295.さあ、血の饗宴が始まる

 封印の隙間を縫って外へ出た。細い触手を伸ばし、黒い感情に染まった器を探す。眠り続ける闇を起こした何かが呼んでいた。誘う鉄錆びた臭いにつられて、細く長く伸ばした先でようやく触れた。


 干からびた誰かの首……この者自身の怨嗟ではない。絡みついたのは思惑や利用する意思、そして他者の恨み妬みが絡みついた黒い感情だった。死にたくないと怯える感情や恐怖、誰かから奪おうとする醜い心が闇に力を与える。


 追う闇から逃げる男を追いつめて、手足を折った。彼が大切そうに隠した首を奪う。これだ、この首に集められた怨嗟と恐怖が糧となる――蘇るための引き金となった黒い感情をすべて吸い上げ、用のなくなった獲物を見下ろす。


 兵士か騎士か。鍛えた体躯は悪くない。この首もよく見れば顔は整っている。ミイラになりかけた首だが、魔力を注げば使えるだろう。闇はうっそりと笑い、形のあやふやな己を揺らした。悲鳴を上げる男の中にある感情や理性を食い荒らし、身体を乗っ取る。風を操り首を落としてからミイラの首を乗せた。


 元グリュポス王弟――兄王に殺された不運の王族の顔は、見る間に生前の面影を取り戻す。だが途中で魔力が枯渇し、闇は困惑に身を捩った。この大きさの身体を動かすには魔力が足りない。ならばどこかから奪えばいいのだ。有用な器を探すには……。


 見回した先で、怯えて腰の抜けた子供を見つけた。視線が合うと悲鳴を上げた子供に近づき、その瞳をくり貫く。激痛に悲鳴を上げてのたうつ子供から僅かばかりの魔力を奪った。量は少ないが上質だ。悲鳴に誘われたのか、数人の子供が寄ってきた。


 男が逃げたのはうらぶれた路地。まともな人間は悲鳴を聞いたら逃げるが、スラムの子供達は逆だった。襲われた被害者に残された何かを奪おうと集まる。にたりと口角を歪めて舌なめずりし、闇の触手を伸ばし魔力を奪った。喉を締め上げて次々と回収する。


 なるほど、子供の姿ならば消費する魔力が少なくて済むか。折れた手足を短く成形し、子供の姿を真似て作り直した。効率のいい器の中は落ち着いた。


 闇はまだ完全に開放されていない。自由になるために魔力が必要だった。質が良く量の豊富な獲物は……聖女の国バシレイアにある。だがそこへたどり着くのは至難の業だった。まずは移動するための力を手に入れなければならぬ。


 滅ぼされた欲望の国ユーダリルから、一番近い集落は獣人の街か。質は高くないが量は豊富だ。いや、竜種がいる。目を細めて遠くの魔力量を推定し、歩き出した。限界まで酷使すればたどり着けるだろう。闇にとって器は服と同じ、使えなくなれば交換すればよかった。


 街の手前で力尽きるも、人の好い犬の獣人達に拾われる。何の力もない難民の子供を装って哀れな声を上げれば、彼らはすぐに荷馬車に乗せて目的地へと運んでくれた。商人だという彼らに心から感謝しよう。


 さあ、血の饗宴が始まる――。


 闇が操る器は獣人の魔力と恐怖を食らい、やがて守護竜をも飲み込んだ。

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