322.泣きながら責められると勝てぬな

 ここまで「した」敵ではない。ここまで「させた」敵だ。アスタルテの言い分も理解できる。同時に彼女の懸念に気づいた。


 この身が崩壊する危険を、口にせず知らせたのだ。魔力が多すぎるが故に、幼い頃は餌にしようと狙われた。ある程度操れるようになれば、恐れて距離を置かれる。その極端な対応に、オレは他者との関係を作り損ねた。


 近づく者を威圧し、常に近づけない。逆らえば潰し、阿れば遠ざけた。孤独の方がよほど気が楽だと割り切った頃、初めてアスタルテに出会う。もっとも魔王に近い魔族と言われる女は、出会いざま剣を抜いた。


 戦いの末に彼女を辛くも下したが、代償は大きかった。彼女は自らの血肉と魂を使い、オレと契約を交わす。あの日の願いと想いを忘れないから、今があるのだ。


「アスタルテ、霧を消せ」


 結界を解けと命じる。黒い神の一片が逃げ出そうと構わない。承知したと告げる唇が細く息を吸い、霧を消し去った。透明の結界の中、オレの魔力が再構築されていく。崩れたパズルを組み立てる作業に似て、根気はいるが形が決まった場所に押し込む作業だ。


 伸びすぎた牙を折り、増えた腕を消し、翼と角を残して額の瞳も消し去った。伸びた爪を乱暴に剣で落とし、手の中でくるりと回した黒竜の剣を収納の鞘に戻す。漂う魔力で、傷付けられた衣を再構築した。ひらりと背に舞うマントの陰で、自ら切って捨てた左腕を生やす。


「結界を解除します」


 膝をついて頭を下げた彼女の長い髪が、肩を滑って地に触れた。回収した赤い霧に散らしていた魔力で回復を促した肌に、もう傷は見当たらない。ほぼ無傷の状態で、くつりと喉を鳴らして笑う。


「奴は逃げたか」


「はい。追跡用の血を含ませました」


 吸い込んだ赤い霧は彼女の血だ。どこに逃げ姿を隠しても、二度と見失うことはない。断言した側近へ「ご苦労」と短く労った。


「サタン様! ひどい!!」


 切り離した空間が繋がるなり、リリアーナが飛びついた。咄嗟に受け止め、泣きながら訴える彼女のひどい顔に頬が緩んだ。あの緊迫した戦いが夢のようだ。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を歪め、必死に「置いていかれた」と訴える。自分もついて行きたかったと泣いた。


 素直すぎる感情表現に「そうか」と答え、金髪を撫でて顔を拭いてやる。渡されたタオルで乱暴に顔を拭く彼女は、薄く施された化粧が溶けたことも気付いてないだろう。まだ尽きない文句を並べる娘の感情豊かな姿に、アルシエルは絶句した。


 主君に対しての態度を咎めるより、年齢相応の幼さを見せたリリアーナに驚いて言葉が出ないのだろう。クリスティーヌは心配そうにリリアーナの後ろで袖を引っ張る。ウラノスやオリヴィエラも集まっていた。思っていたより長い時間、中に籠もっていたようだ。


「あれは……闇の残りですか」


 尋ねるウラノスの乾いた声に、アスタルテが立ち上がって答えた。


「いや……別物だ。闇は完全に消した」

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