27.4 「宇宙が壊れてしまったのですよ」

 八時になった。

 予告通り、モートガルドの軍船が動き出す。


「霧の船団を海域へ!」

「キュリオスを発進する!」


 ベリル地下研究所では量産試作型キュリオスは十機がスタンバイしていた。

 ジャックはその地下の入り江で、キュリオスに搭乗する。

 皇女の元に集ったのは在パルマのザリア亡命者、及び元クライスラーの海賊。更に近隣から集まったギルドの冒険者らだ。

 他にも冒険者はそれぞれ最寄りの沿岸の街につどい、モートガルドの上陸に備えている。


「奴らに一発も撃たすな!」


 ベリルが有効砲撃範囲の二キロに入るまで、予想される猶予はおよそ三十分。

 ジャックは私兵を貸せとシドニアに迫ったが、シドニアはその必要はないと言った。


「王としては貸したいのは山々だし、当然なんだけどもね、生憎あいにく役に立たないと思うよ」

「民王の軍があっただろ」

「そっちは上陸に備えて回してるよ。海軍はそもそも皇室指揮下にあるでしょう?」

「じゃあ陸は任せるぞ。任せていいんだな?」


 しつこいなぁ、とシドニアは笑った。


「お互い色々あったけども、今は忘れて国を守ろう。信用できないのかい」

「お前は勇者だ。勇者は国家間の問題に手を出さないだろう? お前だってそのつもりだったはずだ」

「ひたむきな皇女の姿に心を動かされたよ。勇者のことは忘れるんだ。今ばかりは勇者セブンスシグマじゃない。王シドニアとして戦う」


 ――適当なことばかり言いやがって。そんな都合のいいことができるのか?

 そうは思ったものの、ジャックは「信じるぞ」と言い置いて、庁舎を後にした。

 ――まぁ、やれることは全部やった。

 ジャックはキュリオスのハッチに身を投じる。

 狭い狭いとは聞いていたが、恐れていたよりは広い。


「いっぺん、乗ってみてえと思ってたんだよ」


 既に搭乗していた機関士らが、ジャックが背負っている狙撃銃を見て「そんなもの何に使うんだ」と笑った。

 こいつは俺の守護神だよ、と彼は気にしない。


『キュリオス・ワン、応答せよ。こちらナイト・ミステス・ワン』


 操縦席から音声通信が聞こえた。


「こちらキュリオス・ワン。エイス船長――久しぶりだな」

『ジャックの旦那。もう怪我のほうはいいんで?』

「お陰様で復帰だ。余計な借りができちまった」

『それでまた姫様に付き合って鉄火場に? まぁお互い頑張りましょうや。海上は任せてくんなせえ』

「それじゃあまた後でな。ロックンロール」

『ロックンロール』


 十機のキュリオスが、次々と潜水を開始する。


「――姫さん、あんたは無駄だったと言ったが、そいつはまだわからねえぜ」


 戦闘開始である。



***



「南の天頂をご覧になったかしら。星がないでしょう。昔はね、あったの。星がたくさん。でもね、宇宙が壊れてしまったのですよ」


 大皇女様は、さも当然のようにそう言った。

 まるで「花瓶が割れてしまったの、大事にしてたのに残念だわ、手を切らないようにね」と言うがごとくだ。


「図書館でお勉強なさったんでしょう? 昔の天球図。きれいだったわ。今の人は天文なんて興味ないじゃない。わたくしの頃はね、学問といえば天文。寝ても覚めても宇宙のことばっかりよ? 宇宙がどうやってできたんだとか、どうなっていてどう死ぬんだとか」


 残念ながらその時間オレはリストに首っ引きだった。


「もう流行らないわよね。星空も壊れちゃったし。もう誰も星なんか見上げないわ。それより物性がどうとか火薬がどうとか、電気を流すとかそんなことばかり」

「め、面目めんぼくありません――」


 ノートンが絞り出すようにびる。


「いいの、いいのよ。科学が人の役に立つくらいの時間が流れたってことなの」


 それもこの英雄たちのお陰なのだろう。

 何せ宇宙は壊れてしまったらしいのだ。

 そんな実感はない。オレはまだこうしてしぶとく生きているぞ。


「あの人は『真空崩壊』と――そんな風に言ってたかしらね。わたくしには何のことか珍紛漢紛ちんぷんかんぷんでしたけれど、ゾディとジェイソン達はそういう風に言っておりました」

「真空崩壊! そんなまさか」

「まさかでもないのよ。いつ起こってもおかしくなかったの。でもそれも今だから言えること。当時はわたくしも信じられませんでした」


 ノートンが驚いたその現象を、オレは聞いたこともない。


「エネルギーには格があるのだ。エネルギーは仕事をすると『崩壊』し、より格下のエネルギーとなる。長らく真空は、最も格下の状態と思われていた。仕事もしないしこれ以上落ちることはないと。ところが仮にそれ以下の格があるとするとどうなるか」


 ノートンが説明らしきことをしているが、オレには何のことかさっぱり判らない。

 大皇女様は「そうそう」と嬉しそうにしている。


「崩壊というより『降格』、と言っていましたかねぇ。あの人たちは。例えばね、いい?」


 ここにティーバッグがあるでしょう? と言って大皇女様は紅茶を出すのに使うティーバッグを取り上げた。


「この布袋には刻んだ紅茶の茶葉が入っていて、お湯をお茶に変える力があるの。素晴らしいでしょう?」


 お湯の入ったカップに入れると、見る見る茶が広がって行く。


「こちらは出涸らしのバッグ。これを沈めたら、紅茶はお湯に戻るかしら? 戻らないわよね。当たり前に思うかも知れないけれど、ティーバッグはお湯に紅茶を出すという仕事をして『降格』したの」

「な――なるほど。でもそんなこと考えたことないし、なんだか当たり前のことのような――」

「ノヴェル君の言うのも尤もだ。同じことがエネルギー、例えば熱量についても言える。少し意外な話をしようか。そのカップのお茶は、今は温かいが熱はどんどん逃げて冷めていくね」


 ノートンの話に、大皇女様は「困るわ」と笑う。


「熱が移動したからだ。今仮にこのテーブルから熱は一切逃げないとしよう。カップから逃げた熱を全部捕まえて集めたら、このお湯の温度を戻すことができると思うかい?」

「外には逃げないんだな? じゃあ戻せると思うね。大体そういうやつにはなんたら保存則があるんだろ?」

「そう、エネルギー保存則だ。だが正解は戻せない・・・・。不可逆過程といってね、エネルギーが閉じた系に保存されているとしても、散らばったエネルギーを全て戻して仕事をさせることはできないのだ。理由は判らないが、ある学者はこれを『降格』だという」


 判ったような判らないような、不思議な気持ちになった。


「つまりなんだ、さっきの紅茶の例もそうだけど、一度バラバラになってしまったものは元の仕事をしない。それが『降格』ってことか?」

「まあまあ冴えてるじゃないか。すごく雑に例えるとそういうことだ。このことは我々には熱いとか冷たいとしか感じられないことでも、エネルギーとはもっと多次元の情報量を持っていることを示唆しさしている」


 なるほど、「判らない」ということが段々判ってきたぞ。


かたよりがあって初めてエネルギーに仕事をさせることができる。偏りがないことは存在しないのと同じ。そして同じことは、他の色々なことにも言える」

「こういう話をしていると昔を思い出すわねぇ。みんなどこへ行ってしまったのかしら。熱も音もそこにとどめておくことはできないの。エネルギーはどこへも行っていないはずなのに拡散して、確かに消えてしまったように思える。これがね、『降格』。すると一番格が低いのってどういうことかしら」

「何も――使えるエネルギーが一切存在しない状態? つまり完全に偏りがない状態?」

「そうだ。それが真空だ。宇宙の大部分たる真空がこれ以上降格しない安定状態だと思われていた。だが――そうじゃなかった」

「昇格することもある?」


 そうではない、とノートンが言い、大皇女様も「いいえ」となぜか酷く残念そうに言った。


「今のところ、そうではないの。『降格』したエネルギーは戻らない。『熱力学第二法則ザ・セカンド・ロウ』よ」


 私たちの魔力が、それを越えられると考えた人もいたわ――と彼女は遠い目をし、テーブルに座った美女、フィレム神とうなずきあった。

 いったい何があったのか。


「とにかくノートンさんのいう真空っていうのはね、宇宙のあちこちにあって、宇宙は安定していると思われてたの。それが間違いだと判った。あの人たちのいうところの、本当の真空――ヴォイドというあるらしいのよ」

「それって――どういう意味なんです? 知らないエネルギーが存在していた?」


 そうだったらよかったんだけど、と大皇女様は口ごもる。

 話がコズミックになってノートンはウキウキしているがオレにはさっぱりだ。

 ミラは興味なさそうにしているのかいないのかわからない。

 この話の着地点はどこだ。ノートンには要らなくとも、オレには着地点が必要だ。


「わからないでしょう? そもそも使えるエネルギーが無い状態が真空なの。これは間違ってない。でもまだ降格できる。これはね、真空が仕事ができる状態――私たちの魔力と同じで、いつ爆発するか知れない危険物だっていうことがわかったの」

「さすがです大皇女様。付け加えるなら、つまりヴォイドに仕事をさせられるということは、無限にエネルギーを取り出せる、超A級の危険物だということだ。先日ロ・アラモ鉱山で爆発した核力など問題にならない」


 あれは核力というのか、とオレは思った。

 つまり何か。

 オレ達が安全だと思っていた宇宙が、実はあの黄色いケーキをしのぐ危険物に乗ったイチゴだったと、そういうことなのか。


「何が起こると思います? 真空は、無限に落ちてゆく。まるで海の底に穴が開いたようね。連鎖的に宇宙は崩壊し、ヴォイドに飲み込まれてゆくのです。それが真空崩壊」


 大皇女は南の天空を指差した。


「それが起きた。二百年前のことです。いいえ、もっと何千年も前から宇宙は壊れてきた。星がないのは、あの向こうに宇宙がないから。それがこの星に及ぶとなったのが二百年前のことね」

「そんなの――」


 そんなの絶望的じゃないか。

 宇宙が壊れる。気付いたときにはもう壊れている。

 どうしようもない。


「『どうやって止めたのか』でしょう? わかっています。でもね、わたくしにはそれを説明することができない。いいえ、はっきりと判らないというべきかしら。あの人たちが何をしたのかは知っています。一緒にしたもの。でもそれのどれが効いたのか、正確には判らないし、調べる方法もないのです。だから、わたくしにお話しできることはそれでおしまい。今のところはね」

「そんな――! 推測でもいいんです! ゾディ爺さんたちは、一体何をしたんです! なぜ勇者に狙われたんです! あの黒い力は何です!」


 あらあら、と大皇女様は言った。


「見てしまったのね。あれを。なら黙っておくのはかえって毒かしら? どう?」


 彼女は墓の方に、そしてフィレム神の方を向いてたずねた。

 墓は勿論、フィレム神は何も答えない。ただ美しい横顔を向け、紅茶に口をつけるだけだった。


「そう、ね。どっち道、それはわたくしの領分ではないわね。それは別の人に聞いて頂戴」

「そんな、だって――チャンバーレインの同意もあります! ほら! 証書を見せたでしょう!? 大皇女様が最後の生き残りだと!」

「たしかにわたくしが最後の生き残り。今のところはね・・・・・・・


 ――今のところは。

 どういうことだ。


「間もなくゾディが――あなたの大賢者のお爺さんが、復活するとしたらどうでしょう? 彼に直接、聞いてみればどうかしら。彼が起きる前に私がペラペラ喋ってしまったら、わたし、彼に怒られてしまうわ。『全然違うわバカタレめ!』って」


 いやだから、どういうことだ。

 全然追い付けない。宇宙が壊れて? どうにかした? どうにかした張本人が復活するからちょっと待ってって?

 あたまがどうにかしそうだ。


「ちかのしょこのほうがましだ」

「? はい、復活は地下の泉でやっています。長かったわ。魔力もすっごい使ったし、死んじゃうかと思った」


 出たよ、不老不死ジョークだ。ついていけない。

 アリシア――、とフィレム神が横から口を挟んだ。


「復活ではないのです。転生です。受肉は不可能。我らと同じ神として、概念が格を得るだけのことです。何度も言いますがそのところは、お間違えなきよう」


 どっちでもいい。

 爺さんが――爺さんとまた話ができるなら。


「爺さんと話せる」


 ニコニコと大皇女様は微笑んだ。


「はい。もう間もなく」

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