第六章: 真実と虚像のリインカーネーション

Ep.26: バラしたパズルをまとめるところからはじめましょう

26.1 「我々はいつ、彼の聖地を我らのものとできるのだ」

 ベリル発の列車が走る。

 山肌に沿ったレールの上を。

 アースマル山脈を越え、トンネルを抜け、緩やかにカーブする長い下りを経てグラスゴを通る。

 全線再開から四日。それまでは一日に一本だけ下り列車が走り、一般乗客の乗車は制限されていた。

 鉄道史に残る大事故だった。運輸局長官ハムバッカは市民に「沿線の落石により、上り線路が不通となったため」と説明した。

 彼は新任で、事故の犠牲者のための処理に取り組んでいた。

 ハムバッカ自身、南方路線で何が起きたのかは知らなかった。生存者らは勇者・潰滅かいめつのイグズスが犯人と話したが、原因究明にける余力までは持たなかったのである。

 その列車はその日最後の列車であった。乗客は数えるほどだ。

 やがて列車はウェガリア市街に着いた。

 陽はとっくに落ちている。

 ウェガリア駅にその男は降りた。

 長い鎖を垂らしながら、列車を出てホームに立つ。

 ウェガリアは雨だった。


「お待ちしておりました」


 出迎える男――彼は片膝をつき、首の後ろを晒す最敬礼。


「……」


 男は無表情のまま視線を逸らす。

 背後から列車から飛び出てきたのは、暗い紫のドレスの少女。ハードドレープ仕上げが跳ね上がった、派手なシルエットであった。この季節には不似合いな恰好に見えた。

 列車から降りた乗客は何事かと一瞬身構えるが――数瞬後には自分の見たものから興味を失い、記憶の摩耗まもうが始まる。

 やがて倒れた野犬を見たような気持ちになって足早に通り過ぎるのみだ。


放蕩ほうとうのファンゲリヲン。息災そくさいか。顔を上げよ」


 答えたのは少女――インターフェイスだ。

 ははっ、と勇者・放蕩のファンゲリヲンは顔を上げた。

 顔の上半分を隠す派手な仮面を着けている。

 この男にはこれが正装であった。


「お陰様で。御足労いたみ入ります。場所をご用意しております。こちらへ」

い。陸路は好きだ。歩きながら話せ」


 駅を出ると夜の街はしとどの雨だ。

 ファンゲリヲンは傘を二本しか持っていない。

 スティグマはその一本を受け取ると、広げてインターフェイスを下に招き入れた。


「失礼ながら――何もご自身がパルマからおいでになるとは露も思わず」

「何。昔を思い出す。方々で色々と手を回すことがあってな」


 スティグマは自身で発言しない。

 代わって発言を行うのはお付きの少女、インターフェイスである。


「すると愈々いよいよ――計画の発動ですか」

「そうだ。多くの勇者を失ってしまったが、計画を進める大きな収穫があった」


 収穫――とファンゲリヲンは聞き返す。

 インターフェイスはハッとして、それまでの歳にそぐわない話しぶりから打って変わって表情を改め、自分の発言に物言いをつける。


「――失礼ながら、あの男を信用するのはまだ尚早しょうそうと存じます。あの男はあなた様のご厚意を――」

「インターフェイス。それは君の意見か。上様は君に意見を求めていないのではないか」


 ファンゲリヲンは仮面の下の目をぎょろりといて少女をにらんだ。

 インターフェイスは少し沈黙すると再びスティグマの口となった。


「――思わぬ収穫であった。インターフェイスの申す通り、まだ信用はできぬがな」

「損害について――イグズスにつけていた干し首は消失したようです。イグズスも死んだものと思われます。ロ・アラモの犠牲は最小限。死者はゼロです。死んだ者はイグズスのみ。かつてない大敗退でありました。他方、列車の乗客は二両合わせて死者二百八十二名であったことをご報告致します」

「目撃者は」

「乗客に記者がおりましたが、写真機を所持してはいなかったようです」


 そうか、とインターフェイスは言った。


「――写真機は苦手でな」


 写真。写真だけは避けなければならない。

 鉄道や、観光地化した庁舎で空中を歩くところを見られるのは少なくないそのリスクがある。


「して、あの者達であるが」

「チャンバーレインに接触されました。現在は――ロ・アラモの聖地におります。パルマの御所にございます」

「手出しができぬな。古狸め。チャンバーレインはどうしている」

「始末するべく居所を探しておりましたが――天に昇ったか地に潜ったか、ようとして行方が知れず――」


 ファンゲリヲンは仮面の隙間から額の汗をぬぐう。

 寒いのに、傘の下の彼は冷や汗でびっしょりであった。

 彼らは裏路地に入り、雨だれの激しい軒下のきしたを通り抜けて古びたレストランの前に来た。

 看板は取り外されており、長らく営業していないようである。

 時間も遅く、周辺に人気はない。

 入り口には看板の代わりに小さな古代北ブリタ十字が掛けられている。

 しっかりした十字と円を重ね合わせ、周囲に茨の装飾を施したサインだ。


「ですがご安心を。あの者達には見張りを付けてございます」


 ファンゲリヲンは扉を開けた。

 古いレストランには弱弱しいランプの明かりが灯っており、そこには――。

 大柄の、鎧の男がいた。


「遅かったではないか、ファンゲリヲン」

「――メイヘム!? どうしてここにいるのだ!! あの者達の見張りはどうした!!」


 チッと、メイヘムは眉根を寄せ、不快そうにした。


「雨だろ。大将を入れろ。話はそれからだ」



***



 見張りなど頼まれておらぬわ、と茶を出しながらメイヘムは言った。

 メイヘムの出す茶は不味い。

 ファンゲリヲンだけがそれに口を付け「まずい」と言った。


おれは大将に頼まれて、ロ・アラモを探っていただけだ」


 海中へ没したメイヘムはスティグマによって救助されていた。

 スティグマはその場をオーシュに託し、メイヘムをロ・アラモへと連れて行った。

 目的は――対勇者の秘密兵器の奪取だ。

 だが、研究所は鉱山の地下深くに隠されていた。


「ウェガリア人め。意外に丹念に隠されておってな。そのうちにベリルから来たパルマの官僚という男が現れて――」


 ノートンというその男はくまで御所での調査と言っていたが、メイヘムは警戒した。

 男は通信交換局なる怪しい設備をこしらえていたからだ。


「中々に面白い技術であったぞ。己は秘密兵器なぞより余程そいつが気になってな。武将としての勘が言っておる。あれは戦場を変える技術だ」


 しかし、逐一ちくいち連絡を取られてはメイヘムにとって不都合だった。

 こちらが勇者だと気付く様子はなかったが――念のためメイヘムは通信設備を破壊した。

 そうして自分は鉱山内部の調査を進めていたわけだ。

 地図を提供したのも、もうイグズスは長くないと見切ったからだ。

 ノートン側についていたほうが今後の調査に役立つと判断した。

 イグズスを封印して死ぬのを待ち、その後調査を再開するつもりでいたのだが――予想に反して先に兵器が使用された。

 そうしてメイヘムは、再度作戦を変えてその場を離れることにしたのだ。


「それにしても大賢者の孫を放置するなど……。奴は我々の仲間をもう二人、否、ことによれば四人殺しているのだぞ。その中にはあのソウィユノも含まれる」

「ソウィユノは列車におりましたわ」


 不意にインターフェイスが口を挟んだ。

 ファンゲリヲンとメイヘムが一斉にそちらを見る。

 次いでメイヘムがファンゲリヲンに「本当か?」と問うた。


「知らん。拙僧せっそうは見てはおらん。列車に送り込んだ干し首もだ」

「ならば――大将か?」

「そうです。イグズスを連れて列車の上空に差し掛かったとき、目には見えねどソウィユノらしき魔力を見た・・と――あのお方がおおせです」


 大将――つまりスティグマは同席しているのに、まるでそこにいないかのような口ぶりでインターフェイスはそう告げる。

 ファンゲリヲンはまた不味そうに茶をすすって愚痴をこぼした。


「ソウィユノの茶が懐かしいよ」

「まぁ、己も貴様らにはくたばったと思われてたくらいだ。ソウィユノが生きていても不思議はないが、今ここに居ぬ以上はどうにもなるまい」

「どうにもなるまい、ではない。拙僧はあの大賢者の孫たちをどうするかという話をしているのだぞ。メイヘム、尊公そんこうはどうして持ち場を離れた」

「見張りなど頼まれておらぬと言ったであろう。奴らは聖地で何かを調べておるよ。下手な手出しはできぬ」

「メイヘム――何か隠しているな」


 ファンゲリヲンがそう凄むと、メイヘムはガチャリと鎧を鳴らして肩をすくめた。


「兵器に恐れをなしたか――否、まさかな。尊公、国へ帰ろうとしているな」


 メイヘムは何も答えない。


「国が恋しいか? 皇帝よ」

「――恋しくなどない。だが随分といとまが過ぎた。荒んでおるのであろう?」

「メイヘム! 状況をわきまえよ!」

「己の軍団が必要だ。首都の皇女を殺し、あの忌まわしい御所から奴を引きりだす。大賢者亡き今、それしかない」

「軍団なら私が手配する! それでよかろう!」

「ならぬ」


 ならぬ――とインターフェイスの口から出た。

 それはたった一言であったが、紛れもなくスティグマの言葉であった。


「ならぬ、とはつまり――」

「あのお方は反対よ。もう残された猶予ゆうよは少ない。これ以上みだりに、力の行使をあのお方は良しとされないわ」

「それは尊公の見解か、インターフェイスよ」

「いいえ。あのお方のご宣託です。つまり少なくとも無欲のソウィユノ程度の計画性をご所望よ。戴冠たいかんのメイヘムの言葉通り、無欲のソウィユノはここにいない。どなた様が、彼の代わりをしてくれるのかしら?」


 一同は沈黙した。


「貴様は知らぬだろうが、これは約束なのだ。己が国を継ぐ代わりに、勇者はそれを陰に支える。その己が民を、軍を動かすと言っている。頼まれてくれ、ファンゲリヲン」


 その約束を知る者も、今やメイヘムとスティグマだけだ。


「だがな。尊公がそうして煮え切らぬ態度をしている間に、エストーアの聖地はどうなっている? 我々はいつ、彼の聖地を我らのものとできるのだ」


 エストーア中立国。

 それはモートガルド南部の沿岸にある超小国で、小さな街ほどの大きさしかない。

 山岳にある小さな国で、僅かな神官のみが住まう聖域だ。

 世界の知識と信仰の中心。

 そしてそこは、二百年前の事件で生まれた、世界最高の聖地のひとつである。

 モートガルドはその聖地を手に入れるために南進を続けているのだ。

 ロ・アラモ山、エストーア、フィレムの森、ブリタのロックガーデン。

 この四つが現在も生きている聖地だ。


「判っておる。放蕩の者よ。よいか、己には軍団が必要だ。そのための力を貸してくれ。暗黒の力は使うな」


 ファンゲリヲンは茶を一口啜った。


「――つくづく、ソウィユノの茶が懐かしいよ」

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