317.この場にいてはいけない

 アルシエルが魔王の側近として立った話を聞いた時点で、この程度と私は判断した。ウラノスが過去に魔王であった事実を聞き、この世界のレベルの低さに驚いたのだから。こちらの世界に我々を凌ぐ強者はいない。それは確信に近かった。


「さて、念のために調べておくか」


 双子の強さは本物だが、どうしても性格が子供のままだ。数万年を生きてあの状態ならば、外見に釣られるのか。それとも神格の不足が成長を妨げている可能性があった。どちらにせよ、彼と彼女は何かを見落とすことが多い。


 闇を狩ったのは事実だから、核は回収したのだろう。問題は……核がひとつではない生き物も存在する現実だった。あの子達も知識では知っていても、かなりのレアケースであるため想定外だろう。不安の種を残すのは得策ではないため、自ら動くのが正解だった。


「アガレス、もう動けるか?」


「は、はい」


 頭痛や吐き気が治まった文官達は、それぞれに動き出している。症状の比較的軽い者は新人に多く、さまざまな政策に絡む役職付ほど症状が重かった。敵は知識を探ってから、操る深度を見極めたのだろう。その用心深さと用意周到さが、ひどく気にかかっていた。


 あの闇に、そこまでの知恵や思考力があるのか。おそらく別の黒幕がいた。それを双子が見落とした可能性に、私は溜め息をつく。


「よく聞け。私が留守にする間、文官の仕事はアガレスを頂点として判断しろ。陛下の決断が必要な案件は、私が判断する。積んでおけ」


 アガレスとマルファスは反論せずに頷いた。もう黒い糸から解放され、気分の悪さも治まってきただろう。少し前より顔色が赤みを帯びている。


「外敵からの防御はアルシエル、ウラノスに任せる。やり過ぎて城を壊すな」


 きっちり釘を刺す。ウラノスはともかく、アルシエルは腕っぷし自慢の竜族だ。暴れれば城など一瞬で崩壊する。言い聞かされた形のアルシエルは、渋々頷いた。


 捕らえた獲物の確保は、双子に任せれば問題ない。ひとまず留守にする時間は稼げるはずだ。手落ちがあっても、主君サタンがいる。手早く終わらせて戻らなくては――奇妙な焦りに背を押され、私は転移で飛んだ。


 崩れた廃墟、その奥にあるという神殿。さらに洞窟があった場所は、大きく陥没していた。完全に壊した双子の苛烈な性格を思えば、まだ手加減したらしい。一度は世界にヒビを入れた子供達だ。この程度で済んで良かった。


 ふと……神殿の瓦礫が気になった。あの場所だけぽっかりと穴が開いている。何かが中から這い出た跡のように見えて、近づいた。


 瓦礫から漂う香りは、血の匂いだ。目を細めて、意識を視覚から嗅覚に切り替えていく。嗅ぎ取った血の匂いは新しかった。この若い血の匂いは覚えがある。アナトだ……見た目に傷はなかったが、ケガをしたのか。


 大したことではないと考えた私の嗅覚を、別の臭いが刺激した。記憶にない臭いだが、あまり好ましい類ではない。その臭いが気になり辿ろうとするが、立ち上がった途端に消えてしまった。もう一度身を屈めても、あの臭いは嘘のように感じられない。


「ばかな」


 背筋がぞっと冷えた。アナトの血の匂いを纏った、不思議な臭い――何故か胸騒ぎがする。この場にいてはいけない。本能の警告に従い、転移先に選んだのは……敬愛する魔王が眠る城だった。

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