236.いま戻れば手出しはせぬ
イザヴェルが振り絞った主力となる兵が、荒野の一角に陣取る。この先はグリュポスがあった領地であり、今は深い森だった。グリュポスが滅びたのはわずか数か月前にもかかわらず、大地の魔法により急速に育った木々は葉を揺らす。
バシレイアとの間にある魔物の棲む森から流れ込んだ動物や魔物は、グリュポスだった土地に根付き始めていた。生命力旺盛な森はすべての種族を拒むことなく受け入れる。懐の深さを見せつけるように、木々は青々と茂りながら葉擦れの音を響かせた。
森の手前で止まった人間を、森の生き物たちは息をひそめて見つめる。こちらへ侵攻してくるのか、それとも留まり移動するか。怯える小動物を守るように、森の新たな主がのそりと動いた。
『主の予想通りか』
シルバーウルフの群れを息子マーナガルムに譲った狼は、崖の上で目を細めた。グレーがかった銀の毛並みと、首周りを彩る白い鬣に似た毛が風に揺れる。
隆起した崖は見晴らしがよく、心地よい風が吹く。マルコシアスがお気に入りの昼寝場所だった。いつもと変わらぬ日課の昼寝に訪れれば、主から知らされた通り人間が陣取っている。
もし森に入るなら排除して構わない――魔王がそう告げたのは、昨夜のことだった。実体がなく月光に透ける姿は魔力による通信の特徴だ。マルコシアスはこうも鮮明に使いこなす魔族を始めて見た。通常は声だけだったり、姿を飛ばしてもぼやけていたりする。
指向性をもって魔力を操る巧みさの賜物だろう。平伏して聞いた言葉を思い返し、狼はゆらりと尻尾を振った。森を出て襲い掛かる必要はないが、入り込めば餌食にしてやる。
首にかかる細い鎖の先に、鮮やかな赤い宝石が光った。
『準備はしておけ』
この領地は主君である魔王サタンから預かったもの。人間風情に自由にさせる気はなかった。脆弱なくせに森に火を放って焼き払い、食べもしない獲物を殺す人間は、マルコシアスにとって敵だ。グルルと喉を鳴らせば、数匹の狼がその意思を伝達した。
森に棲む同族は魔狼とシルバーウルフをすべて合わせ、50匹ほど。群れとしては大きい部類に入る。だがかつて棲んだ山の中腹には、数倍の同族が息子マーナガルム指揮の元で生活していた。グリュポス跡地を突破されれば、背後にある山の同族が危険に晒される。
注意深く様子を見るマルコシアスの耳に、人間の声が複数飛び込んできた。森の中で食料を調達する気らしい。合図を伝達しながら、狼達が狩りの態勢に入る。包囲網を作りながら移動する同族の気配と魔力を確認し、マルコシアスは立ち上がった。
通常の狼の数倍ある巨体で目いっぱい吸い込んだ空気を、遠吠えに変えて響かせる。突然聞こえた狼の遠吠えは、森のあちこちから返る鳴き声により人間を怯えさせた。
『我らが主の命に従い、侵入者を排除せよ!』
勢いよく崖を飛び降り、下の木々をクッション代わりに巨体を弾ませて着地した。まっすぐに敵に向かう群れのボスを追って、3匹の狼が後ろに従う。木々の足元を彩る茂みを抜けた先にいた人間が、慌てて剣を向けた。
「この森は我らが預かる領地だ。いま戻れば手出しはせぬ」
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