30.4 「記憶が曖昧なのではなくって?」
「スティグマ――!? まさか」
セブンスシグマは慌てて扉を
スティグマはそこに立っていた。
出血こそしているが――神経ガスが効いた様子はない。
「ば――バカな――僕の能力は――? なぜ同じ人間が二人いるんだ――?」
インターフェイスは、ころころと鈴のような音で笑った。
もう一人のスティグマは、その向こうに立ってこちらを
その顔に浮かぶ表情は
無表情な男だ。その感情の動きは小さく読みにくいが、それでもその
「何を仰るの。あなた、ご自分の力を御存知ないのね?」
「僕の力は――確率操作。事象の並行化」
結果として得られるものはそうですわね、とインターフェイスは言う。
「それにしてもその、『確率操作』ですか? 確率など操作できるのかしら? いかがでしょう、上様」
インターフェイスが尋ねると、スティグマは小さく首を横に振る。
「『コインの裏と表に同時に賭ける』――あなたが仰った、
「喩え話じゃない! 外れたほうの事実は消える。僕にはそれができる」
そう言うと、インターフェイスは再び鈴のように
スティグマは俯き、その表情は見えない。
もう一人のスティグマも沈黙したままこちらを視ている。
セブンスシグマは――足元を冷たい沼に呑まれてゆくような気がした。
「宜しいでしょう。できるかどうかはおくとしましょう――でも、あなたご自身はそんなことなさってないわ」
「何言ってる! 僕はそれをやってきた! 僕は、僕の能力で――」
「あなたの能力の本質は、『試行』。あなたはただやり直していたに過ぎないわ。あの老人――ハマトゥにしたでしょう? その記憶も、もうないのかしら?」
「覚えてるさ! そりゃ、何回かはやり直した! やり直した事実は消したんだ! それと同じ――」
「いいえ違うわ。あの時、あなたは三百回以上もコインを投げて、裏が出た時だけコインを積み上げた。私、見ていましたの。事実を消すなどできない」
――違う。
僕はコインを投げただけだ。
望む結果を出しただけ。望む結果を選んだのではない。
「
「違う! 僕は――そうだ! あの敵のドラグーンだって、狙いもつけずに、一発で同時に――!」
「あなたは何本の矢を持っていきましたか。矢筒はすぐに空になってしまったのではなかったかしら。狙いが良かったのは、あなたご自身の力では?」
――そうだ。
遠い昔、僕は軍人だった気がする。弓が得意で――。
「違う違う! 僕は、事象を並行させる! そのうちで僕の都合のいい結果
「そう見えるのかしら。確かにあなたは事象を並行させることができる。ご自身を複製してね」
「そら! あんた達だって見ただろ! ――ふ、『複製』?」
そう、複製――とインターフェイスは繰り返す。
「それも『試行』を効率的に行うための、言わば副産物。あなたはただ『試行』しただけ。都合のいい結果を選んだのは、ある意味そうかも知れないけれど、『だけ』かは――どうかしら」
「どういう――意味だ」
「真実のセブンスシグマ。あなたがもし本気で、ご自分の望む結果
「そうさ」
「お分かりにならないの? それとも本当に何とも思っていないのかしら。だとすれば驚異的ね。私のようなフラスコの小人からしても、尚あなたは驚異的ですわ」
よく御覧なさい、とインターフェイスはもう一枚の扉をどけ、謁見室の床を指差した。
「ここに転がる無数の死体を、どうご説明していただけるのかしら」
――死体? とセブンスシグマは床を見る。
そこには五十体か六十体、
部屋の隅に。椅子の間に。
数えることは困難である。
皆スティグマの黒い
「驚いたな。いったい、こんな死体がどこから――誰の」
「あなたの死体です」
まさか、とセブンスシグマは鼻で笑った。
「まさかではないのです。一体残らず、全てあなたの死体です。よく御覧なさい」
確かに、第一波、第二波、第三波の波状攻撃で、負けていった自分の複製達はこんな風にやられていたように思う。
だが顔は――どの死体の顔もぼやけていて、自分の死体だという確証は得られない。
そんなはずはない。
セブンスシグマは
そんな事実は消したはずだ。
言われるまで死体など見えていなかった。否、気にしてすらいなかった。
「あなたは事実を選んでいない。これこそその動かぬ証拠ではなくって?」
「ばかな――僕じゃない。僕の死体じゃない! 僕はここに一人だけだ!」
呆れた――とインターフェイスは言う。
「あなた様はジェイクス・ジャン・バルゼンにも銃撃され、三度死んでいるわ。それも覚えていらっしゃらないの?」
「あ、ああ――撃たれた。でも――僕は別の事実を選んだ」
「そうではないの、真実のセブンスシグマ。事実は選べない。あなたは確かに死んだ。あなたはご自分の死体でも、他人の死体でも、そこに
「嘘だ! それなら僕はどこだ! 僕は誰だ! 僕はどの僕だ!」
「あなたは、あなたが複製した別のあなた。記憶はひとつ。でもだからこそ――問題があったみたいね」
記憶は一つ。
「『試行』を現実的な時間に行うために、あなたは複製を作ることができた。結果を並列できない場合は非効率ですわね。例えばあなたの複製が同時に何かを行っても、あなたの記憶は一つだから記憶には残りにくい――」
たとえば、ダンスの練習とか――か。
計算やドラゴンの教習は効率よく並列させられても、自分に閉じるダンスは、いくら並列して練習しても身に着かないのか。
身に着かないどころか、
「特に記憶の統合には問題があるようですわね。それであなたに記憶の
コイン。
2.5ダイム硬貨は、幻だった――?
僕がハマトゥの前でコインを投げるうちに、並列させた記憶が化けてしまった――?
「ど、どうして――どうしてそれを先に言わない! 悪質じゃないか!
セブンスシグマは、二人のスティグマをそれぞれ指差して叫ぶ。
「『どうして』? あなたの能力が何かは誰にもわからない。使ううちに明らかになるの。それにしても、ご自分の死体をご自分で認識されなかったなんて――」
ふふふ、とインターフェイスは笑うだけでその先を言わなかった。
「ジェイクス、ジェイクス・ジャン・バルゼンとは誰だ。なぜ僕を殺した」
「あなたのいう、ジャック――だったかしら」
「ジャック――覚えがあるような」
誰だ。
ジャック。覚えのある名だ。
そうだ。そいつは僕を撃った。でも僕は
何故かは忘れてしまった。
忘れてしまっても結果を見れば理由は明らかだ。僕は彼と国を造る未来を選んだ。
僕を自由にしてくれる奴だ。
何かに囚われ不自由だった僕を、コインにしてくれる男だ。
目的をくれれば僕はコインになれる。
僕は僕自身をコインにして、このままならない生き方を、自由に――。
「アハハッ。選べないなんて――嘘だ。僕は確かに選んだ」
「――もう、よろしいのでしょうか」
スティグマが頷く。
黒い蔦が、セブンスシグマの首を切断していた。
――ああ、床だ。足元しか見えない。
体を動かすことはできない。体はないのだから。
「――まだ聞こえているのでしょうか」
「……」
「こうなっては勇者としてはもう――案ずるな。処置はする。ホワイト・ローズよ」
誰かが歩いてきた。
見えるのは足だけだ。
「脳だけは守れ。他の器官は構わぬ。インターフェイスを共用する――困りますわ。私はあなた様だけの――短期記憶は守れるか。演算能力に支障がでては困る」
そうして、勇者・真実のセブンスシグマはその
彼の選んだ未来もまた、彼のものにはならなかった。
切り落とされ、床に落ちた首。その両目には何が見えているのか。
ただその首は少しだけ――笑っているように見えた。
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