Ep.12: 皇女のスパイとささやかな船団

12.1 「その話、今するの」

 数度目の金属音のあと。

 暗闇は蹴破られ、眼を焼くような陽光に、オレは目を塞いだ。

 きつく眼をつむっても眩しい。両手で顔を覆っても――まだ眩しかった。

 斜めになったコンテナを這い上って出ると、そこは海だ。

 どれくらい長い間漂っていたのか。

 海流によってはもう沖合百キロなんてものでは済まないのかも知れない。

 ノートンは太陽に向けて自分の指を左右交互に並べ、「日没まで二時間。午後四時くらいだ」と言った。

 大人が腕を伸ばしたところで、指一本分の太さが概ね一時間であるらしい。

 そうすると六時間は漂流していたのか。

 それとも三十時間だろうか。


「何日経ったかは判らないが……まぁ、このコンテナで二日は、それはそれで命に関わるから、せいぜい一日でしょう」


 周りを見ると沢山のコンテナや木箱、ひっくり返った救命艇が浮かんでいた。

 そうした瓦礫の上には、ぐったりと背中を寄せ合う生存者がいた。


「ノートンさん、結構生き残りがいる!」

「四十五、四十六……四十九。我々を含めて四十九人いるな」


 見たところ海賊が三十名以上、残りが海軍水兵のようだ。

 まぁ皆この暑さで下着シャツ一枚になっているから判らないが。

 髪がこざっぱりしてるとか、髭が海賊っぽいとか、日焼けしすぎてるとかそういう基準でいうと、だ。


「南西……いやもう南東か。そっちへ行けばジャックの言っていた火山島に着くかな」

「難しいね。大平海北還流に乗ってしまっている。この潮に乗って三十時間だとすれば、もう沖に百キロどころか五百キロ近い。正確な現在地がわからなければ自殺行為です」


 それもそうかと考え直す。

 とはいえこのままではまたいつ勇者が戻ってくるかわかったものじゃない。


「まずコンテナを乗り換えましょう。こいつはもう限界です」


 あれがいい、とノートンが近くのコンテナを指差し、水に入った。

 ミラはまだ意識がなく、コンテナの底で眠っている。

 ジャックは。


「――ジャックは!?」


 ノートンは答えずに泳いでゆく。

 そのまま水平に浮かんだ空のコンテナに乗ると、「今そっちへ行きます」と両手から水魔術を使ってコンテナを動かし始めた。

 ――だがどうも意外に不器用なのか。

 急発進したと思ったら、左右の出力がばらばらで回転を始め、却って遠ざかるばかりで近寄ってこない。


「ノートンさん! もういいから! 逆に離れていってる!」

「……済まないがミラ君と荷物を持ってこちらへ!」


 水と食料か? と聞き返そうとすると、ノートンは唇に指を当てて制した。

 他の連中にはバレないようにしろということか。

 オレはコンテナに降りて荷物を持ち、ミラを担いだ。

 脱水しているのか、酷く軽い。

 オレは医者じゃないし、サバイバル経験もないが、このままでは長くもたないかも知れないと感じた。

 コンテナを上り、手近な瓦礫をバチャバチャ引き寄せるとそれにミラを乗せ、オレも掴まる。

 実際に泳ぎ出して見ると浮力は充分だが、服が重く感じる。

 波が穏やかだ。


「済まないね。電気魔術を長くやっていると、左右で同じことをするのが苦手になってくる」


 泳ぎながら、聞いてみる。


「ノートンさん、さっき言ってた……エヴァ―シー号の悲劇ってのは何だ」

「十二年ほど前、この南の海域で沈没した船があった」

「全員死んだ?」

「乗員乗客百七十名、全員脱出した。海も温かく、救助を待っていたが」

「よかっ……たじゃないか?」

「人喰い鮫の多い海域だった。朝までに、全員食われた」

「……その話……今するの」

「君が訊いたんじゃないか」


 差し出された手に掴まって、オレはコンテナに上がる。

 ミラを引き上げる。


「……さて、ここからどうするか。幸い天気だけは馬鹿に良いから、大まかな方角だけはわかる。コンテナに電流を流して磁界を作れば、正確な方角もわかるだろう」

「方角だけわかってもなぁ。空でも飛べればな」


 スティグマはもういなかった。

 全員殺したと思ったのか。それとも八割くらいは死んだと踏んだのか。

「どう思う?」と、訊こうと思ったことをノートンに先に訊かれた。

 オレは首を振った。


「考えることが多すぎて。スティグマはどこへ行った? ジャックは? オーシュは?」


 コンテナの中でも、かなりたくさんのことを話した。

 本物のオーシュが海賊の中に潜んでいて、スパイをしていたミラが逆に罠にハマったこと。

 その罠で、逆にオレ達の素性がバレたこと。

 分析しないとわからないというが、あの長さのクジラの歌では、情報理論からして名前のような情報を伝えることはできないだろうというのがノートンの見解だった。

 スティグマは詳細を調べに来たのではないか、とも。

 そして、取るに足らない相手と見て、海上に置き去りにした――のならよいのだけど。

 空を見渡してノートンも同意する。


「事実としてスティグマはいないからね。そう考えるのが良いのじゃないか?」

「ジャックは……」

「ジャック君は簡単に死ぬようなタマじゃないよ。我々が生きてるくらいだ」


 ジャックは死なないという意味じゃない。オレ達より早くには死なないという言葉には、妙な説得力があった。

 それにしてもよくあの大惨事を乗り切ったものだ。

 せっかく拾った命だが、ここで亡羊ぼうようとしていれば死ぬ。勇者など来なくとも、お天気次第で全員死ぬ。


「救助、来るのかな」

「我々だけならともかく皇帝を探しに来るはずさ。ただ潮の方角が西南西にだいぶ早いのが問題だ。サン=オルギヌアからは遠ざかってゆくし、他の生存者もバラバラになってゆく」


 地理は比較的得意だったから、大平海北還流のことは知っている。


「ってことはこれに乗ってればそのうちポート・フィレムに凱旋だ」


 ノートンは力なく笑った。


「我々は何とかなるとしても……ミラ君だ。水だけはなんとか口に入れるとしても、食事もれず、体力の消耗が著しい。この陽気では、それほど時間はないだろう」

「水、飲みますかね」

「こういうときは口の中を潤す程度でも延命になるものさ。……おい、あれを!」


 急にノートンが立ち上がった。


「コンテナがある」


 指差したかなり離れた海上にも、波間にコンテナや残骸が漂う場所が見えてきた。

 ジャックはあそこかも知れない。

 あれだけ広範囲に散らばってしまっているなら、生きていても救助が来るまでは探しようがない。

 だが、もし合流できればこれほど心強いこともない。


「おーい! おーい!」

「止すんだ。体力の無駄だ。ナイフを」


 オレがナイフを渡すと、ノートンは陽光をそちらのほうへ向けて反射させ、合図を送る。


「……ダメか。気付かないか。それとも誰もいないのか」

「誰か、水魔術の使い手を探そう」

「無理だと思うが……一応つのってみようかね」


 オレはコンテナに立ち上がり、付近の生き残りに対して呼び掛けた。


「誰か! オレ達はあの瓦礫まで、生存者を探しに行きます! 水魔術が使える人はいますか!」


 返事はない。

 水兵ばかりなのに、そんなことはないだろうが。

 やがて、海賊の一人が声を上げた。


「無駄だと思うぜ?」

「行ってみなきゃわからないだろ!」


 根拠に乏しい反論をした。だってそうとしか言えない。

 遠巻きながら、ため息をつく様子が見えた。

 周囲と何か話をしている。


「クライスラー船のデルタだ! 付き合ってやる! その代わり食料・水を見つけたらこいつらのぶんも山分けだぜ!」

「恩に着る!」


 クライスラーの水兵九人が、自分達の乗ったコンテナをこちらへ寄せて来る。

 さすがに上手い。

 海軍水兵四人の乗ったコンテナを避け、そのままこちらへ来る。

 あともう少しというそのとき――。

 彼らの背後、通り過ぎたばかりのコンテナのところで、水飛沫が上がった。

 それと共に凄まじい回転を伴い、コンテナは空中に飛び上がっている。

 轟音。

 上に乗っていた四名の生存者が高々と放り上げられる。


「なんだ!?」


 水飛沫の中から同時に飛び上がったのは、ひとつの黒い影――。

 流線形のフォルム。

 尖った鼻先。

 鋭い背ビレ。大きな胸ビレ。そして二つに割れた尾ビレ。

 獲物を捕らえんと開かれた、巨大な口。


「鮫か!?」


 水飛沫を少し浴び、デルタは大声をあげた。

 空中で、生存者の一人がその口に咥えられ、そのまま再び飛沫を上げて海に没する。

 生存者らは落水し、軽々と舞い上がったコンテナも再び着水する。

 彼らは皆、咥えられて海に消えた仲間の跡を見守っていた。

 そこに、赤黒く夥しい血が、立ち上る煙のように広がり始めた。

 その血が――こちらへ移動してくる。


「逃げろ!!」


 誰からとも知れない絶叫を皮切りに、海に落ちた三人は泳ぎ始めた。

 その後ろの海面に、黒い背ビレが鋭く立ち上がる。


「鮫だ!」

「上がってこい!」


 周辺にいた者達が瓦礫の上から手を差し伸べる。

 海水を鋭い槍に変えて、背ビレへ向けて放つ。

 光球が火球となって、背ビレを襲う。

 いずれも命中したはずだが……背ビレの勢いは、生存者の一人を狙いすましたまま衰えない。

 それどころか、背ビレはどんどんと大きくなる。


「誰か! 助けッ」


 下着シャツ一枚で水飛沫を上げて叫んでいた男は、言葉の途中で水面に引き込まれる。

 血煙と共に浮かんできたのは、先に噛み付かれた別の男だった。

 殆ど間隙なく、再び背ビレが海上に現れる。


「ノートンさん、あれは……」

「ああ……どう見ても鮫だが……しかし……」


 背ビレと背中が、泳ぎながら徐々に海上に現れてくる。

 海に落ちた生存者は残る二人。

 その片方を目指し、背ビレは速度を上げてゆく。

 まだまだ背中は大きくなり、見えてきたその鮫の頭には眼がない。

 漆黒にして巨大。

 その大きすぎる口からは、下着シャツの男の上半身がはみ出している。


「助ッ……たすけッ」


 下半身を飲み込まれつつ、男はまだ生きている。

 波に突っ込み、現れる度に必死で助けを請うが――。

 鮫から生えた二本の白い腕が、その男の上半身を掴み出し、ぐいぐいと口の中に詰め込んでゆく。

 鮫じゃない。鮫に腕はないはずだ。


「オーシュだ!」


 オレは見た。

 あの腕は、ミラと一緒に居た本物のオーシュの腕だ。

 うわああああっ、と絶叫し、残る生存者一人が両手から水魔術を噴出し、後ろ向きに泳ぎ始めた。

 水魔術を推進力として泳ごうとするなら、ああして進行側背を向けて進むしかないのだろう。人間の骨格は、掌を背中側に向けたまま安定させるようにはできていないからだ。

 だが――オレは息を呑んだ。

 水中を爆走する男の先には、別の生存者らを乗せたコンテナがあるのだ。


「来るな! こっちへ来るな!」


 男は、必死の最高速度でそのコンテナに背中から突っ込む。

 変形するほどの衝撃を受けてその鉄の箱は回転し、生存者らを振り落とす。

 オーシュは、ターゲットの男の首を横から食い切ると、即座に反転して今落ちたばかりの者達のところへ向かっていった。


「全員逃げろ! この海域から離れろ!」


 海賊らはオレ達のコンテナに飛び乗り、即座に水魔術を使って推し始める。

 他の四つのコンテナもそれぞれバラバラに逃げようと動き出すが、余りにも息が揃わない。

 複数名が同時に魔術を放って回転したり、急激に動いたために振り落とされたり。

 パニックだ。

 オーシュは飛び上がった。

 プォォッ――プォォォォッ。

 空中で数度、潮を噴く。

 勇者・高潔のオーシュ。

 その音は名乗りのようにも、歓喜のようにも響いた。



***



 図書室は不気味に揺れていた。


「――何が起きてんだ」

「どうやら、自身に動揺があるようだ」


 それって、とミラが言う。


「何かを攻撃しているが、どうも意識的ではない。衝動的、本能的と言ってもよいだろう」

「奴はもう覚醒したんじゃないのか」

「覚醒したさ。かつての私が仕込んだ、勇者としての責務を果たそうとしているが――」


 二三度、大きな衝撃があり、ミラはその場に膝を付いた。

 ミランダは頭を抱えて座り込み、天井の隅から隅まで上目遣いに視線を走らせている。

 ソウィユノはその横でミランダの肩を抱き、心配そうに天井を見た。


「――そうか。彼は人を殺すのが初めてなのだな」

「またそれだ。人を殺すのが勇者の責務だってのか」

「本質ではないが、ある面では、そうだ」


 ふざけるなよクソ野郎、とミラはソウィユノを睨みつける。


「ある面では、というだけだ。決してそれが目的なわけではない」

「神様気取りで間引きでもしてるのか」

「そうではない。そんな単純な話ではない。もしそうなら、数年に一度あのお方がお力を振るえば済む」

「なら何が目的だ」

「未来の私にも訊いたのだろう? 私はなんと答えた」

「モゴモゴとキメェことを言ってたが、要約すると『知らん』ってな」

「その通り。それは嘘でも誤魔化しでもなく、私たちは知らない。聞いても理解はできない。だから尋ねることもない。全ては、あのお方――」


 あのお方の計画に基づくのだ、とソウィユノは言った。


『あのお方こそが勇者だよ』


 少し前、ミランダの家が破滅する切っ掛けになったあの事件の裏に、スティグマの影があった可能性に思い至った。

 スティグマがそれほど強いなら、七人の勇者を指揮したりそのような手管を弄する意味などないのだ。

 人を大量に殺すという目的においては、だ。

 スティグマの目的は、他にあるのだ。

 全く異なる目的が。

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