第4話


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 午前の授業が終わり昼休みが始まると、騒がしくなる教室の中で、活動的なクラスメイト達が六花の席を取り囲んだ。


「宮本さん、お昼一緒に食べよー」

「宮本さんてお弁当派? 学食派? 学食行くならオレ案内するよー」


 僕はそんなガヤガヤとうるさい連中を、いつものように自席で頬杖をついてぼんやりと眺めていた。彼らの身体からは、僕にはないバイタリティが青い炎のように吹き出しているようにすら感じる。生きるというのは、本来はきっと、そういう事なのだろう。


「ごめんなさい、先約があるの」


 やはり感情の読めない声でそう告げると、六花は静かに立ちあがり、隣の席の僕を微笑んで見下ろす。


「ね、行きましょう、カズホ」


 ざわっ

 そんな擬音が目に見えそうな程に、彼女を取り囲むクラスメイト達に動揺が走ったのが分かる。


「だから、教室で僕に関わらない方がいいって……」

「いいから、ほら、行くわよ」


 僕の些細な反抗に若干の不機嫌さを漂わせた声でそう言うと、彼女はクラスメイトの輪をすり抜けてツカツカと教室を出ていってしまう。彼女の所有物である僕は溜息をついて席を立ち、その後を追う。


 教室を出る辺りで、「なんだよあいつ」という棘のある声を背中で聞いた。また溜息をついて、廊下を進み続ける六花に追い付くよう早足で歩いた。やがて目の前に見えてきた彼女の背中に、僕は声をかける。


「あんまり敵作るような言動しない方がいいよ」


 六花は答えない。昼休みの喧騒に溢れる廊下を、無言のまま足早に歩いていく。どこに向かっているのか。

 彼女の後ろをついて歩いていると、すれ違いざまや、あるいはもっと距離のある時から隠そうともせず、廊下を歩く他の生徒が奇異の目を向けてくるのが分かる。ただでさえその容姿で目立つ六花には今、12月の転校生というレアリティと、さらに謎の半仮面という属性が付与されており、人目を引かないはずがない。しかしそんな彼女に声をかけようとする者は、廊下を歩いている間一人もいなかった。後ろを歩く僕の位置からは見えないが、それだけ人を寄せ付けない表情でもしているのかもしれない。


 2年の教室が並ぶ廊下を抜けて、六花は階段を上る。僕も黙ってその後ろを歩いた。3年の教室がある3階を越え、屋上に出る階段も上っていく。

 そして階段の最上段まで辿り着いた六花は、その白く小さな手を階段室のドアノブにかけ、体重をかけて重い鉄の扉を開けていく。開かれた扉の隙間から冬の風が吹き込んで、彼女の髪を揺らした。


 人が通れるサイズまで扉が開くと、飛び出すように六花はそこに出た。

 高校、校舎の、屋上。

 僕の人生や時間が六花に拾われた場所。


 今は昼休みだが、12月のそこにやはり人気はなく、僕と六花の二人だけが、分厚い雲越しの弱々しい太陽の光に照らされている。僕たちが踏むコンクリートは、灰色。遮蔽物がなくどこまでも広がる空も、灰色。眼下に見える木々も季節のせいで色がくすみ、がらんとしたグラウンドにも乾いた風で白っぽい土埃が舞う。世界の全てに灰色のフィルターがかかっているような景色だ。灰色の世界。


 階段で切らした息を整えていた六花は、ゆっくりと息を吸い込んだ。そしてそれをゆっくりと吐き出すと、呼気は白い水蒸気となって、空に昇っていく。あれがまた、雲の一部になるんだろうか、なんて事を、彼女が零した白息を見送りながら、僕はぼんやりと思う。だとしたら、冬のあの陰鬱な雲は、人々の溜息が寄り集まった、悲しいカタマリなのかもしれない、なんて。


 どうして僕ら人間というものは、ただ幸せに生きていくというだけの事が、こんなにもできないのだろう。


「さむ……」


 急に思い出したように、彼女は自分で自分の両腕を抱く。


「そりゃそうだよ。コートも着ないで外に出れば、そうなるさ」


 六花は何も言わずにうつむいた。


「……で、なんでこんな所に来たの?」


 なんとなく分かっていた。でも聞かなきゃいけないような気がした。わざわざ名指しで連れ出された、彼女の所有物として。


「息が、つまるから」

「……その感覚は分かる」


 彼女はまた、大きく息を吐く。


「みんな、私と仲良くなろうとしてくれてるってのは分かるわ。それが珍しい転校生という興味だけだとしても。でも、あんなに集まられると……」


 転校生という点だけが注目されているわけではないと僕は知っていたが、言わないでおこう。


「……六花って、もしかしなくても、コミュ障?」


 彼女は一瞬目を丸くしたあと、むぐぐ、と悔しそうに顔をふくれさせた。図星か。


「僕には普通に話せるのに」

「だって、カズホは……特別だから」


 予想外のその言葉に、自分の左胸が跳ねた気がした。そんなこの体を、僕は未だに、不思議に思う。

 自分で言った言葉の意味に気付いたのか、六花は片側の頬を赤くしてぶんぶんと手を振った。もう一方の顔色は……仮面で見えない。


「あっ、特別ってのは、そういう意味じゃなくて……勘違いしないでよね」

「分かってるよ」


 微笑んで答えた。

 友達でも恋人でもない。僕は君の所有物。拾われた存在。

 だからその症状を発症する対象ですらないのだろう。相対する他者ではなく、ペットのようなものだから。でも別にその事に、寂寥を感じる事もない。だって、僕は……


「コミュ障なら、そういう風にクラスメイトにも早めに言っといた方がいいんじゃないかな。態度の悪い冷たい奴だって嫌われるより、穏便に事を収められると思うけど」


 僕の提案に、六花は溜息交じりの小声で答える。


「それができないから、コミュ障なんじゃない……」

「……そっか」

「ていうかっ、私はっ、コミュ障なんかじゃないわ。下品で低俗な彼らと話す価値がないと考えているだけ」


 あらら、そうきたか、と僕は思う。これは厄介そうだ。


「ホント、この年代の無益なコミュニティ志向には、転校の度に辟易してるんだから」

「そんなに何度も転校してるの?」


 僕の問いに、仮面で隠れていない彼女の横顔がほんの少し翳るのを見た。


「保護者の都合でね」


 最初に出会った屋上でも、クラスの自己紹介でもそう言っていたけど、六花は「親」と呼ばず「保護者」と呼ぶ。そこに、彼女の影の根元があるんじゃないかと、僕は静かに思う。


「そっか、大変だったね」


 目を細めてそれだけ言うと、彼女は困ったような顔をして僕を見た。


「ねえ、カズホは……どうして……」


 遠慮がちな彼女の声を遮るように、突然僕の背後の扉がガチャリと開いた音を立て、六花はびくんと体を硬直させる。少し開いた扉の向こうから、数人の女子生徒の声が聞こえた。


「うっわ、さむっ!」

「だから言ったじゃんってー。冬の屋上とかマジないっしょー。大人しく教室で食べようよー」

「ちぇー」


 バタン、と音を立てて、扉は閉まった。状況が数秒前に戻っただけなのに、冬の風の音が耳に聞こえるくらい、対比的に際立った静寂を感じる。

 視線を六花に戻すと、彼女はまた自分の体を両腕で抱えていた。それは単純な寒さからか、それ以外の理由か。

 ゆっくり息を吐き出して、僕はそんな彼女に声をかける。


「で、どうする? ここでお昼食べるの? 見たところ手ぶらっぽいけど、君はその齢にして霞を食べるスキルを習熟しているのかな。だとしたら、ぜひ僕にもその技術を教えて欲しいな。憧れてるんだ、そういう生活」


 六花は力なく、けれど少し楽しげに、「ふふっ」と笑ってくれた。僕は命や人生をこの子に拾ってもらう代償に、この子の為に生きる。そういう約束だったから、少しはそれを実現できただろうか。代わりに僕に与えられるという「生きる意味と目的」は、まだもらえている実感はないけれど。

 六花は風に吹かれて顔にかかった髪をバサリと払い、その小さな胸を張って答えた。


「そうね、カズホだけに、特別に教えてあげるわ」


 まずはこうやるのよ、と言って胸の前で腕をクロスし、彼方まで広がる鉛色の空を見つめるので、僕もその左隣に並んで同じようにする。


「で、ゆっくりと弧を描くように腕を広げながら、空気を吸い込むの。この時、鼻じゃなくて口で吸うのがポイントね。空気の甘みとか、季節ごとの風の彩りを意識して感じられるようになったら中級者の仲間入りよ」


 息を吸いながらゆっくり腕を広げていく六花のマネをして、僕も冬の風を吸い込む。空気の甘さは感じられないから、僕はまだ初級者だ。

 腕が水平まで上がった辺りで、視界の右端にあった六花の体が突然すとんと消えた。そちらを向くと、彼女は小さくしゃがみこんで自分で体を抱き、細かく震えていた。


「さ……さむぅ」


 霞を食う仙人らしからぬその頼りない声に、僕は思わず吹き出す。


「ははっ、無理すんなって」


 もう、と恨めしげに僕を見上げた六花は、目が合うと少し恥ずかしげに笑った。そこには、他の人と何ら変わらない、16歳の女子高生の笑顔があった。

 なるほど、僕にだけ向けられるその笑顔には、僕が彼女の為に生きる代わりに彼女が与えてくれるという「生きる意味と目的」が、垣間見えないことも、ない。



 結局その昼休みは、階段室の中で寒さを凌ぎつつ雑談をして時間を潰し、何も食べないまま教室に戻った。午後の授業中に、僕の右隣りの席から「くぅ~ん」と迷子の子犬の鳴き声のような音が聞こえ、六花が耳を赤くしているので、次の休み時間に「校内の案内」を名目に、購買の場所を教えてやった。彼女はパウチ入りのゼリー飲料を購入し、僕を連れ立って屋上に繋がる階段の最上段、昼休みを過ごした階段室に上がると、そこで遅い昼食を摂った。一気に飲み終えた六花が一息つくと、僕に向けて「へへ」とはにかみながら微笑んだ。


 ――そんな風に自然に笑えたら、クラスでも溶け込めるだろうに。


 休み時間終了のチャイムに焦り階段を駆け下りていく六花を追いながら、僕はそう思う。


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