235.愚王を戴く民の哀れなことよ

 自ら作った湖は、大量の生贄を沈めた。徐々に豊かになると約束された土地に、グリュポスから流れ込んだ難民を中心とした一団を送り出す。王都となったバシレイアの城下町は、新天地への期待に胸を弾ませる若者や、別れを惜しむ住民らでごった返していた。


「皆様のご無事と繁栄をお祈り申し上げます」


 元王女であり、聖女の血を引くロゼマリアの祈りを受けて、新たな領主となる侯爵が一礼する。叙勲されたばかりの侯爵は、かつてバシレイアの文官として必死に国を支えた男だった。


 横領により開いた穴を別の予算でやりくりし、何とか国の財政を立て直そうとした。その功績を知るアガレスの推薦を受け、初老の男性は家族と新たな土地に移り住む。護衛の兵を多めにつけたのは、新たな土地が森に接しているためだった。


 森の中には魔物が棲む。集落が襲われる可能性もあるが、ある程度はマルコシアスの群れに駆除させた。定期的に魔狼達が巡回するよう手を回し、旅立つ一団を見送る。用意した荷車や馬車は、身の回りの品を手にした民が乗り込んだ。


 必要な食料品や資材は後から運べば良い。荒野の乾いた土を撒き散らしながら、人々が見えなくなる頃、レーシーが駆け寄ってきた。


「あー、ぁあああ!」


 訴える響きに、オレは眉を寄せる。甲高い声が紡ぐ内容は、各国に放つ彼女の目が拾った現実だった。


「リリアーナ」


「なぁに?」


 呼ばれたことに目を輝かせる金髪の少女は、お気に入りの白いワンピース姿だった。膝下まであるスカートは、裾にフリルのある可愛らしいものだ。


「着替えてこい。出かける」


「っ! うん! すぐ着替える」


 人前でもその場で着替えようとするリリアーナに、焦ったロゼマリアが駆け寄った。裏で着替えるよう言い聞かせ、付き添っていく。肩を竦めて、オリヴィエラも彼女らに従った。


 クリスティーヌが指を咥え、不満そうに唸る。


「私は?」


 一緒に行きたいが、邪魔になるなら我慢する。その境目で揺れた結果、どうしたらいいか尋ねる幼さに口元が緩んだ。連れて行っても構わないが、現在は黒竜王とウラノスがいない。


 城を空にしないため、オリヴィエラ達を残す予定だった。アガレスだけでも十分に持ち堪えるだろうが、最悪の事態を想定して動くのはトップの常だ。


 ひらひらした愛らしいワンピースは、水色が主体となった汚れやすい色だった。クリスティーヌもリリアーナも、淡い色を好んで纏う。濃色を選ぶオリヴィエラと真逆だった。よく似合うが、これから向かう場所に相応しい恰好ではない。


「着替えろ」


 同行の許可を与えると、大喜びで走っていく。拾った頃の痩せすぎた姿が嘘のようだった。元気いっぱいに駆け込んだ先で、リリアーナの声も響く。


 レーシーの甲高い歌はまだ続いていた。すぐに細く掠れて、彼女は無言になる。ゆらゆらと身体を左右に揺すりながら、アナト達に与えた部屋に向かう。なぜアナトに固執するのか知らぬが、悪いことではなかった。


 見送った白いレーシーが残した歌を紐解く。滅びた国を占領し、他国を巻き込んで動こうとする国――ユーダリルでもイザヴェルでもおかしくない。だが余力を考えれば、動いた国を推定することは容易だった。


「愚王を戴く民の、なんとも哀れなことよ」

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