妖怪・ダメ人間

大豆

第1話 妖怪・自己中

向坂基(さきさかはじめ)は苛立っていた。

厳密には苛立ち、焦燥、不安、色んな感情がブレンドされ、限りなくブラックな精神状態だった。


『ちょっと出てくるね。』

向坂は向かいのデスクの舘野に言った。

『海崎のとこ?』

『そう。』

海崎とは先週解雇したパート社員だ。


向坂は特別養護老人ホーム「みどり」の介護主任を務めている。

直接人事権は無いが、無論職員の採用や退職の際は面談などに出席もする。

 特にみどりでは施設長(企業で言う社長)が御年68歳の年配の女性であり、普段は専ら事務に徹しているため、実務や職員の動向の観察は概ね主任(企業で言う部長)の仕事である。


『もうシカトでいんじゃね?あのキチ○イは。』

舘野は35歳の妻帯者で、年嵩こそ向坂より一つ下だがみどりに入社したのは向坂よりも3年先である。

よってこのタメ口は不自然なものではない。

と向坂は納得はしている。


『一応円満退社とは言えなくてもトラブルは避けたいからね。』

向坂は苦笑した。

海崎との契約は切れてはいるが、海崎としては不服らしい。


「なんであたしがクビなの!!おかしいじゃない!!訴えてやるからね!!」


海崎の事務所での大立ち回りは今でも語り草である。


『気を付けて行ってらっしゃいね。』

施設長の渡は他人事の様に言う。と言うよりまるで子供を送り出す母のようだ。


これから海崎と向坂は近くのファミレスで話し合うことになっている。

なっていると言うより、そうなってしまった。


何故こうなったかをざっくりと説明すると、まず解雇を不服とする海崎は、解雇された翌日も当然の様に出勤した。

それを見て些か恐怖感を覚えたのはタイムカードがある事務所にいた人間たちだけではない。

ロッカールームで着替えて現場に出たのだから他職員たちとしても対処に困った。


すかさず向坂のもとに一人の職員が駆けつけ「海崎さん、いるんですけど」と耳打ちした。

まるで「ゴキブリ出たんですけど」と言う様なニュアンスで。


冷ややかな目線を浴びながらも利用者に介助をしようとする海崎を呼びつけた向坂。

あなたはもうウチの職員ではないと話す向坂。


「クビって、あたしは納得してませんから!」


折れない海崎。


この時ばかりは舘野や渡、その他の職員も伴って海崎に迫った。

だが


「寄ってたかって何なんですか!?パワハラですよ!!」


騒ぐ海崎。

なんとかその日は「帰って頂いた」が、次の日からは現場に出ようとはしないものの、事務所に怒鳴り込む様になった。


それが昨日までの話だ。


これではさすがに業務に支障を来すと判断し、向坂は海崎に「外で話す機会を」と、申し出た。


そして今日、午後一時、100パーセントあちらの都合に合わせ話し合いの場を設けさせられた。


向坂は気が重かった。

そもそも向坂は海崎を雇用することに当初から判断していた。


面接の段階から、語弊がるが「面倒くさそうなオバチャン」の雰囲気を醸し出していたからだ。


年齢は56歳、介護経験18年と書いた経歴は丸っきり嘘であった。

18年前当時、介護は介護保険制度ではなく措置制度を採用していたが、なにげにその話題を振った際「ソチセイド?」と外国人の様なリアクションを取られた。


資格証もヘルパー2級ではなく「初任者研修」となっていた時点で気付かなかった施設長に落ち度があるのだが(現初任者研修は旧ヘルパー2級資格であり、初任者研修の資格証を持っている時点で介護歴18年はあり得ないのである)。


仕事ぶりはと言えば、一度利用者に関われば何時間でも業務そっちのけで雑談をしているし、それを咎めれば「利用者様がお話したがっているのだから」と、いかにもな言い訳を盾に責めてくる。

仕事が遅いと責めれば「丁寧にやったらいけないのですか?皆雑すぎます。」とカウンターを食らわせてくる。


ほら見ろ、人間やっぱり見た目でわかるじゃないか。

と内心渡に対して毒づいた向坂。


見た目はと言うと、黒柳徹子の下位互換のような髪型に厚化粧、何度注意しても厚めにコロンを叩いてくる。

業務規程違反だと言っても必ずポシェットを装備している。


職員の間では「彼女頭大丈夫?」と囁かれていたのは言うまでもない。


そんな人間と一対一で対峙するのだ。

向坂は向かう車の中で胃薬を飲んだ。

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