1.6 「こりゃもう死んでるな」

「まずい!」と、誰かが叫んだ。

 オレが上空に気を取られているうちに、そいつはすぐ近くまで走り寄って来て、


「逃げるぞ!」


 そう言ってオレを抱え上げた。

 サイラスも、あの女に押されるようにして本館へ押し戻されている。

 オレを抱えた男は、本館の窓を乱暴に開けた。

 ミーシャも脇に抱えられ、何が起きているのか、よくわからないうちに――オレ達はアグーン・ルーへの止り木本館の中に放り込まれた。


「マーリーンを爺さんと呼んだな。孫か」

「……あ、あんたは」

「自己紹介は後だ。重要なことから聞く。お前はあの……シッ! 隠れろ!」


 男は窓から離れて、身を低くした。

 窓から放り込まれたとき、頭から着地した。

 床の木材と絨毯じゅうたんがいい感じに上等だったから大怪我をせずに済んだようなものだ。それでも口の中を切って、うまくしゃべれない。

 外の様子をうかがう。


「大賢者マーリーンよ! 二百年前、世界を救い、今尚いまなお現世の門番たる老いた導師よ!」


 大きな声……しかもこれは壁に反射して、更に大きく聞こえている。

 そして、その声の発生源は、話しながらも右から左へと急速に移動している。

 飛んでいるのだ。


「今一度、我らと共に世界を、この混沌から!」


 その大賢者は、太った暴漢と共に倒れて動かない。

 すぐにでも助けに戻るべきだろうが……。

 背後のドアが開いた。

 女と、サイラスが覗き込んでいる。

 中庭に、きらめく銀色の羽が舞い降りた。

 あれは、あれはまさか――。


「この七勇者が一柱、銀翼のゴアと共に来たれ……ん?」


 銀翼のゴアだ。

 思っていたよりずっと小さい。

 肩幅と背中が異常に発達しているのが、その薄い着物の上からでも分かった。

 ゴアは、腕と足に着けた銀色のリングをじゃらじゃらと鳴らし、マーリーンとロイに近付いた。


「……こりゃもう死んでるな。おい。間抜けヅラだ。何が大賢者だよ。これだから俺は反対だって言ったんだぜ?」


『死んでる』――だと。意識が一瞬遠のいた。

 悲しみでも、怒りでもない。

 ただ麻酔をかけられて鼻の奥にパイプを突っ込まれたような感じだ。


「おい! だから俺は反対したんだよ! 手間かけさせやがって! おい! そこの奴! お前だ!」


 ぎくりとして、現実に引き戻された。

 窓の外を見る。

 ゴアはどうやらこちらではなく、倒れているロイに向かって言ったようだ。


「起きろウスノロ! てめえやりやがったな!」


 半分頭を吹き飛ばされたロイが、のっそりと起き上がる。


「てめえこのケツ拭けよ? この老いぼれの死体持っていきやがれ! 俺からの命令だ!」


 聞きたくない。

 聞きたくなくて耳をふさいだが、ゴアの声はやたらにでかかった。

 起き上がったロイは、ゴアに命令されるままマーリーンの体を担ぎ、暗闇へと消えて行った。

 ゴアはそのままきびすを返し、じゃらじゃらと本館の勝手口のほうに向かって歩き出す。

 同時にサイラスと女が室内に転がり込んだ。

 じゃらじゃらという足音が廊下を通って奥へ消えるのを確認し、女が「ふう」と息を吐いた。


「あたしはミラ。そいつはジャック。そしてお前はノヴェルで、そっちのがミーシャだな? このサイラスとはさっき知り合って友達になった。これで全員、顔と名前が一致したな」


 ごめん、とサイラスがバツ悪そうに目を逸らした。

 どうやらオレの小さな交友関係は、彼を通じて丸裸というわけだ。


「さっきの最低野郎が皆さまご存知、銀翼のゴアでした。太った死体がロイで、俺たちの元お仲間。老いぼれ、失礼、ご老体がマーリーンだった、と」


 あの老人はマーリーンだった。

 本物の大賢者かどうかともかく――オレにはもっと大事な疑問があった。

 確認しなければ。

 あの老人、旅芸人マーリーンが、オレのゾディ爺さんじゃないってことを――。


「うっ、行かせてくれ、オレの爺さんかも知れないんだ」

「それなんだけど」


 サイラスが割って入った。


傲慢ごうまんな物言いに聞こえたらごめん。僕には、あれが本当のマーリーンだなんて信じられなくって……。ノヴェルのお爺さんともまだ信じられない」

「無理もねえよ。っていうか、いかにもマーリーンだったら六十年間も姿を隠していられるか?」

「その、六十年前に姿を消した大賢者が、どうして今更マーリーンを名乗って旅芸人を?」


 サイラスは至って冷静にそう疑問を口にする。


「さぁな、俺だって昼下がりに公園やそこの海っぺりででも会ったなら、そこらへんも是非ぜひ聞いてみたかったよ。こうなっちゃもうどうしようもない」

「あんた達はマーリーンを探して……? あの、銀翼のなんとかってやつも?」

「お嬢さん、聞こえていただろ。あいつはマーリーンを仲間に引き入れるつもりだった。だが俺たちは違う。俺たちが探していたのは……お前だ・・・


 そう、こちらを指差した。

 え? オレを?


「そうだ。お前だ。ノヴェル・メーンハイム。マーリーン――本名ゾディアック・メーンハイムの血を引く孫、そしてその魔力の正当な後継者たる……おっと、孫は二人いるんだったな。血がつながっているのはお前か? それとも娘っ子のほうか?」


 息を呑んだ。

 それはオレと、リンのことか。

 他人の空似そらにだと、まだそう思っていた。でもこのジャックっていう冒険者は――オレたちのことを知っている。

 たしかにリンとは血がつながっていない。そんなことまで調べ上げているんだ。

 オレは返答にきゅうしていた。

 でも、魔力の正当な後継者というのは、少しも思い当たらない。


「ち、違う――」

「違う? サイラスに聞いたぞ。お前はノヴェル・メーンハイムなんだろ?」

「それはそうだけど――いや、やっぱ違う。大賢者の孫? ひ、人違いだ。だって、オレには――」


 だってオレには、魔力がない。

 誰にでもある魔力がオレにはからっきしない。

 魔術は学堂でも習う。でもオレは少しもついていけず、そのせいで学堂にも馴染なじめない。

 魔術は生活にも使う。でもオレは、マッチなしでは小さな火すら起こせず、宿のことだってリンに任せっぱなしだ。

 進路は? 将来の夢は? ――何もない。

 オレに居場所があるとしたら、それは自室の本の間だけ。

 爺さんだって――爺さんが魔術を使うところなんてオレは見たことがない。

 オレが昼行燈ひるあんどんなら爺は石灯篭いしどうろうじゃないか。ちょっとばかり物知りで変なお茶に詳しいが――大賢者でも、旅芸人でもない。


「……何を言ってるのかわからない。オレはゾディ爺の孫だ。マーリーンなんか知らない。教科書で読んだだけだ。親は子供の頃に死んだ。リンは孤児だ。ゾディ爺は、そりゃ物知りだったが、年寄なんて皆そうで、ま、魔術? 魔術なんて」


 ジャックとミラは顔を見合わせてため息をつく。


「俺達も、もうすこし確証が欲しいね。この中で、さっきのマーリーンとその、ゾディ爺さん? その両方を見たことがある者は?」


 全員がサイラスを見た。

 サイラスは困ったように顔をしかめて、うめいた。


「それが……ゾディさんのことは、記憶が……」


 何度も会っているはずなのに。

 学堂一の優等生の記憶とはこんなものなのか? それともみんなそうか? ミーシャは?


「実は私も、姿からしてゾディさんだと思ったけど、その、顔は……」

「決まりだ。認識阻害で家族以外から顔を隠していた。記憶に残りにくくなるようなやつだ。もちろん、正体を偽って街で暮らすためにだ。そのゾディ爺さんこそ、マーリーンだ」

「爺さんが魔術なんて!」

「魔術は誰でも使える。火、水、風、雷、大地――そういう、神の加護があればな。あとは魔力だ」

「あんたが言うと胡散臭うさんくせえよ。それに、認識阻害は完全には魔術じゃない」


 そうだったな、とジャックは面倒くさそうに言った。


「認識阻害は技術に近い。プロの前で俺が言うのもなんだがな。風や電気の魔術と組み合わせることもあるが、手練てだれともなればもっとスマートにやるだろうな」


 プロとはミラのことだろう。ミラはジャックの説明にすっかり満足したようだった。

 同じことを、ゾディ爺さんから聞いたことがある。

 あれはなんだったか。オレが魔術のテストでひどい点数を取って、落ち込んでいたときだったか――。

 認識阻害は魔力と関係があるが、魔術とは違うらしい。

 魔力と魔術の関係は複雑で、しかも段階がある。つまり、オレには説明が難しい。

 魔術は十三の歳に神託を受けて使えるようになる。基本的にはそのときに授かる魔力が基礎体力だ。それとは別に親から授かる魔力もあって二階建てだ。

 本来神託しんたくは自分で神を選ぶものだが、十三のガキには少々荷が重い。なのでこれを学校行事でやる。ポート・フィレムなら、縁のある火の女神フィレムの神託を受けるわけだ。

 神託ならオレもそのときに受けたはずだ。だが何も起きなかった。

 一方、認識阻害はまるで子供のおもちゃだ。魔力をわずかに使って視覚や記憶に微妙な変化を起こす。長い時間効果を得たり、術者を離れて効力を維持したり、小さいながらコスパが良い。

 特定の神の加護もなく、人が生まれながらに持つ微小な魔力でも使えるため、最近じゃ五歳児でも認識阻害でおもちゃを隠したり、かくれんぼをしているらしい。首都あたりじゃ相手によって看板や広告を出し分けるなんて聞いたぞ。まったく世も末だ。

 ここまではもちろん全部受け売りだが――自分の経験として思い出すことも、ひとつだけあった。

 十歳の頃、学堂にあるペンを持ちこんだ子供がいた。そのペンで書いたものは、すぐに消えてしまうんだそうだ。

 何の役に立つのか、実際ただのオモチャなわけだが、これが大流行した。

 皆これを使って思い思いのことを書いた。それらは本当にすぐ、消えてしまったのだ。

 オレも壁に「ミーシャだいすき」と書いた。

 だがそのペンは認識阻害を利用していて……オレの書いた文字だけ消えなかった。

 ミーシャは幸い、オレが書いたとは知らずに「誰が書いたのよ!」と顔を真っ赤にして怒っていた。

 オレは自分に魔力がからっきしないと、その時に悟った。ミーシャに苦手意識を持つようになったし、学校も嫌いになった。

 爺さんだけが、そっとオレの悲しみに気付いたんだろう。

 何も聞かず、何も言わず、夜中にそっと宿無亭やどなしていを抜け出して、翌朝には壁に書かれた不格好な告白は消えていた。本当ならインクがかすれて消えるまで、たっぷり一週間は残っていただろう。

 勉強しろとは口うるさかったが、学校に行けとは一度も言わなかった。


「うう、爺さん……爺さん……おれ」


 ジャックが隣に来て、言った。


「気を落とすなとは言わん。だが今じゃない。今はもっとヤバい状況がある。ここを抜けたら、思い切り泣け」

「なんだよ状況って……放っといてくれよ……オレ達が何したっていうんだ」

「確かに、俺はお前を探してた。ここで会えなくても、どんな手を使ってでもお前を探しただろう。だが男として言おう。今は泣くな。お前と、お前の爺さんを取り巻く状況は、何よりもヤバい」

「ヤバいってなんだよ」

「世界が滅ぶ。全ての人間が死ぬ。最悪はな。それは少し先。今夜起こることはそれより少しはマシで、この街が大変なことになる。人口の二割が死ぬ」

「なんだって」


 サイラスとミーシャが声を揃えた。


「ああ、君らは、そうだな、部外者だ。ここの地下室に隠れていろ。そうすりゃ八割のほうになれる。ノヴェル、お前は俺達と来い」

「オレが行ってどうするんだよ! 何にもできないよ!」

「できないならここで泣いているか? あのトリ野郎のわめき声を聞きながら死ぬか? そんなの最悪だろ!」

「行く。行くけど、役には立てない。オレはただの落ちこぼれ、昼行燈で、宿屋の居候いそうろうjだ」

「それがなんだ。男として答えろ。お前に守れるものはないか? 守りたいものは?」

「……リンを」


 リンを守らないと。

 そこまで言い切る自信はない。

 ただ、立ち上がる気にはなった。


「世界が滅ぶ? 知ったことか。オレは、爺さんの暮らしたここを守る」

「知ったことか、は困るな……。もうすこし当事者意識を持ってくれないと」


 オレは世界のことなんか何も知らなかった。

 魔術も科学も便利で、人口はどんどん増えている。世界の闇は払われ続けている。

 この盤石ばんじゃくの世に危機が訪れることなんてないし、もしあったとしても力ある誰かが助けてくれる。

 このときはオレはまだ、そう思っていた。

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