147.狡猾な狐と正直者の選択

 仮死状態の魔物を送らないよう手紙を書き、受け入れた難民の食事や住居の状況を確認し不足を手配する。あっという間の10日間が過ぎ、ふと気づく。ここ数日、リリアーナとクリスティーヌの襲撃を受けていなかった。彼女らは大人しくウラノスの授業を受けているのだろう。


 夜になると顔を見せて抱き着くが、昼間は地下牢で勉強しているのならば、褒美のひとつも考えておいた方がよさそうだ。執務机で書類にサインをして積み上げた。


「魔王陛下、失礼いたします」


「どうした」


 アガレスは入口から入ったところで一礼して声掛かりを待っていた。頭を下げたままの彼に「何があった」と問う響きに、ようやく顔を上げる。少し口角を引き上げた笑みに近い表情に、彼の告げる内容の予想がついた。


「ようやく来たか。どちらだ」


 他国の使者が着いたのだろう。一番近いグリュポスからの難民を収容してから、すでに10日。遅すぎたくらいだ。


 テッサリア国は、王族か公爵位の者が使者に立ったであろう。ビフレスト国も王女が使者に立つと情報が入っていた。どちらにしても王侯貴族が移動するとなれば、休憩時間は長く取る。軍と違い強行軍もなく、遠回りでも安全が確保された街道を通るはずだ。必要以上に警護も厳重になり、人手も多くなるため移動速度は遅くなった。


「ほぼ同時ですが、先触れはビフレストが一足早く到着しました」


「狡猾だな」


 アガレスは「先触れは一足早く」と表現した。本隊はテッサリアが先に到着したのだろう。バシレイア国周辺は荒野が広がり見通しがいい。自分達より先に到着するテッサリアの隊を見つけ、慌てて先触れの使者を単騎で走らせた。ビフレスト国の王女か、隊の指揮を執る者は優れ者らしい。


 オレの指摘に、間違いなく意味を理解したアガレスが笑みを深めた。


「はい。どちらを優先なさいますか?」


「どちらを先に通した?」


 書類を横によけ、手にしていたペンを台に戻す。両手を机の上で組んで椅子に背を預けた。彼の見解に興味がある。どちらを優先すべきか、その選択により今後の国益が変わるのだから。宰相たるアガレスの考えが自分と同じなら問題ないが、真逆なら……すり合わせが必要だった。


「テッサリアの使者が、謁見の間で陛下をお待ちです」


 なんの躊躇もなく、アガレスは当然のようにテッサリア国の名を口にした。口元を緩め、椅子から立ち上がる。背凭れに掛けてあったマントを羽織ると、肩で固定した。


「さすがはアガレスだ」


 満足いく答えを返した側近に、先に謁見の間へ向かうよう指示する。魔力を探ると、リリアーナとクリスティーヌはまだ地下牢にいた。迷ったが彼女らの勉強を遮る必要はないと考え、代わりにオリヴィエラとロゼマリアを伴うことにする。


「オリヴィエラ」


 眷属である魔族の名は、魔力を込めて呼ぶことで召喚魔法の代用となる。相手に応じる意思があれば、空間や時間の制限なく呼び出せた。目の前に現れると膝をついた彼女の姿は、珍しいドレス姿だった。胸元や足を隠した淑女の装いで、ふわりとスカートを広げて跪礼をする美女が顔をあげる。


「お呼びですか? サタン様」


「ずいぶんと様変わりしたが、ちょうどよい。ロゼマリアも着飾らせて、謁見の間へ来るように」


 一礼した彼女を執務室に残し、先に謁見の間へ向かった。こちらは急な訪問を受けた側だが、あまり使者を待たせるのも失礼だ。とっくに情報を得ていた事実を知らせる義理もない。進んだ先で、衛兵が一礼して大きな扉を開いた。

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