170.戦の本質を見誤ったゆえの代償

「降ろすよ!」


 叫んだと同時に、リリアーナは大きく息を吸い込んだ。ドラゴンの鱗に守られた胸部が膨らみ、直後、地上に炎が降り注ぐ。ドラゴンブレスと呼ばれる攻撃だが、以前魔王サタンに向けようとしたことが懐かしい。リリアーナは尻尾を器用に使い、身体の向きを変えた。


 焼き尽くして穴になった場所へ降り、地表付近で停止する。降りてしまうと舞い上がるのに魔力が多く必要になる。浮いた状態で促すと、まずクリスティーヌが飛び立った。蝙蝠姿で地上に降り立ったクリスティーヌは、大急ぎでワンピースを被る。


 人化した際に複雑な網紐やボタンがあると着づらいため、すぽんと被ってベルトをするデザインを好む。いずれオリヴィエラのように慣れてくれば、デザインを選ばず着替えることが出来るようになるだろう。苦笑いしたウラノスは、鱗を滑って尻尾側から落ちた。着地したのを確認し、ふわりとドラゴンは空に舞い上がる。


 サタンから「安全な場所にいる司令官を含め、全軍に見えるよう空から攻撃しろ」と命じられた。ロゼマリアを乗せたグリフォンが、向こうで氷の矢を降らせるのが見える。にやりと笑ったリリアーナが視界の端をよぎった矢に気づいた。


 高度を下げたため、矢を射かけられたのだ。その矢が目に当たったとしても、リリアーナに被害はない。ドラゴンは鱗に覆われた外の瞼だけでなく、内側にも透明の瞼を持っていた。空を飛ぶ魔族の中に似たような機能を持つ種族はいない。


 人が射る矢でこの2枚目の瞼を貫くことは不可能だった。オリヴィエラが使う氷の矢でも、表面に傷がつく程度だろう。余裕をもって矢が飛んでくる場所を確認した。


 足元の蟻……サタンがよく使う表現が、リリアーナの脳裏に蘇る。地面を這う、個体の区別がつかない脆弱な生物だ。リリアーナにとって踏み潰しても、ブレスで焼いても、尻尾で薙ぎ払っても簡単に排除が可能な、哀れで小さな存在だった。


 ぐるると喉を鳴らしたリリアーナは、矢を射る集団を見つけて高度を下げた。向かってくるドラゴンに大騒ぎしながら、なんとか反撃の為に矢をつがえる。しかし弓を引き切る前に、低空飛行したドラゴンの足や尻尾で殴られた。


 兵士の一人は咄嗟に目をつむって頭を抱え込んだ。武器を放り出してしゃがんだ彼が目を開けた時、周囲は阿鼻叫喚の嵐だった。同じ村出身の幼馴染は右腕を失い、下半身が潰れた状態で口から血を吐く。駆け寄ったものの、何もできないまま狼狽える間に友の命は失われた。


 徴兵された彼らが村で聞いたのは「確実に勝てる戦だ。相手は王都しかない小さなバシレイアで、こちらは軍事同盟を結んだイザヴェルも合わせ三万を超える大軍で蹂躙する。早い者勝ちで奪い放題の美味しい戦になる」という甘い誘い文句だった。


 農地を耕しても大きな収入は見込めない。農家の次男や三男は徴兵に応じて外貨を稼ぐのが手っ取り早かった。一攫千金を夢見て幼馴染と参加した戦は、弓矢を扱える彼らは後方支援の安全な場所に配属される。絶対に金を持ち帰ると約束したのは、今朝だった。


 こんな結果は望んでいない。大国ビフレストに逆らった小国を滅ぼすだけと聞いていたのに……再び頭を抱えて座り込んだ。魔物と戦わされるなんて誰も言わなかったじゃないか。上空で旋回したドラゴンによるブレスは、幼馴染の死体ごと青年を焼き尽くした。


 炭になった青年を、風が散らしていく。戦はどれほど後方にいようと危険であり、命のやり取りがあり、奪うだけの都合がいい戦場は存在しない。そんな当然の摂理も理解できぬ人間に、この戦場は過酷すぎた。甘く見た代償は、決して安くはないというのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る