344.初代魔王を私が殺した

 呪われた英雄は、初代の魔王を指す。殺された妻が産んだ子は、己の父の血を浴びて変質した。なぜ忘れていたのか、この世界を未熟なまま捨てたことを――。


 辛い記憶の残る世界を忘却の彼方に押しやり、ふらりと別の世界に入り込んだのは誰だ?


「愚かにすぎる」


 アスタルテは泣きそうな顔を両手で覆った。本来の所有者である初代魔王が消え、その血族が絶えた世界に異物が入り込む。他の世界で勢力争いに敗れた者が、神として君臨した。かの者は弱く、ゆえに己より強者が生まれることを好まない。


 新陳代謝を促す世代交代が機能しない弱い世界は、他の世界の圧力に押されて消滅寸前だった。弱体化した世界は、ついに正当なる後継者を呼び戻そうとする。しかしその強制力は、さまざまな要因が重なって歪んだ。


「アスタルテ殿?」


 アルシエルが声をかけると、ヴィネが脛を蹴飛ばした。


「こういうときは、女性が話すまで待つもんだぞ」


「そうなのか」


 明らかに歳下に見えるハイエルフの言葉に、子持ちの黒竜は素直に引き下がった。女性の扱いは心得がない。妻となった番の竜もすぐに死んでしまったし、口説いた経験はもちろん、慰めたこともなかったのだ。困惑気味に様子を見るアルシエルにとって、女性は扱いのわからぬ生き物に分類されていた。


「気遣いは無用だ。ようやく思い出した」


 新しい記憶が流れ込んだのではなく、奥底に仕舞った黒く塗り潰して消したはずの思い出が蘇っただけ。整理するほど難しい話でもない。


「この世界の神は……偽物だ。この世界は魔族の世界なのだから」


 神に似せて人を作った。つまり魔族は人とは別系統の種族で、神が作った創作物ではない。元から魔族があり、多種多様な生き物が暮らす世界を……管理人がいないと気づいて侵入した神族が荒らした。勝手に己に似た種族を作り、それをばら撒いたために均衡が崩れる。


 人間は魔族と敵対し、まるで菌のように世界に繁殖した。今からすべて駆除するのは合理的ではないし、弊害も大きいだろう。


「アスタルテ殿は何を?」


「この世界の管理者は、我が父――初代魔王だ。私がこの手で殺した」


 レーシーの一族が繋いできた叙事詩の最後は、記憶の鍵となる声紋だ。他者の音や声を模写する能力に優れたレーシーでなければ、受け継げなかった特殊な音域と発音だった。


「父は嫉妬に狂って母を殺し、私は仇を取った。この世界を捨てたことで、管理者不在の土地を不法占拠したのが、黒い神……いや、アペプか」


 解き放たれた記憶に紛れていた名を口にする。神の名は力を持つが、構わない。あの神が完全に復活する前に、この世界を返してもらおう。


 ――巻き込んでしまった、主君である魔王サタンのために。

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