わずらう調合師 4

 まだ彼女が幼かったときのことだ。パルメの師匠はときどき、幼いパルメに無理難題を押し付けることがあった。


 それで、押し付けた当人は苦戦しているパルメを眺めて愉快そうににやついているのだ。


 なんて意地の悪い大人だろう、と思った。


 当時のパルメは師匠のそんな様子を見て、ふてくされつつも出された課題に四苦八苦していた。


 若者の真剣な表情を横目に、パルメは記憶の片隅で埃をかぶっていた昔の光景を掘り起していた。


 幼いパルメにとってみれば無理難題でも、師匠からしてみれば片手間で片付く類のものだった。それは成長した今のパルメにとっても同じこと。


 トウマが脂汗を流して花畑に近づいていく。亀のような歩みだ。それを見るパルメの口元には微笑が浮かんでいた。


 彼女の思考は、浸っていた思い出から現在に戻る。


 今なら分かる気がする。一生懸命に問題に取り組む若人の姿は、答えを知る年長者にとっては微笑ましく映るものだ。師匠もあのとき、こんな気分だったのだろうか。


 そう思うと、師匠のあのにやにや笑いも、パルメにまた別の感慨を呼び起こすのだった。


「ん」


 現実に目を戻すと、熊と目があったトウマが、目当ての花を手にしてかちんこちんに固まっている光景が見えた。相手は野生動物。目はごまかせても耳や鼻はごまかせない。当然の結果だった。


「そろそろ潮時かね」


 パルメは哀れな若者の元へ足を向けた。親指と中指をくっつけ、指笛の形にして口に持っていく。


 ぴゅい、と高い音を鳴らすと、熊がパルメの方を向き、のそのそと近寄ってきた。


「よしよし、良い子だ」


 甘えるように擦り寄ってくる熊の首や耳裏を撫でてやる。熊はひとしきり撫でられた後、背中を向けて座り込んだ。


 ごわごわした獣毛に手を差し入れ、パルメは熊の背を探っていった。


「あの、どういうことっすか?」


 呆気に取られていたトウマが、そろそろとパルメに近寄ってくる。当然のごとく困惑顔である。熊の背中から、小さな苔の塊をつまみ出したパルメは、手を止めずに種明かしを始めた。


「こいつはモスベア。草食なんだ。見ての通り慣れれば人にも懐く、大人しい動物さ。そしてこれが――」


 つまみ出した苔を見せる。


「本当の薬の原料」

「本当の? じゃあ、この花はなんなんすか?」


 トウマは苦労して摘み取った花を目の前に突き出した。


「そいつはモスベアの餌だよ。薬でも何でもない」

「餌……」


 パルメの言葉を理解したトウマは、脱力してへなへなとその場に座り込んでしまった。がっくりと項垂れ、餌っすかぁと呟く。


「まあ、その花を食べるおかげで、この苔の生育に適した湿度が保たれるわけだから、まんざら嘘でもないけどねぇ。……言ったろ? あんたの覚悟が見たいって。妹のために必死になれるかどうかをあたしは知りたかったのさ」


「はぁ……。って、え? それじゃあ……!」


 気の抜けた調子で相槌を打つトウマが、何かに気づいたように明るい声を出した。パルメは期待に輝くトウマの表情を複雑そうな目で見て言う。


「当分はただ働き同然だよ。いいね?」

「は、はいっす!」


 トウマの景気のいい返事に、やれやれと首を振るパルメだった。









「それで? 哀れなトウマくんはどうしてんだ? パルメにこき使われてんのかい?」


 トウマがパルメの元で働き始めて数日後のこと。パルメは『森の木漏れ日亭』のテーブル席でグラスを傾けていた。


「人聞きの悪いこというんじゃないよ」


 カウンター席で冗談を飛ばすランドを軽く睨み、パルメは酒を口に運ぶ。真昼間から酒を飲む二人以外、誰も客はいない。皆、労働に精を出しているようだ。


「マスター。おかわり」


 ぐいっとエィルを飲み干したランドが、マスターに空のジョッキを突き出す。


「かしこまりました」


 ジョッキを受け取ったマスターは、カウンターに置かれた樽の下部の蛇口を捻り、茶色い液体をジョッキに注いでいった。


「よく働く青年だと聞きましたが?」


 エィルを注ぎ終え、ランドに差し出したマスターが会話に入ってくる。パルメは表情を曇らせて言った。


「働くのはいいんだけどねぇ……」


 パルメが言葉を濁した途端、入り口の扉が開いて話題の人物が飛び込んできた。パルメの顔が露骨にしかめられる。


「先生! だめじゃないっすか。こんなところで油売ってちゃ。先生の薬を待ってるお客さんがいるんすよ!?」

「別に急ぐ客じゃないさ。捻挫くらいで死ぬ人間はいないよ」

「死にはしなくても、歩けなくて困ってるに違いないっす。さあ、早く助けてやってくださいっす!」

「あ~もう。分かった分かった。行くよ。行くからそんなに引っ張んないでおくれよ」


 トウマに引きずられ、パルメは慌しく店を去っていった。思ってもみなかった光景を目にしたマスターとランドは顔を見合わせ、


「がっはっは! 尻に敷くどころか敷かれてやがるぜ」

「振り回されてますねぇ」


 と、愉快そうに笑った。


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断片集 ~森の木漏れ日亭へようこそ前日譚~ 海月大和 @umitukiyamato

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