280.下賤が触れて良い身ではない

 王妃なのか。着飾った女性が捕まっていた。罪人とはいえ、女への暴力を躊躇う民衆へ彼女は魔法を放つ。大した威力はないが、人体を切り裂く程度の強さはあった。


 王妃の手を掴んだ民の腹が切り裂かれ、内臓が石畳にこぼれ落ちる。反応は3つに分かれた。己の命大事と怯えて逃げる者と、仲間を守るために肉壁になろうとする者、怒りに任せて攻撃を試みる者だ。


「くそっ、やっぱり殺せばよかった」


「お前達のような下賤が触れて良い身ではない」


 知り合いを殺されたのだろう。怒りに顔を歪ませた男が吐き捨てた言葉に、王妃は傲慢に笑った。彼女自身に魔力はほとんど感じない。ならば……目を凝らせば、女のブレスレットが魔力を内包していた。魔石が埋め込まれた魔法陣が、持ち主の感情に応じて反応したのだ。


 仕組みを観察しながら、ふわりと舞い降りた。薄暗い路地の先は行き止まりだ。この場所に王妃が出たなら、あちらは国王か。リリアーナによい玩具を回せたな。口元が自然と緩んだ。


「そなた、強いのなら……妾を守らせてやろう」


「守る?」


 奇妙なことを言い出した女に、オレの眉が寄る。怒りに塗れた男は、王妃がこちらを向いた隙に攻撃を仕掛けようとし、ブレスレットの放つ風に腕を切り落とされた。


「ぐあぁああ!」


 この男の根性と度胸は驚嘆に値する。魔王を前に、それでも仇を討とうと戦った。殺すには惜しいかも知れない。生かすべき民を選別するにあたり、彼はひとつの基準だった。


「そうじゃ、妾は……」


 そこまで言ってオレの顔を正面から見つめ、頬を赤らめた。こういう反応は数えきれないほど体験し、今さら何も感じない。


「国を捨てて逃げる女に興味はない」


「ならば死ね」


 ブレスレットを突きつけるように腕を向けるが、オレの黒髪がふわりと風に揺れただけ。くくっと喉を震わせた。この女が身につける魔石は、2つあるのか。護身用に作られたブレスレットと別に、指輪に使われている。琥珀色の指輪石は、小型の魔物の魅了眼らしい。


 強気に出た要因のひとつだろう。その程度の魅了眼に惑わされるのは、人間くらいだ。愛用の黒い鞘の剣を取り出す。背の翼を広げて、女を脅かした。


 悲鳴を上げて袋小路へ逃げていく女を見送り、足元に倒れて呻く男の前で止まった。自分の上に影が落ちたことも気づかないほど、激痛に支配された男へ治癒を施す。


「……っ、え、腕が……?」


 吹き出して失われた血も補う魔法に、男は驚いて見上げる。異形の姿に怯えるより、治った腕を動かして確かめたあとで首を傾げた。


「あんたが助けて、くれたのか?」


 肯定も否定もしないが、無言の態度で察した男が素直に頭を下げた。


「ありがとう。礼を言う……あ、あの女は?!」


「あちらだ」


 袋小路へ逃げ込んだと示せば、男は武器を探して周囲を見回す。王妃を追うより、この男の行動に興味を持った。まだ復讐を果たそうとするなら、多少は手伝ってやってもいい。酔狂にもそう思わせるだけの何かを、この男は持っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る