363.私の獲物に手を出させない

 大きさは10倍近く違う。質量の差はそのままアルシエルに跳ね返った。肩に痛みを感じるが、大きく開いた口でブレスを放つ。近距離で放った炎が黒く濁った。


 強すぎる感情に影響された炎がゆらりと亀の表面を舐めた。だがそれだけだ。圧倒的な力量差は簡単に埋まらない。だからこそレイキは魔獣として強者に分類されてきた。


 能力は必要ない。ただ巨体を動かすだけで村を潰し、大地を揺らす。一度距離を置いてもう一度、今度は爪に風の魔力を乗せて……そう考えて離れたアルシエルの背後に、ばさりと翼の音がした。


 母親譲りの金髪を風に靡かせ、父親そっくりの褐色肌に淡い色の衣を纏い、翼を広げて空に君臨する。その姿は手を離した時の彼女から想像もできない、威圧感を放っていた。


「ダメ、私の獲物よ」


 手出しは嫌い。そう意思表示し、彼女は視線を左下へ向けた。釣られたアルシエルの視線が、リリアーナが示した地表で止まる。


 笑顔で手を振る双子は「準備できた」と叫んだ。それがすべてだ。リリアーナは罠を張り、その間に自らを囮に亀を誘き出した。レイキの巨体に攻撃を当てて気を引き、少しずつ魔法陣の上へ方向変換させた。その成果が出る。


「離れて」


 アルシエルにそう告げながら、リリアーナ自身は亀を見下ろして結界を張った。


「いっくよ〜」


「どかーん」


 ドンッ、アナトとバアルの声を消すほどの爆音が響き渡った。振動と同時に何かの破片が飛んでくる。咄嗟にアルシエルも結界を張った。


「やりすぎ」


「そうでもないよ、ほら」


 双子のやかましい会話は大声で行われた。どうやら爆音で耳鳴りがするらしい。亀の後ろ部分の甲羅にヒビが入り、大きく欠けていた。驚いたのか、レイキの動きが止まる。短い首を後ろに回して傷を見ようとするが、残念ながら亀の首では無理だった。


「応援だ!」


 勢いよく森から飛び出したのは、ヴィネだ。ハイエルフの少年は目の前の亀を見上げて、聞いたことのない音で呼びかけた。後ろを向こうとしていた亀が、ぐるりと首を進行方向に戻す。似たような音で何かを返した。


「ふーん、面倒くさいことした奴がいるな」


 ぽんぽんとヴィネはレイキの鼻先を叩き、リリアーナを振り仰いだ。だが顔を真っ赤にすると俯いて口籠る。もごもごと何か言ったが、近くにいる双子にも聞こえなかった。


「なに? 聞こえない」


「おま! くそ……っ、下着見えてんぞ!!」


 言わせるな!! 叫んだ年頃の少年にとって、ドラゴン美女の下着は眩しかったらしい。その叫びを聞いて、アルシエルはほっとした。幼い頃は下着を嫌って脱いでしまった娘だが、さすがに今は履いていたことに。


 バアルは腹を抱えて笑い転げ、複雑そうに「他人の物だからね」と意味深な発言をしたのはアナトだ。双子はきっちり反応が分かれた。


 当事者のリリアーナは……スカートの裾を手で押さえたものの、少し考えてから叫び返した。


「あんたが下にいたら、上に浮いてる私の下着が見えるのは当然じゃない」


 なぜ指摘されたのか、理解していない。魔王サタンと並ぶ鈍感娘に、アルシエルは今度こそ頭を抱えた。

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