わずらう調合師 2

「ここか……」


 『森の木漏れ日亭』の看板を見上げ、トウマは静かに呟いた。どうか薬を売ってくれ、と、パルメに何度となく嘆願している青年である。彼の陳情は目下のところ、まったくと言っていいほど効果を上げていない。おかげで、焦る彼の表情は強張り、緊張のためか汗が浮いていた。


 太陽が中天に昇る少し前、掻き分け掻き分け通り抜けてきた大通りも、おおいに活気溢れていた。しかし、流石に通りを二つも外れると、耳に痛いあの喧騒も、遠くに聞こえてしまうようだ。


 生唾を飲み込んで、トウマは木目の美しい扉を押し開ける。


「いらっしゃいませ」


 落ち着いた男性の声が、トウマを出迎えた。左手のカウンターテーブルの向こうでグラスを磨いていた男性が、トウマを見てにこりと笑う。


 筆で描いたような細い目は柔らかく、トウマの体の強張りを少しだけほぐしてくれた。


 トウマの他にもちらほらと客がいた。カウンター席で軽食をつっつく男やテーブルに集まって歓談する女性たち。本業は宿屋だと聞いていたが、昼は食事処にもなるらしい。


「すみません。ちょっといいっすか?」

「はい、なんでしょう?」


 カウンターに座るやいなや、注文もせずに切り出したトウマに嫌な顔ひとつせず、店主らしき男性が応じる。


「ここが、パルメ・サルフィールさんの行きつけだって聞いたんすけど……」


 おや、という風に、店主の眉がひょこりと上がった。


「確かに、パルメさんにはよくご利用いただいておりますが。詮索ですか? あまり、感心しませんね」


 やんわりと窘めるように、店主はトウマに告げる。


「すんませんっす。でも色々と事情があるんっすよ」

「そうですか。……そうですね。事情は伺っていますし、ここでパルメさんをお待ちいただくのは構いませんよ」

「ありがとうございます!」

「いえいえ、大したことでは」


 カウンターテーブルにぶつけそうなくらいに頭を下げるトウマに、店主は優しく微笑んだ。それからちょっと悪戯っぽく口を吊り上げて、


「でも、そうですね。お礼といってはなんですが、コッフィルの一つでもご注文いただければ、こちらとしても嬉しいですね」


 とトウマに言う。


「あっ。す、すんません。コッフィル一つください」

「かしこまりました」


 恥じ入るように縮こまるトウマを微笑ましく見ていた店主は、にっこりと笑って口を開いた。


「いよう、マスター!」


 黒い液体がカップに注がれていくのを眺めていると、入り口の扉が景気よく開かれ、野太い声が飛んできた。


「いらっしゃいませ、ランドさん」


 コッフィルをトウマに差し出しながら、店主はランドと呼んだ大柄な男に笑顔を向けた。


 熊のように大きな体がのっしのっしと近付いてきて、トウマの横の二回りほど大きな椅子に腰掛ける。


「マスター。エィル、ジョッキでな。あとタムサの串焼き二人前」


 指を1本、2本と立て、ランドはよく響く声で店主に注文した。


「かしこまりました。テオ! 注文です!」


 店主が厨房に向けて声を張る。ガラス瓶に入った砂糖を木匙で掬い、コッフィルにおとしながら、トウマは隣に座る大男の様子をちらりと窺った。


 筋骨隆々、腰には剣。顔や腕には新旧多数の傷跡がある。身なりからして、おそらく兵士か傭兵だろう。雰囲気からすれば後者ではないか。


 トウマはそんなことを考え、コッフィルを口に含んだ。


「お? マスター。パルメの奴、今日は来てねえのか?」


 注文を待つ間、店内を見回したランドが、トウマの探し人の名を出す。驚いたトウマは思わずコッフィルを大量に流し込み、げほげほとむせた。


「ええ、まあ……」


 店主はやや困り顔で言葉を濁す。茶色くシュワシュワと泡立つ液体をジョッキに注ぎ、店主はランドの前にとんと置いた。ぐびりぐびりと半分ほどを一気に飲み干したランドは、思い出したとばかりに声を上げた。


「おお、そうか! 今時分だとあいつは森の中か」


 トウマの耳がぴくりと動く。


「すみません! その話詳しく教えてくれませんか!」


 がっしとランドの肩を掴んだトウマは、勢い込んで尋ねた。


「パルメさんがどこにいるか知ってるんすね!?」

「お? おお、そうだが……」


 体格差に物怖じしないトウマに戸惑い、ランドは若干身を引いた。


「パルメなら、この時間はだいたい家の裏にある山で材料集めしてるはずだ」

「家の裏の山っすね。あざっす!!」


 一礼して店を飛び出していくトウマ。残されたランドは目を白黒させて店主を見た。


 店主は眉尻を下げて困った顔だ。


「俺、なにかまずいこと言ったか?」


 ランドが怪訝そうに呟く。


「いえ、ランドさんに落ち度はありません。ただ……」


 そこで一旦言葉を切った店主は、心配そうに店の入り口を見て言った。


「遭難者が出なければいいんですけどねぇ」


 串焼きをトレイに乗せ、厨房から顔を出したテオが、頭の上に疑問符を浮かべて小首を傾げた。






コッフィル=コーヒー

エィル=エール酒

タムサ=食用の鳥

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