「行かないで」を言えなかった。


たった5文字が言えなかった。

そんな簡単なことをどうして言えなかったのだろう。

勇気があれば、彼を引き留めることだってできたはずなのに。


俺はひとり、カインの店に戻った。何もできなかった。

裏口の横で彼はタバコを吸っていた。


どうやら休憩中らしい。

ひとりで戻ってきた俺を見て、何も言わなかった。


「そうか……無理だったんだな」


彼はそれ以外、何も言わなかった。


「藍の決意はそれだけ硬いみたいでした」


「これから、どうするつもりなんだろうな。アイツ」


「分かりません。もしかしたら、死ぬつもりなのかもしれません」


「ロボットが自殺する時代がついに来たか」


「彼以外にはできないことなんでしょうけどね」


全てひとりで背負わなくてもいいのに。

その荷物は、彼が背負うにはあまりにも重すぎる。

せめて、少しでも分けてほしかった。


そうすれば、一緒に戦えたかもしれないのに。

孤独じゃないことを理解してほしかった。


彼を待っているのは、茨なんてものじゃない。

地獄の業火の中を進むようなものだ。


その先に、エルダはいるのだろうか。

彼女の存在を感じているから、自らその道に飛び込んだのだろうか。


「最後までよく分からない奴だったな。

人間臭いのを必死に隠そうとしててさ……それが余計に人間臭いってのにな。

アイツの本音、一度でいいから聞いてみたかったもんだ」


本音で話し合えたことは一度もない。

その判断は自分にはできないが、話せば気は楽になったはずだ。


「あの女もあの女だよ。すべてうやむやにしたまま捕まっちまってさ。

俺らに少しくらい話してくれてもよかったってのに……」


死後の世界には何もない。目の前の男は以前、そう語った。

残された奴が悲しまないように、エラそうな奴が適当におとぎ話を作っただけだ。


どこまでも残酷な意見でありながら、これほどまでに的を射た話もない。


「行かないでって、言えばよかったのかな。

何を言えば、彼はここに残ってくれたんでしょう」


首を横に振った時の、彼の表情が忘れられない。

少なくとも、別れ際にする表情じゃない。


「……何を言っても、アイツは出て行ったと思うよ。

そういうところだけ、エルダに似てるんだよ」


「そうかもしれませんね」


どうしたら、よかったのだろうか。

隣にいないだけで、こんなに頼りなく感じるなんて思わなかった。

エルダが捕まった時、藍は「心に穴が空く」ような感じがしたらしい。


それが今、ようやく分かった。

これは大切な友を失った悲しさであり、寂しさでもある。

彼はゆっくりと紫煙を吐き出した。




俺は大切なものをなくしました。

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