6.このオレを降参させるとは

 アスタルテが戻ったのは数日後だった。大量の本を抱えて顔を出した彼女は、資料を机の上に積んで溜め息を吐く。この様子では徹夜をしたのだろう。この点については何度か注意したことはあるが、彼女は聞き入れない。魔族の強者に位置し、吸血種の始祖という特殊な条件を兼ね備えるアスタルテらしい。だが、無理に働く必要がない場面で睡眠を削るのは問題があった。


「アスタルテ、少し休め」


「いいえ。調べてきた報告を」


「実はリリアーナの具合がよくない。そうだな?」


 休ませるには、無理に時間を作らなければならないようだ。腕にしがみ付いたリリアーナの髪を撫でると、嬉しそうに目を細めたドラゴンは頷いた。


「うん、そう。具合悪い。倒れるかも」


 絶対に嘘だ。その眼差しを正面から受けても、リリアーナは怯まなかった。褒美もかねて抱き上げたオレの首に、リリアーナの腕が絡む。最近好んで纏うひらひらとしたドレスが風を孕んで膨らんだ。


「休ませる。報告は明日の朝だ」


 まだ昼過ぎだと言うのに、リリアーナを抱き上げたまま寝室へ向かう。かつての後宮は取り壊され、侍従達を含む城に住む者達の住居に充てられた。ドワーフの一行も半分ほどが住み着いており、今もあちこちで修繕の槌を振るう音がする。


 廊下を歩くオレはリリアーナを降ろそうとするが、彼女はしっかりしがみ付いて離れなかった。それどころか、このまま本当に休もうと考えている。


「アスタルテにバレちゃう。魔王城は彼女のだもん」


 確かに一理ある。吸血種は領地と呼ばれる範囲を持っている。己の住処や主君の周辺に設置される空間を示す言葉で、人間が使う支配地域とは違う意味があった。その空間内で起きる出来事や、出入りした者は彼女の感知に含まれる特性があった。


 魔王城とバシレイアの都は、アスタルテの領地だ。ウラノスやクリスティーヌは彼女に遠慮したのか、侵略する行為は見られなかった。この後宮でリリアーナを降ろして歩かせれば、それはアスタルテに筒抜けになってしまう。ならば一緒に休む姿を見せて、アスタルテも休むように仕向ける必要があった。


「わかった」


 端的に答え、リリアーナを自室のベッドに下ろす。その隣に寝転び、魔法で取り寄せた書類に目を落とした。人間は魔力が少ないため署名で印を残すが、魔族は魔力を少し染み込ませる。読み終えた書類を了承済みと再提出に振り分けた。作業するオレの向こう側で、リリアーナが頬を膨らませる。


「サタン様の意地悪っ!」


「何を怒っている」


 いや、拗ねているのか。膨らんだ頬を撫でれば、すぐに擦り寄ってきた。以前から猫のような振る舞いが多いが、成長しても変わらない。変化したのは身長とやや膨らんだ胸元、女性らしさを増した腰の辺りのまろみだろうか。それを指摘したら、一度襲い掛かられた。


 成長を認められたことは、リリアーナの中で「性的な関係を結ぶ」とイコールだったのだ。思わず反撃して抑え込んでしまったら、半日ほど大泣きされた。体中の水分が流れ出るのではないかと思うほど泣かれ、最終的に降参したのだったか。今思えば懐かしいが、当時は「このオレを降参させるとは」と苦々しく思ったものだ。

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