128.こちらが名乗る義務はない

 ドラゴンが飛ぶ上空は風が冷たい。体温を奪う寒さの中、オレの身は魔力による保護と服の素材に守られていた。


 リリアーナと同じ黒竜の革で作られた衣服や、特殊な魔法陣が刻まれた防御用のマントが、寒さを遠ざける。ひらひらと空を舞うリリアーナははしゃいでいた。途中ですれ違ったワイバーンの群れを見逃してやるくらいには、機嫌がいい。


 地上を移動すれば数日の距離を、わずか2時間余りで飛んだ。帰りは魔法陣で帰ることが出来る上、一度来た場所は魔法陣を置いて記憶しておくことが可能だ。今後、イザヴェル国と戦うにも、国交を深めるとしても役立つだろう。


 地図の上でしか知らない土地は、緑豊かな森に囲まれていた。ぐるりと旋回しながら、リリアーナが「ぐぁああ」と威嚇の声を上げる。途端に森が騒がしくなった。


 魔族の中でも最強種と謳われる黒竜の唸り声に、森に棲まう魔物や動物が怯える。巣穴に逃げ込むもの、全力で走って遠ざかろうとする種族もいた。動かぬのは、本能が鈍った人間くらいだ。


「リリアーナ、森に降りるぞ」


 数回鱗を叩いて気を引いてから声をかければ、了承の鳴き声を響かせたドラゴンが弧を描いて森へ着地した。あまり振動や騒音を立てないよう、気を使っている。首筋の鱗をぽんぽんと叩き、褒めてやった。


「上手になった」


「ほんと? 私、頑張った!」


 嬉しそうな子供は、素っ裸の上にワンピースを被る。この着替えの不器用さは、オリヴィエラあたりに直させよう。以前と同じように裸足で歩く彼女へ、靴を履くよう指示した。


 人化してもリリアーナの皮膚は強い。足の裏に刺さるような棘も枝もないが、人間から見れば異常事態だ。警戒されぬよう人型を取らせても、行動が魔族ならばバレてしまう。今後のことを考えれば、もう少し教育が必要だった。


 ロゼマリアの行う帝王学とやらに、礼儀作法を混ぜるよう指示したが……常識を教える教師も必要らしい。王族のロゼマリアに期待できない分野なので、誰か適任者を探さなければなるまい。


「リリアーナ、尻尾をしまう方法は覚えたか?」


 翼は上手に収納できるのに、どうしても尻尾は外に出ている。感情を示して左右に振られる尻尾だが、目立ちすぎるパーツだった。


「うん、でも出ちゃう」


 やり方は説明され理解したが、どうしても出てしまうようだ。こればかりは尻尾がないオレも、説明に困る分野だった。


「わかった。努力しろ」


 出来ないことを叱っても部下は萎縮するだけだ。次も叱られると怯えて動けなくなれば、邪魔になる。努力を促し、出来るようになれば褒美を与えると告げる方が、よほど効率的だった。


「うん」


 リリアーナは叱られると萎縮するタイプのため、余計に叱る際は気を付けなくてはならない。ご機嫌のリリアーナが腕を組むのを自由にさせ、森の中を抜けた。上空から確認した場所は、この先だ。


 がさっ、茂みが揺れる音に足を止める。右側から顔を見せたのは、鎧姿の騎士だった。背に青いマントを羽織った男は、長身のオレより少し視線が高い。熊のようなガタイの良さから、国境付近を守る騎士だと思われた。


 森の巡回中に遭遇した不審者に、すぐさま手が柄を握る。彼の動きに無駄はなく、慣れを感じさせた。


「誰だ? この森で何をしている」


 誰何のタイミングも、尋ねる内容の無駄の無さも好感が持てる。顔に大きな傷があり、子供に泣かれそうな迫力があった。


「まだ、名乗る気はない」


 偵察という名の散歩で、こちらが丁寧に名乗りをあげる義理はない。傲慢に告げた直後、しゃらっと軽い金属音がして剣の先が向けられた。喉の手前で止まった剣先は震えもなく、手入れの行き届いた刃は鋭さを証明するように木漏れ日を弾く。


「もう一度聞く。何者だ?」

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