318.譲った先手が命取りになる
転移に使われる空間は、収納の亜空間に似た性質を持つ。間の距離を無にするのではなく、時間を消して繋ぐのだ。収納に使われる亜空間は時間の流れが限りなく緩やかで、生き物を収納できない特性がある。そのため転移に使われる座標は、別の空間を経由した。
時間が完全に止まる空間を、終点へ向けて通り抜ける形だった。計算を誤れば体の一部が欠損したり、命を奪われる。未熟な魔族が空間に取り残される事故もあるため、転移を日常的に使用するのは高位魔族だけだった。
転移したアスタルテは、到着するなり結界を張った。己を結界内に閉じ込め、外へ放つことを阻止する。
「つけられたか」
舌打ちして左手のひらに爪で3本の傷をつけた。大地についた足を踏ん張り、左手のひらから剣を抜く。主君のように収納に仕舞う武器ではない。己の体の中で生成する魔力の塊だった。
赤い刀身に黒い柄をもつ、鞘のない剣をしっかりと構える。振り返った先、終点に選んだ城の中庭に何かが生えていた。転移の空間は閉じていく。隙間が閉じれば魔族の身体は千切られるのに、なぜか穴をこじ開けて出てくる生き物。
本能の警告は遅かった。あと少し早ければ、このような化け物を持ち込まずに済んだ。舌打ちして剣を左右に滑らせる。舞うような動きに似合わぬ、空気を切り裂く音が響いた。
「アスタルテ?」
「何それ、私にちょうだい」
双子の反応は分かりやすい。結界の外から、遊び道具を譲れと騒いだ。帰還したアスタルテの魔力を感じて駆け寄り、結界に阻まれた。透明の結界の向こう側で、這い出る異形に興味を示したのだろう。
「私が片付ける」
「えええ! ずるい」
結界を解けば気づかれてしまう。柔らかそうな毛皮を持つ異形は、犬に似ていた。四つ脚に2つに割れた猫の尻尾、やたらと大きな耳を持っている。口は大きく首まで裂けており、瞳は通常の2つ以外に額にも1つあった。
久しぶりに肌が粟立つほどの敵意を浴びながら、高揚感に舌舐めずりする。ぐあああ! 大きな咆哮で威嚇する獣の黒い姿に、口元が緩んだアスタルテが少し首をかしげた。
「この程度か。ならば先手を譲ろう」
威嚇する異形の魔力量は多い。神の血を得た獣の咆哮は、生臭くも力を滲ませていた。だがこの程度の魔獣なら、何度も屠ってきた。その自信がアスタルテの余裕となる。
全身を現した獣はドラゴンより小型ながら、見上げる大きさがあった。3つの瞳はすべて色が違う。おそらく数種類の属性魔法を使い分けるはずだ。予想を立てながら、アスタルテは右手に剣を構えて動かなかった。
「アスタルテの結界は入れないよ」
「どうする?」
双子は知恵を絞り、彼女の結界を突破する方法を模索する。無条件で通れるのは魔王サタンだ。だが彼は未だ起きてこない。ならば……同僚のククルはどうだろう。彼女も寝ているが、そろそろ起こしてもいいんじゃないか? それに彼女と3人なら結界をすり抜けられるはず。
計算したアナトの提案に、バアルも頷く。仲良く手を繋いで城内に戻ろうとした双子は、予想外の光景に目を見開いた。
「うそ!」
「アスタルテが?」
傷付けられたアスタルテの血が大地に滴る。半身を赤く染めた彼女の姿に、双子は同時に叫んでいた。
「「陛下! 助けて」」
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