゃがみこんでいた。

 壁際に伏せている他の客の姿も見える。

 ――あの野郎。

 さながら銀行強盗だ。


『裏口に回った。指示をくれ』

「フィル、勇者が暴れてるみたいだ。強盗の現行犯で取り押さえる」

『ジャック! フィル! 勇者には指一本触れるな! 事を荒立てず、連れ戻してこい!』


 ――その保証はできない。


「善処する。表に捜査班を待機させろ。中にいる人間を全員正面から外に逃がす。全員の顔を押さえて、怪しい動きをしたら取り押さえろ。突入するぞ。フィル、拳銃を持ってるな?」

『ああ。構えている』


 おそらく店内は燃えるものだらけだ。

 制圧力のある火魔術はおどしにも使えない。


「三、二、一、突入!」


 ジェイクスは正面玄関を開けた。

 左手で手帳を出し、右手で魔術を構えるふりをする。


「動くな! ロンディア市警だ!」


 同時にカウンターの奥のドアから拳銃を構えたフィルが現れる。


「ヒポネメス! 強盗の現行犯で逮捕する! 手を頭の上に乗せ、ひざをつけ! ゆっくりとだ!」


 ヒポネメスはゆっくりと振り返った。


「何の真似だ刑事さん。おれが強盗? ここに連続殺人犯がいるのに?」

「お前が強盗だ! 聞こえなかったか!? 大人しく投降しろ!」

「邪魔をするなっ!!」


 勇者は吠えた。

 カウンターのところでかがんでいた老女がびくりとして腰を抜かす。


「ヒポネメス、落ち着いて人質を離せ。一人ずつ、解放するんだ」

「全員しょっ引いてやるぞ!! ここに悪党がいるんだからな!」

「馬鹿な真似は止せ!」


 フィルが老女を立たせ、正面から逃げるよう促す。


「ヒポネメス! その店員を逃す。動くな。動いたらフィルが撃つ。いいな?」


 勇者は余裕の表情でフィルを見ていた。

 老女は身を低くしたまま、怯える足取りで棚の陰を通ってこちらへ来る。

 ヒポネメスからは死角だが、その老女の動きが見えるかのように目で追っていた。


「見るな、ヒポネメス!」


 棚の陰から老女が抜け出た。


「――ハンクス。一人出る。店員だ」


 そのまま老女はジェイクスの背後に回り、開けっ放しのドアから外に出た。

 

「あーあ。いいのか? 今の婆さんが『仕立て屋』かも知れないんだぞ?」


 黙れ! と言って、ジェイクスは店内を見る。

 吊るし売りの棚のせいで死角が多い。

 だが、奥のフィッティングルームらしき入り口の向こうで動きがあった。

 中年の男が、幼い少女を逃そうとしている。

 ぬいぐるみを抱え、シンプルなドレスを着た十二か十三くらいの少女が――一瞬だけ入り口の向こうを横切る。

 躍動感がありつつ暴れないすその動きで、シンプルだが仕立てのよいドレスだとは一目でわかる。

 その足音か――あるいはジェイクスの視線に気づいたヒポネメスが振り向く。


「逃げるな悪党!」


 ひぃっ、と中年男が叫ぶ。


「――お金ならどうぞ、あるだけ持って行ってください! どうか、家族とお客様には――」


 店主だ。


「善人ぶるなっ!!」


 ヒポネメスが叫ぶ。

 ――今だ。奴を取り押さえ――。

 ジェイクスはヒポネメスに飛び掛かる。

 しかしその手が奴に届くより一瞬早く、ヒポネメスは飛び上がっていた。

 腕を組んだまま空中で体をひねり、反転すると――天井に立つ。

 ジェイクスは空を掴んで床に転がった。


「勇者を買収するとは。貴様を逮捕する」


 フィルは拳銃を上に向けて構えるも、奴は壁から壁、天井から床へとねるように移動し、とても狙えない。

 そのスピードで、店内には風が巻き起こる。

 窓は揺れ、照明は暴れ、棚は倒れ――。

 舞い上がるシャツ。

 飛び散るハンカチ。

 ジェイクスはその中を立ち上がり――奥を見た。

 驚いて、フィッティングルームに逃げ込もうとする店主の前に、ヒポネメスは舞い降りる。


「逃げろ! 逃げるんだ、ダリア――」


 おっと、とヒポネメスは店主のくびを掴んだ。


「貴様が殺人鬼か?」

「――手を離せ! ヒポネメス!」


 奴はジェイクスの声には答えない。


「貴様が殺人鬼なら――連れて行かねばならん。違うなら大人しくしていろ――どうだ?」


 店主は首を掴まれたまま体を持ち上げられ、足が床を離れて暴れる。


「正直なところ――大人しくしててもらいたいね」

「やめろ! 店主を離せ! 死んじまうぞ!」

「その手を離せ! 撃つぞ!」


 拳銃の撃鉄を起こし、フィルがそう叫んだ。


「撃てるものなら撃ってみろ! 腰抜けの市警め!」


 そして――数瞬だけ迷ったような顔をした後に――フィルは引き金をひいた。

 パンッ。

 護身用の小口径だ。

 それが勇者の大きな背中に当たって、ぴっちりとしたスーツを穿うがつ。

 そこからスーツが弾け、小口径の割には大きな穴を残した。

 どさりと店主が床に落ち、手足を暴れさせて逃げる。


「――まさか、本当に撃つなんて」


 勇者の弁だ。信じられないという顔をして、フィルを見た。

 フィルも驚いた顔で、構えたままの拳銃を見ていた。

 初めて現場で発砲したのだ。


「ひ――ひぃいぃぃいっ!!」


 店主ギルバートは、脱兎だっとの勢いで奥へ逃げ出した。

 ヒポネメスはそれに気づく。

 再びこちらに背中を向ける。

 ふんっ! と力をめると、背中の筋肉が盛り上がって緊張する。

 それが傷口をふさいでいるのか、出血は多くない。

 そこから、鉛玉が押し出され、床に転がった。


「――おれから走って逃げようなどと――この裸足の」


 ジェイクスはようやく、駆け寄る。

 広々とした板張りのフィッティングルームを覗くと、そこに既に店主の姿はない。

 奥の扉が開けっ放しだ。

 勇者は、再びその俊足を発揮して奥へと飛んで行く。


「お前のせいだ大馬鹿野郎!! 絶対に生かして捕まえろ! 傷一つつけるな!! フィル!! 裏へ回れ!! 警部は応援を!!」


 ジェイクスはそれを追いながら指示を出す。

 フィッティングルームの奥は作業場に繋がっていて、裁縫をしていた職人らが何事かとこちらを見る。

 奥に裏口。

 しかし――下へ向かう階段もある。

 裏はフィルに任せた。

 ジェイクスは階段を駆け下りる。

 ここも作業場。

 皮をなめす器械やクリーニング機、巨大スチーマーなどがごろごろしており見通しが効かない。

 ガタンと奥のホーロー棚が鳴った。


「店主か!? 出てきてくれ! 市警の者だ! あんたに危害は加えない!」

「そこか?」


 先にそこに着いていた勇者は、ホーロー棚に向かって悠然と歩みを進める。


「おい! 止まれ! ヒポネメス!」

「なぜだ。犯人はすぐそこなんだぞ!」

「いいから止まれ!!」


 そのときだ。

 ヒポネメスの横、大型スチーマーの死角から――スッと何者かの影がおどり出た。


「危な――」


 言い終わる間もなかった。

 バシャァッと液体が、ヒポネメスの頭から上半身を濡らす。

 液体は――熱湯だ。

 がらんがらんとホーロー鍋の転がる重たい音が響く。


「ぎゃああああっ! きっ、きさま!!」


 ヒポネメスの筋肉は真っ赤に、辺りは蒸気で真っ白になる。

 ジェイクスは慌てて傍の水道のシンクに飛びつき、バケツ一杯に水をむ。


「うああぁああぁぁあっ! あつ、熱いッ!!」

「ヒポネメス! 引け! 水だ!」


 バタバタと足音が走る。

 ヒポネメスでもジェイクスでもない。

 店主か。


「待てえっ!! きさま!! おれらの仲間にしてやろうと思ったのに!」


 ヒポネメスは力強くジェイクスを突き飛ばした。

 その衝撃でジェイクスは脚を滑らせ、思い切り転倒して後頭部を強打する。


(――ウッ)


 意識が明滅する。

 ヒポネメスが、足音を追って走り出した。


(――なんだ。何と言った――仕立て屋を――仲間に?)


 奴は最初からそのつもりで市警に取り入ったのか。


「出てこい仕立て屋!! おれと来い!!」


 ヒポネメスの声が響く。

 ガンガン痛む頭を押さえ、ジェイクスは立ち上がる。

 ふらふらだ。

 脳震盪しんとうを起こしかけているのが自分でもわかる。

 階段の上から、応援の捜査員とともにフィルが降りてきた。


「どうしたんだジャック! 血がでてるぞ! 大丈夫か!」

「ヒポネメスにやられた……なんとか大丈夫だ。……追え! あいつを止めてくれ!」


 水がかかったかと思ったが、自分の髪と掌をぐっしょり濡らしていたのは血だ。

 ――クソ。

 一階の裏口から外に出る。

 そこは――L層だ。

 沢山の貸倉庫とホームレスの住居が並ぶダウンゼンド通り。

 昼なお暗く、隠れる場所ならいくらでもある。


「ちくしょう! ヒポネメス! 店主! どこだ!」


 叫べば叫ぶほど視界が真っ赤になり――耳が聞こえなくなってゆく。


「フィル!! どこだ!! ちくしょう!」


 平衡感覚を失い、目の前が暗くなる。


「フィ――ヒポ――ちくしょ――」


 ――畜生。

 ――畜。




***




「――気付いたときは警察病院だった。女房と警部、それからフィルが心配そうにしてて――」


 ジャックは懐かしそうにした。

 L層のタウンゼンド通り沿いで、店主ギルバートの死体が見つかった。

 被疑者死亡。

 捜査終了ケースクローズだ。

 見つけたのは勇者・裸足のヒポネメスであった。


『抵抗したから殺した。こいつは悪党だった』


 ヒポネメスは悪びれもせずにいった。


『貧民街の皆さん! 二年間、街を恐怖におとしいれてきた仕立て屋Gはこの七勇者のルーキー、裸足のヒポネメスがち取りました!』


 ――ふん、大した奴じゃなかった。連れてゆく価値はなかった。

 奴はフィルの前でそうも語ったらしい。


「ヒポネメスの目的は、最初から『仕立て屋』の逮捕じゃなかった。あいつは俺たちの捜査を邪魔していやがったんだ」


 ジャックに対する圧力や捜査情報の横流し。

 ハンクス警部やフィルにしても、何も勇者に対して情報を漏らしたのではない。

 彼らは単に上に報告しただけだった。

 それを市警の上層部から漏洩ろうえいされたのでは、止めようがなかったと彼らはジャックにびた。


「マーリーンのときみたいに――仲間にしようとしたのか?」


 ミラはジャックの顔を覗き込んで訊いた。


「どうだかな。少なくともそういう名目で来たんだろうが――俺はそう思わない。あいつはきっと、自分が七勇者から追い出されるのを恐れて、『仕立て屋』を抹殺しようとしたんだ。命令に反してな」

「とにかく、仕立て屋ギルは死んだんだな。じゃあ、お前が勇者を恨むのは、仕立て屋ギルを殺されたからなのか?」

「それは――」


 ジャックは目をしばたいて、頭を振る。


「そうだ。それだけだ。俺はそろそろ部屋に戻る。風に当たりすぎたみたいだ」


 ジャックは甲板の手すりを離れ、客室のほうへ向かって歩き出す。

 背後からミラが叫んだ。


「待て! まだ話してないことがあるだろ!」

「――それだけだ」

「嘘くんじゃねえ! お前のためにならねえから、話せって言ってんだ!」


 ジャックは足を止めた。


「俺の何が判る。ハックマンのことを俺に隠してたお前に!」

「判らねえよ! 話さなきゃ判らねえだろ! 認識術でどうこうの話じゃない! あたいは! お前に! 話せと言ってるんだ! 仲間だろ!?」

「仲間でも話したくないことはある。とにかく、この件はこれでしまいだ。俺は、手柄を横取りされた恨みで七勇者を殺すと誓った、ただの小悪党だよ」

「待てよ! ギルバートが死んだなら! 最後の勇者は何者なんだ! 仕立て屋ギルなんだろ!?」


 ジャックは尚も食い下がるミラをその場に残し、自室に戻った。

 部屋に入るなり、その場に崩れ落ちる。

 扉を背にして座り込み、ジャックは悲しみとも、憎しみともとれる表情を深く刻んでいた。




***




 オレたちは、デルマッけわしい山岳道路を抜けていた。


「ほう。デルマッシェではなくデルマッハと発音するのは、なかなかに本格的だな。短い間に旅を楽しんでいるようで何よりだ」


 助手席でファンゲリヲンは気安くそう言った。

 こいつの運転じゃ命がいくつあっても足りない――そう感じたオレは途中で運転交代を申し入れたのだ。

 夕刻。

 もう夕闇が迫る。


「やはり君は運転が上手いな。ジェミニ入りは深夜と思っていたが、もう着いてしまう。山道もいいものだろう?」


 とんでもない道だった。

 整備されてないところも多く、ロ=アラモに向かう道のほうがマシだった。

 楽しんでいる余裕はなかったが、景色もあっちのほうがよかったと思う。

 でもあの山道――あれですら中央山脈のほんの入り口に過ぎないというのだから世界は広い。


「山岳民族に襲撃されなくて済んだのもよかった。ふもとででっかい狼煙のろしを上げておいたのが効いたのかも知れんな」


 途中で崖から落としたトレーラーのことだ。

 オレは未だにそのことを許してない。

 どう考えても、こいつはやりすぎた。

 

「――随分と大人しいな。腹が減っているのではないか?」

「腹が立ってるんだよ!」


 同じことだとファンゲリヲンは言う。


「ジェミニには美味い食事が沢山ある。きっと君も気に入るぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る