231.枯れた大地を蘇らせる対価

 とてとてと軽い音を立てて走る少女は、ノックをしてから部屋を覗き込んだ。顔を上げて待っている黒髪の青年に駆け寄り、同じ黒髪を結い上げた簪を揺らして膝に触れる。


 オレの膝に両手を置いたクリスティーヌは、覚えたばかりの情報を必死に繰り返した。魔法陣を使って自動筆記する方法を教えてもいいが、クリスティーヌの必死さが微笑ましくて頷きながら聞く。


 ビフレストが滅びた結論は報告に上がったが、レーシーが垣間見た内部の状況は貴重な情報だった。地下牢から引き摺り出された国王フルカスは白薔薇の幻想を重ねた民に殺され、王弟は玉座の間で死亡する。


 民を支配した王族の最期は哀れなものだ。斜陽する国の姿に傷めるような心は、過去に捨てたため同情はない。王族が、国のシステムが民のために動いていれば、戦に負けても民に襲われることはなかった。彼らの自業自得だ。


 どの国も最初の王族は素晴らしい人徳者が選ばれる。逆に言えば、傑出した才能のない無能者が国を興すことは不可能だった。王政が腐る原因は、己の子孫を後継者とすることだ。目の行き届く3代目までは機能する。しかしそれ以後の子孫は、徐々に腐敗していく。


 4代目に入る国はシステムが出来上がり、民が声を上げられなくなる。届かなくなった不満は消えることなく燻り続けただろう。焚き火の後の熾火の炭に似て、赤く熱を蓄え続けるのだ。


「わかった、ご苦労」


「リリーを手伝ってくる」


 リリアーナはククルに付きっきりで、ロゼマリアに教えを請いながら、看病を始めたらしい。手伝うと口にしたが、ロゼマリアが上手にコントロールするはずだ。人間である彼女がいれば、少女達も手加減する。大惨事の心配は不要だった。


 1人になった部屋で、地図を引き寄せる。先日作った湖と、水を流すための川の支流がペンで書き足された新しい地図に、さらさらと別の支流を追加した。支流の水を一時的に貯める池も大きさを指定する。


 ドラゴンの背で見た景色を思い浮かべ、池の位置を書き直した。池の場所が低すぎて、作った町が沈む可能性がある。予測できる洪水対策は、講じておくのが定石だった。貯水池に流れ込む手前で、支流を一度蛇行させるのも忘れない。


 これで田畑を耕すために使う水路が引きやすくなる。一通りの手順を確認すると、椅子に寄り掛かった。


 ビフレストの民をすべて受け入れるのは不可能だ。間も無く敗北するユーダリルとイザヴェルからも難民が流れ込む。戦いを生業とする兵士は減らしたため、難民同士の抗争は多少減らせるだろう。


 地図の上をペン先で叩きながら考えを纏めた。攻めてきた兵を許して帰せば、人道者として一時的に感謝される。しかし彼らは目先の食事が減り、生活水準が落ちれば豹変する。餌を貰えなくなった家畜の中に、鋭い牙をもつ種族が混じれば、家畜は襲われ捕食されるのが世の習いだった。


 この世界の冬がどれほど厳しいか、およその見当はついていた。山脈の残雪量や豊富な水は積雪の多さを語り、砂漠や荒野が広がる平野は温度差が激しく大地は枯れている。大地のバランスを崩したのが、人間でも魔族でも同じだった。


 不要な獣の血を捧げ、家畜を放牧する。徐々に大地がもつ本来の力を取り戻させるのに必要な手順は、気が遠くなるほど長い時間をかけて行うものだ。


 ノックして入室を求める者へ、オレは誰何することなく許可をだした。

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