35.4 「証人たちよ! 続きを始めよう!」

「我が信徒達よ! あの者どもを殺せ!」


 それが合図だった。

 しかばねはコンテナから飛び降り、階段へ向けて――ファンゲリヲンのすぐそばを、みくちゃにしながら走り出す。

 ストレイシープたちも合流し、その数は三十にも及ぶ。

 その流れに逆らうかのようにノヴェルはコンテナへ向かって走り、飛び移った。

 リンは泉に浮かんでいる。


「リン――今助ける」


 だがコンテナにはまだ二体の屍が、リンを守るように残っていた。

 ロウとセシリアが階段を駆け下りてゆく。

 下の様子を三十メートル上の踊り場から見たノートンは、そばにある操作盤のレバーを勢いよく下げた。

 ドックのクレーン操作盤だ。

 ガシャン――とくさりがぶつかる音がして、縦穴の中空に吊り上げられた探査船キュリオスのうち一基が落下する。

 ファンゲリヲンと、彼の周りの屍どもの上に――。


「ぬおおっ」


 そううめきとも悲鳴ともつかない声をあげながら、ファンゲリヲンは頭から横に飛び退く。

 一瞬ののちにキュリオスの黒いボディは、入り江を囲むコンクリートの港に激突した。

 脳をさぶる轟音ごうおん

 その千メートルの水圧にも耐える筐体きょうたいは屍たちを押し潰し――更にガゴンと転がって屍たちをり潰す。

 キュリオスは大勢の屍を巻き込んで、盛大な水飛沫しぶきを上げて入り江に落水した。

 ファンゲリヲンは起き上がり、破裂した肉片やら血やら腐汁ふじゅうでぐしゃぐしゃになったマントを外していた。

 海面が大きく上下する。

 キュリオスの立てた波が、コンテナを大きく揺する。

 丁度、ノヴェルがコンテナ上で二体の屍に対峙たいじしていたところだ。

 彼らの足元が豪快に揺れてたまらず転倒し、ずるずると滑って屍二体は落水した。

 ノヴェルは四肢ししを踏ん張ってどうにかしがみついていたが――入り江の波は反射を繰り返し、揺れは不規則なる。

 波飛沫はコンテナ上のノヴェルを容赦ようしゃなく襲う。

 すっかり洗われて、ノヴェルの手は滑った。


「クソぉぉおぉっ! クソッ!」


 爪を立てても取っ掛かりはない。

 泉のへりにまでわずかに届かない。

 ノヴェルは抵抗むなしく滑り続け――。

 ドボン――と冷たく暗い海中に彼は落ちた。

 気泡が彼を包み込む。

 藻掻もがく。

 一面白い泡だらけで、視界はぼんやりとしていた。

 そのぼんやりとした視界を突き抜けて、二体の屍が手を伸ばしてくる。

 先に沈んだ二体が、泳いで襲ってくるのだ。

 ノヴェルはそれを必死に蹴り、どうにか海面を目指す。


「ああ、なんてことだ。崇高すうこうな理念の船の、最低な使い方だ」


 上層ではノートンが、鉄柵てつさく越しに下を確かめながら顔をしかめていた。


「やるじゃねえか。見上げた思い切りだぜ」


 ジャックはその横でスコープをのぞきながら苦笑し、ロウたちに迫る屍の頭を吹き飛ばした。

 ミラは、ファンゲリヲンを探す。


「ジャック、この位置から親父を狙えるか」


 スコープ越しの景色は、肉眼より二段も三段も暗い。

 階段の近くには照明があるが、入り江近くとなると岩肌沿いにわずかにある程度。

 ファンゲリヲンの輪郭りんかくが、位置によってはかすかに見えるくらいだった。


「いや――かなり暗くて厳しい」

「――なら直接る」


 ミラは口にナイフをくわえ、鉄柵にかかっていた鎖を掴む。

 そしてその高さから飛び出した。

 軽々と、さっきまでキュリオスを吊っていた鎖に飛び移り、その勢いで別のキュリオスの上部に飛び移る。

 そこから更に別のキュリオスに飛び移り――真下にファンゲリヲンをとらえた。

 飛びかかって奴の背中にナイフを突き立てられる距離だ。


「我が娘よ! 近くにいるのであろう!」


 よろよろとファンゲリヲンはあちらこちらを向き直り、叫ぶ。

 その顔は血と肉片にまみれていて、どうやら目が見えないようだ。

 必死で顔をこすっている。


「なんてことだ、神聖な儀式をこのような……! 娘よ!」


 ミラは息を殺し、返事をしない。

 ジャックを見る。

 ジャックはロウたちの援護えんごを続けている。

 ロウとセシリアは長剣を二本ずつ両手に装備し、万全の構えであった。

 階段を上がってくる屍を次々と倒しながら下へ向かっている。

 残る屍はストレイシープが五体、オルソー寺院の信徒も五体。

 だが磨り潰した奴らと異なり、その者どもは撃っても切っても倒れない。

 スプレネムの御前ごぜんとあっては、有効な火魔術を封印するほかない。

 そのスプレネムは入り江の小屋の扉から、恐る恐る外の様子をのぞくのみだ。

 ミラはナイフを構え、ファンゲリヲンのガラ空きの背中目掛けて――飛びかかった。

 背中が迫る。

 老いてはいるが――父の背中だ。

 幼い彼女が、ずっと追いかけた背中。

 そこに、ナイフを――。

 瞬間、ファンゲリヲンが体をひるがえした。

 手にしたマントをかざし、ミラのナイフを払う。

 ミラはそのままファンゲリヲンに激突し、二人はもつれ合って転がる。

 ゴロゴロと港の端、入り江のギリギリまで転がって、止まる。

 上になっていたのは――ファンゲリヲンだ。


「娘よ、運がなかったな。母さん似か?」

「く……クソやろう」


 ファンゲリヲンの両手はミラのくびに掛かっている。

 その手をぎりぎりと締め上げていた。


「母さんと――オフィロアだったか? あの娘の元に逝くがいい。まったく女というやつは」

「オ――オフィーレ……ア――」

「あの女はお前の何なんだ? 毒をあおって死ぬ最後の瞬間まで、お前を恨んで、求めていたぞ?」


 ミラの意識が途切れゆく。

 ――ジャック、ノヴェル。

 ――スプレネム。



***



 十二年前。

 ファサ王国、アレンバラン男爵の屋敷にて。

 オフィーレアの誕生会に行ったミランダは、肩身の狭い思いをしていた。

 彼女の父は反女神の急先鋒きゅうせんぽうになりつつある。

 本人は進歩的なつもりでいるようだが、医師としての素質も疑われ、世界中から白眼視はくがんしされているように思えていた。

 いや――それは必ずしも、彼女の気のせいなどではなかった。

 その空気は、多感な少女ミランダには痛いほどわかった。

 特にこのような社交界のパーティにおいては、だ。

 扉が開いて、メインゲストの女神スプレネムが入ってきた。

 スプレネムは一見地味な服装で、人目を避けるようにしていた。

 ミランダには――まるでそれが鏡の中の自分のように思ってしまったのだ。


「ちょっとあなた。本当に女神なわけ?」


 スプレネムはたどたどしい挨拶を済まし、すみのところで所在なさげにしていた。

 それをミランダは見つけ、からんでいったのだ。


「ほ、ほほほ、ほんとうよ」

「あの滝の水を、全部凍らせるくらいのことはできるのかしら?」

「い、いいい、いや、いや、できるけど、そんなことしたら――氷河期って、みんな凍えて、み、みんな困って、わたし、嫌われちゃうから」


 へぇ、とミランダは薄笑いした。


「わたしとどっちが嫌われるかしら?」

「あ、あな、あなた、きら、きらわれ」

「そう。わたしはね、この中の誰より嫌われてるの。オフィーレアは優しくしてくれるけど、どうかしらね。雨に打たれた子犬を可愛がるようなものじゃないかしら」

「へへへ、こいぬ」


 そのたとえが気に入ったのか何なのか、スプレネムはへらへらと自嘲じちょう気味に笑った。

 まるで女神らしくないとミランダは思った。


「あなた変わってるわね。フィレム様とは大違い」

「――フィレム」


 フィレム様の話は禁止――。

 オフィーレアにはそう言われていたのに。


「そう。フィレム様。素敵な方よ。うちにも何度もお招きしたわ。ドレスも綺麗で、あなたよりよっぽど――まるでオフィーレアと」


 オフィーレアとわたし。

 フィレムとスプレネムは、まるでオフィーレアとわたしだと、彼女は言いたかった。

 ミランダは――スプレネムと友達になりたかったのだ。

 だが――その言葉は、もうスプレネムには届かなかった。

 スプレネムは、耳をつんざくような絶叫を上げ、パーティーテーブルのクロスを次々引き抜きながらフロアをあてどなく彷徨さまよっていた。


「イイイイイイイ、フィ、フィ、フィレムッ!! キライキライキライッ!」


 大荒れになったスプレネムは、招待客からの不興を買った。

 誰もがスプレネムに視線を注ぐ。

 その中心で、スプレネムは震えていた。

 自身の両手を、奪い取ったクロスでぐるぐる巻きにして――震えていた。

 そしてその日以来、スプレネムは人前に姿を現さなくなったのだ。



***



 ドン、と音がした。

 急に呼吸が戻って、ミラの意識が復活した。

 ミラを絞め殺そうとしていたファンゲリヲンは、横から飛び出した者に弾き飛ばされ、転がっていた。

 そこに立っていたのは――スプレネムだ。


「スプレネム――なんであたいなんかを――」

「ここここいぬ。ミミ、ミラ、ンダ、ヲ」


 混乱しつつ頭を振るミラをよそに、スプレネムは両手を広げた。

 すると入り江の水が騒々しく渦巻き――そこから何本もの水柱が起き上がって頭をもたげる。

 僅かに――洞窟全体が揺れている。

 断崖、洞窟、そして大量の水。

 彼女の力に、この地が本来持つ聖性を呼び覚まされているのだ。

 まずい、とミラは悟った。


「よ……よせ、スプレネム――お前は――余計なことをするんじゃねえ」


 スプレネムが暴走すれば、何が起こるかは予想できない。

 一度は雪崩なだれを、二度目は洪水を引き起こした。

 スプレネムは、自身の力の恐ろしさを誰よりも理解していたのだ。

 彼女も人を必要としているのに、彼女は人を傷つけてしまう。

 なのに人は、彼女に奇跡を求める。

 あの日、ミランダたちに憎しみを抱いた女神は、人を遠ざけるよりなかったのだ。

 ミラはコンクリートの上をって、弾き飛ばされたナイフを探す。

 ――無い。

 ナイフはマントで弾かれ、そのまま海に落ちてしまっていたのだ。


「話の判らねえ神様はすっこんでいろ。これはあたいの――問題だ」

「チチチ、チガウチガウチガウ!」


 ジャックはスコープ越しに、スプレネムの輪郭りんかくだけを捉えていた。


「何が起きてる! ミラ、スプレネムを止めろ! ――ミラ!?」


 水ならここに山ほどある。

 また神罰に比肩ひけんするような『奇跡』を起こされたら、ここにいる全員が危ない。

 止めなければならないが――応答がない。

 ミラの声も聞こえない。

 イアーポッドが外れてしまったのか。


「ミラさん!」


 ロウとセシリアが港を走って援護えんごに向かう。

 だがその背後を、起き上がった屍が追い始めていた。

 ミラとファンゲリヲン、スプレネム、走ってきたロウたちを――屍が取り囲む。


「くそっ、囲まれてしまったぞ!」


 うははははは、とファンゲリヲンが頭を押さえながら立ち上がる。


「子羊たちよ! 証人たちよ! 続きを始めよう! 予定とは違うが証人は多ければ多いほどい!」


 ――続きだと。

 ミラは周囲を囲んだ屍たちに目を配る。

 屍たちは、皆に彼らの教祖を見ていた。

 彼ら動かすものはヴォイド。

 彼らの内にイメージがあるとしたら、それはヴォイドの神をぶのに欠かせないものなのかも知れなかった。

 そして今やそれは、彼らのものだけではない。

 ミラもヴォイドをっている。

 ファンゲリヲンは、コンテナに飛び乗った。

 数本の水柱がまるで大蛇のようにうねり、勇者を威嚇いかくする。

 恐る恐る距離を詰めては離れ――まるで水柱一本一本が、スプレネム自身のようだった。

 ファンゲリヲンは――我が意を得たりとばかりに両手を広げ、わらう。


「素晴らしい力だ! 泉が呼応こおうしているではないか! これぞまさに神! 皮肉なものだ! 我らを見捨てた女神の力を、破壊と混沌の魔術を、今拙僧せっそうは我が物のように使役している!」


 ファンゲリヲンの言う通り――スプレネムの魔力が場に共鳴きょうめいし――洞窟は震え、入り江はうねり――。

 泉の輝きは増していた。

 輝きに照らされたはりつけの大賢者が、苦しげに眉間みけんを寄せ、身をよじる。


「――いよいよだ!」


 そうファンゲリヲンは歓喜かんきの声をあげる。

 ノートンはそれを目視した。


「ジャック君! コンテナの上だ! 狙えるか!?」


 泉のあやしい輝きが、その姿を浮かび上がらせる。

 奴はコンテナの上で、はしゃいでいた。


「くそ! 揺れがある! ファンゲリヲンも動き回っていやがる!」


 ジャックのいら立ちをよそに、勇者は感極かんきわまって泉の周りをぐるぐる回っている。

 死霊となった手下をはべらせ、教祖はコンテナ上で踊りださんばかりだ。


「誰か! 誰かあの野郎を押さえろ!」


 そのときだった。

 コンテナのそばから吹きあがった一本の水柱――。

 それに噴き上げられて、小柄な少年が高々と宙を舞う。

 ノヴェルだ。


「ファンゲリヲォォォォン!」


 その手にはミラのナイフ。

 それは、悠然ゆうぜんと立ち尽くす勇者目掛けての――飛翔ひしょう

 狙ったのかそうでないか――人を恐れた・・・女神と、魔力を持たない少年の奇妙な協調攻撃だった。

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