わずらう調合師 3

 ちちち、ちちち、と小鳥たちが囀る。


 頭上で交わされる鳥たちの談笑を聞き、パルメは足を止めた。折り重なった木の葉を見上げ、彼女は目を眇める。葉を裏まで透かす陽の光が、彼女を照らしていた。


 小鳥たちが羽音を残して飛び立つのを音を頼りに見送って、彼女は苔の生えた倒木に腰を下ろす。


 背負った籠を脇に置き、中から小箱を取り出した。懐からキセルと黒い石を二つ取り出したパルメは、小箱に入っていた小さな綿の塊を火皿に詰める。左手にキセル、右手に石を二つ持ち、かちかちと石を打ち鳴らす。跳ねた火花を上手いこと火皿に落とすと、詰めた火種が燻り始めた。


 パルメの鼻腔を清々しい香りが洗っていく。自身が調合した煙をほうと吐き出し、パルメはのんびりと山の空気に浸っていた。


 くぉ、くぉ、とさきほど飛び立った小鳥とはまた違う種類の鳥が鳴き、目の前を模様も鮮やかな蝶が横切る。地面を甲虫がのそのそと這う。


 今日も山の様子は相変わらず。


 一服を終えたパルメは、火皿を下向きにして一振りし、燃えカスを地に落とした。腰に括りつけた水筒から水を垂らして火を消した彼女は、ついでに一口、水筒の中身を口に含んだ。


 キセルを懐に戻し、立ち上がる。すると、どこからか声が聞こえた。


「……せ~」


 遠くから、反響しつつこちらに近づいてくる。


「せんせぇ~!」


 はっきりと声が届く距離になって、パルメの顔は曇った。雑草を掻き分けて現れた青年の輝いた表情を見ると、もっと曇った。


「探しましたよ! 先生!」


 黒髪に葉っぱを乗せた青年、トウマがパルメの近くに寄ってくる。


「どうしてここが分かったんだい?」


 あからさまに嫌そうな声音で、パルメは尋ねた。


「ランドって人から、この時分なら裏山にいるって聞きまして」

「そうじゃなくて」


 にこやかに答えるトウマを遮って、パルメはもう一度、言葉を足して尋ねた。


「この山の中で、どうやってあたしを見つけたのかって聞いてるんだよ」


 慣れない者が不用意に足を踏み入れて、迷わずに歩けるような場所ではない。パルメが疑問に思うのも当然だった。なにしろ、道らしい道もないのだ。獣道だってどこに続いているか分かったものではない。


 しかし、トウマはきょとんとして言った。


「はぁ。いやぁ、なんといいますか……勘で」


 冗談を言っている調子ではなかったので、なおさらパルメは言葉に詰まった。こんな山の中にまで追ってくるところといい、トウマはあまり深く考えない性質のようだ。


 半目になって、溜め息ともつかない唸り声を漏らしたパルメは、籠を背負って立ち上がる。トウマの格好を眺めて彼女は口を開いた。


「それにしたってお前さん――」


 お前さん、そんな格好で山に入ったのかい?


 しわがれた声が耳に蘇る。不意に頭をよぎった記憶が言葉を止めた。


 幼い自分へ向けて放たれた師匠の呆れ声。とっくに忘れたと思っていた懐かしい記憶だた。


 思い出に沈んだのは一瞬のことで、パルメは再び口を開く。


「そんな格好で山に入るなんて、自殺行為だよ」


 トウマの服装は相変わらずみすぼらしい。半袖のぼろシャツに穴の開いた七分丈のパンツ。そしてくたびれた安物の靴。おまけに水も食料も持っていなかった。


 腕や足には擦り傷がある。急いで駆けてきて、草木に引っ掛けたのだろう。


 対して、パルメは厚手の綿のパンツに皮の丈夫なブーツ。長袖シャツの上に胸元までを覆う肩掛けという装備だ。


「毒のある植物だっているんだ。妹さん残してあんたがおっ死んじゃ、目も当てられないよ」

「すみませんっす……」


 刺々しいパルメの言い方に、トウマはしゅんとしてしまった。そんなトウマに、パルメは黙って水筒を突きつける。


「飲みな」

「あ、ありがとうございます」


 押し付けるように水筒を手渡し、不機嫌な調子でパルメは告げた。


「ここで帰して、迷われても面倒だからね。付いてきな」


 パルメは薄紫の髪を翻し、さっさと歩き出す。


「ちょっ、待ってくださいっす。先生!」


 水筒に口を付けようとしていたトウマは、慌ててパルメの背を追うのだった。












「あんたも大概、分からず屋だねぇ」


 皿のように平たい花びらを傾け、蜜を小瓶に垂らしながらパルメは言った。籠を持たせたトウマに手招きし、背を向かせる。


「金を払えない相手に売るほど、あたしはお人よしじゃないんだよ」


 小箱に小瓶を収め、代わりに空の小瓶を取り出したパルメは、また同じように花の蜜を採取していった。


「はい。それは何度も聞きました」


 パルメに背を向けたまま、トウマはしゃがみ込む彼女を見て言う。


「でも、他に当てがないんです。足りない分はちゃんと働いて返しますから! 本当です!」

「それは何年後のことだい?」


 語気を強めて力説するも、パルメの質問にトウマは鼻白んだ。


「金を稼ぐつもりがあるなら、不足分を用意してから来ればいい。そうじゃないかい?」

「妹はいつまで保つか分からないんです! そんな悠長なことしてられないんすよ」


 トウマの声音には悔しさが滲んでいる。彼が必死なのは先刻承知のことだったが、ここ数日でその度合いは更に増したようだ。


 自分を見つけたときのトウマの瞳の輝きようを、パルメは思い出す。


 仕方ない。


 浮かない顔で蜜が溜まるのを眺めていたパルメは、トウマの説得を諦めることにした。


「そこまで言うならしょうがないね」


 確かめてやろうじゃないか。心の内で呟き、立ち上がったパルメは、頬にかかる髪の毛を払った。


 小箱に小瓶を詰めた彼女は、行くよ、とトウマを促し、先頭に立って歩き始める。足元にまとわりつく草花を、体で分けて進むパルメの足取りは迷いがない。トウマは親鳥の後を追う雛鳥よろしくその背にくっ付いて歩いた。


 そうしてしばらく歩き、目的とする場所に辿り着いたパルメは、足を止める。


「見えるかい?」


 隣に並んだトウマに向けて、パルメが聞いた。


「見えます」


 簡潔に答えたトウマの声は緊張していた。視界に映る動物を目にしたら、誰だってそうなるだろう。距離は遠いが、トウマの前には大人の男よりも大きな熊がいたのだ。こちらには気づいていない。


「そっちじゃないよ。アレさ」


 そう言ってパルメが指差したのは、熊の周りに咲いている色とりどりの花だった。色はそれぞれ違うが、形はどれも似ている。どうやらここはあの花の群生地らしい。


「あの花がどうかしたんすか?」


 声を潜めて問うトウマに、いつもの調子でパルメは答える。


「アレがあんたの妹さんを治す薬になるのさ」

「あれが!?」


 思わず大声を出し、トウマは慌てて口を押さえる。熊は首をもたげる動作をしたが、幸いにもこちらを向くことはなかった。


「取ってきな」


 パルメは言葉少なにトウマに命じる。トウマはパルメの命令の意味を飲み込めず、間が抜けた声を漏らした。


「あんたの覚悟が見たいのさ。本当に妹さんを助けたいなら、アレを二・三本ちょちょいと抜いて持ってきな。そしたら、後払いで薬をやろうじゃないか」


 パルメの瞳が挑戦的な色を宿してトウマを見据えた。あんたが本気なら、これくらい簡単だろう、とその眼が言っている。


「そんな、無茶っすよ」


 冷や汗を流して抗議するトウマの表情には、迷いがありありと浮かんでいた。自分の身を案じる気持ちと、妹の身を想う気持ちで揺れているのだろう。


「尻込みするのも大いに結構。だけどこれが最後の機会だよ。さ、どうする?」


 考える間も与えじ、とばかりにパルメは決断を迫る。トウマは今一度、花畑に目をやった。熊は依然としてその場に居座り、こちらに背を向けている。どこかへ行く気配もない。


 トウマの喉がごくりとなった。熊の大きな手と爪を見てしまったからだ。あの一振りがどれほどの傷をつけるのか、想像してしまったのだ。


 パルメはじっと答えを待つ。トウマは拳を握り締めて俯いていた。パルメが内心で、これはダメかと思い始めたとき、トウマは意を決したように顔を上げた。


「やります。やらせてくださいっす」


 決意に燃える瞳を目にしたパルメは、ほんの少しだけ、口元を緩める。


「さっさと行っといで」


 パルメは気付けの意味を込めて、トウマの背中をぱしっと叩いた。それに押されるようにして、トウマの足がゆっくりと前に進む。


 強張った肩を後ろから眺め、パルメは面白がるように口端を吊り上げた。


「見せてもらうよ。あんたの覚悟」

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