第三章: 人と人の生き意地は地獄の鮫が好む味

Ep.11: 夜空で最も暗い星

11.1 「サーチライトを!」

 ここはモートガルド大陸西の沿岸から百十五キロの外洋上。

 見渡す限りに陸地などない。

 しかし真っ青な大洋上に、黒体の星があった。黒体とは、全く光を反射しない理論上の物体だ。

 超巨大暗黒天体スーパーマッシヴブラックホール

 ノートンは、スティグマの掌から生まれたそれを、ブラックホールと呼んでいた。

 銀河の中心で、あらゆる物質を破壊して光さえ逃がさないその天体にくらべれば、それはまだミニチュアサイズなのだろう。

 ホールというからには穴なのかも知れないが、それは球体だ。

 海賊船の長さを八十メートルとすると、おそらくその丸い黒体の直径は今や四百メートル以上。

 それはもはや空を覆わんとしていた。空に浮かぶそれは陸上建造物としても類例を見ないほどの大きさに感じられる。

 スティグマはその真下の空中にいた。

 総攻撃にも傷一つつかないスティグマは、散らかった海上を一掃するべく空にその謎の黒体を生み出したのだった。

 破壊力は未知数。

 それが発動した場合の被害は、ノートンにも予想がつかなかった。

 スティグマの目的は明らかに殲滅だ。

 勇者の犠牲者が二割のルールも、この場合は期待できないだろうというのがジャックの見解である。

 ここには、最前まで六隻の船があった。

 ディオニス三世の大型軍用船に押され、軍用船が海賊船に横向きで追突する大事故のせいで、一時どこからどこまで一隻の船かわからなくなりはしたが、今は突如現れた勇者の指導者・スティグマの攻撃を受けてバラバラになっている。

 二隻が沈められ、残る四隻。

 海賊船が左右の二隻と、軍用船が二隻。

 船は未だ惰性と潮流で航海を続けていた。

 パニックはそこら中で起きており、救命艇で脱出する者、海上を漂う者、船に留まる者――悪あがきをする者。

 ディオニスの大型軍用船に取り残されたジャックとノートンは、何とか生存の道を探して最後の悪あがきをしていた。


「水を! 誰か水魔術で、あのブラックホールを撃て!」


 ジャックの呼びかけを、ノートンがザリア語に通訳して呼び掛ける。

 殆どの水兵は無視して十メートル下の海面へと飛び込んで行ったが、数名の助力をとりつけた。


「海賊にも呼び掛けてくれ!」


 海賊達は長い航海を終えて入港を待っていたところ、ディオニスとオーシュの戦闘に巻き込まれ、無茶な逃走劇を演じた。殆ど魔力は残っていない。

 それでもこちらの意図を汲んだのか、見よう見まねであろうが――海賊船の主甲板からも、放水が行われ始めた。

 攻撃魔術らしい勢いはない。だが水量がある。


「……効いてるぞ! 信じられん!」


 確かに、ブラックホールの成長は止まった――かに見えた。

 元が巨大であるから、見た目には誤差だ。

 それでも体がやや持ち上げられるような浮遊感が薄れている。

 一時、一面の海上から船の瓦礫をも吸い上げていたその重力が衰えている。

 空中に浮かびあがり、母なる惑星との間で均衡を保っていた瓦礫が着水する。

 縮んでいるのだ。


「……だがここは海上だ。どの道、上限は知れていたのかも知れない」

「というと?」

「もう少し成長したら、海の水を吸い上げることになる。そうなれば成長は止まったはずだ」

「誤差ってことか。畜生」


 そこへ、聞き慣れた声がした。


「――ジャック! ノートンさん!」


 海上からだ。

 船の縁から下を見ると海賊を満載した救命艇に、脱出したノヴェルとミラがいた。

 ミラのほうは眠っているのか傷ついているのか、力なく横たわったまま動きがない。


「馬鹿! こっちに来るな! 海域を脱出しろ!」


 ジャックはそう言ったが、聞こえているのかいないのか、ノヴェルは身振り手振りで何かを訴えている。

 縄梯子を下せということのようだが、下したはずの縄梯子は、今や黒体の引力に引き寄せられて空中に持ち上がっていた。

 ――見上げればいやでも異常事態に気付く。それでも船に来ようとしているのだ。


「あの馬鹿野郎……人の話なんか聞きやしねえ」


 ジャックは浮かび上がった縄梯子を掴み、下にならしながら降りてゆく。

 水面近くまでゆくとノヴェルはミラを抱え、四苦八苦しながら縄梯子を上り始めた。

 ジャックがノヴェルの右腕を掴み、二人三脚のように梯子を上がる。

 ようやく上がってきたノヴェルとジャックは、甲板にまで上がるとミラを下した。


「官僚さん、この仲間の意識が戻らない」

「どうして逃げなかった! ここにいればあれの餌食だぞ! ……もっとも、多少逃げてどうなるとも言えないが」

「海上も危ないんだ。見てくれ」


 ノヴェルが指さした海面上には、手近な救命艇まで泳いでいる海賊がいた。

 その海賊が、ふと海中に引きずり込まれ、浮かんでこない。


「……!?」


 救命艇は海賊を助けに戻ったが、海から細い手が伸びて艇上の乗組員を引きずり落とそうとする。

 乗組員は必死で救命艇にしがみつく。

 波を被り、しぶきが空へ上がる中――十名を乗せた救命艇もろともひっくり返った。


「今のは何だ……。海中に何かがいるぞ」

「ホンモノのオーシュだ。海賊の中に紛れ込んでいたんだ。昨日のあれは、偽物だったんだ」

「そんな気はしてたんだよなぁ。大体、靴履いてるのが妙だった。魔術はそこそこだったが、勇者にしては戦い慣れていなくて、皇帝に手も足も出なかった。おっと、足は跳び出てたな」


 やめてくれ、とノートンが気分悪そうに言った。

 投げ出された十名の乗組員は、次々に襲われて海中に沈んでゆく。


「……まるでエヴァ―シー号の乗員たちのようだ」

「なんだそれは」

「知らないか。まぁそれはいいでしょう。今重要なのは、我々は海にも逃げ場を失ったということだ」


 それであれは? とノヴェルが空中の丸い黒体を指差す。


「勇者たちの指導者だ。仮称だが、スティグマと呼ぶことにしている。それがブラックホールを作っている」

「ゴアの言ってた、名前がねえというのも強ち嘘じゃないのかもな。あれは人間じゃねえ」

「冷却を試みている。効果はありそうだが――これ以上小さくできなければ」


 ノートンがそう話す間にも、ようやく一回り小さくなったブラックホールは、また少しだけ大きくなった。


「くそっ。冷却も限界か……? 魔術師を呼び出せ!」


 また数本、水の柱が増えた。

 海水は柱となってブラックホールを攻撃してゆく。


「なぁ、取込み中に悪いんだけど……あれが本当にブラックホールなのか? 穴じゃないぞ」

「穴ではない。だが実物を見た人間もまたいないんだ。そう呼ぶ他ないから言ったまでだ」

「ううん……確かに強力な引力がありそうだけど……ううーん」

「なんだ、ノヴェル。何か言うなら早く言え」

「……ブラックホールなら、なんであのスティグマは平気なんだ」


 ノヴェルが言ったその言葉に、ジャックとノートンは顔を見合わせた。

 スティグマは、ブラックホールの傍に立っている。


「なるほど確かに。あいつが一番ブラックホールに近い。なぜ無事なんだろうな。質量がないのか?」

「空に浮かんでいるくらいだから重力が無効なのかも知れない。そもそも重力は弱いんだ」

「いや待て。虚像――蜃気楼か?」


 蜃気楼は空気の上下に温度差があるとき、光が屈折して遠くの風景が見えることだ。

 屈折率の変わる境界上に、そこにない筈のものが虚像として浮かぶことになる。


「蜃気楼は出現の条件が厳しいが――魔術でその状況を作ることは、可能かも知れない」


 なら、とノヴェルは甲板を走りだした。

 軍用船の高いブリッジへ駆け上がってゆく。


「サーチライトを!」

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